【ライフ・ライク・ア・デイドリーム】 #3

「はァッ!」亮太は横に跳んで、明日香の貫手を躱した。彼女の指は脇腹を掠め、肋骨の間をわずかに抉る。魔法使いの、鋼の肉と水銀の血を。恐るべき速度、そして威力。回避を選ばなければ、この瞬間に亮太は死んでいただろう。亮太は戦きながら、クローンレイブンを閉じ込める氷の柱に身を隠した。 1



懐から未使用の『爆ぜろ』を抜き、装填する。足元に這い伸びる氷に向けて銃爪を引く。甲高い金属音と共に爆砕する氷を振り払い、走り出した。接近戦は愚の骨頂。距離の離隔を徹底し、遠巻きに殺す。怒りを足に込め、冷徹な意志と共に走る。止まれば、たちまち氷に飲み込まれるだろう! 2



天井に向けられた再生機からの『音』が、牙めいて生え並んだ氷柱を砕き落とす。氷の棘は鋭く、青白い光を撒き散らしながら振り来るそれの、しかし明日香は既に内側に潜り込み、亮太に肉薄していた!「マジか…!」「ふッ!」打ち込まれるトラースキックを、亮太はかろうじてブリッジ回避! 3



亮太の顎先が割れる。飛沫いた血が凍り、赤い粒となってきらきらと瞬いた。「はァッ!」ブリッジ体勢からの蹴り上げが赤い光を散らし、返礼とばかりに明日香の顎を襲う。だがそこに彼女の姿はなし!「ふッ!」「うおあッ!?」流れるような水面蹴りが亮太を襲う! 4



亮太の体が浮き上がった。勢い、上体を沈めての回転後ろ回し蹴り…メイアルーアジコンパッソが鋭い弧を描く!「が…!」氷の棺に叩き付けられる亮太。明日香はやはり既にワンインチ距離!彼女の目に冷たい炎が宿った。冷徹なる殺意に、襲い来る一撃に、亮太は受け身も取れぬまま備え…!KRAAAASH!! 5



崩拳の極大衝撃が亮太を襲った!駆け抜ける力が青白い氷を粉砕する!氷と共にクローンレイブンが砕け、氷の粒に血のように赤い光を乱反射させる。踊る光を千切れたクローンレイブンと、嘔吐しながら転がる亮太が吹き飛ばす。別の氷にぶつかり止まった亮太に、クローンレイブンは見向きもしない。 6



衝撃は、亮太の視界を滲ませていた。魔法使いの肉体を以てして尚、到底無傷で受けきれぬ衝撃。そして、見本めいて美しい拳だった。彼女の年若さでその境地に至れることが、彼女が潤沢なサポートを受けての修練に励めた証である。((ブルジョワジーがよ))亮太は舌を打つと、氷に再生機を向けた。 7



甲高い音と共に氷が砕け、既に絶命したクローンレイブンを解き放った。「はァッ!」亮太はそれを明日香に向け投げ飛ばした!「…!」何かを感じ取った明日香は側転、素早く回避する。瞬間、クローンレイブンが膨張し、爆ぜた!血と骨が散弾めいて飛び散る!第六感じみた察知、それが彼女を救った。 8



だが、逃れた先にも膨張クローンレイブンが飛び来る!「ちッ!」走り出す明日香に追従するようにクローンレイブンが爆ぜ、命の残滓を牙と飛ばす。「クソが、クソが、クソが!」苛立つように棺を壊し、投げ飛ばし、爆ぜさせる亮太。彼に向かう明日香の目は、未だ死神じみた冷徹と冷酷。 9



「ふッ!」明日香は氷の刃を投擲し、膨張クローンレイブンを撃墜する。限界まで膨らんだ風船じみて容易く破裂し、血と骨を吹き飛ばす。それは端から凍り付き、刹那に咲く彼岸花と変わり、光へと散る。明日香は刃を投げる。氷が煌めき迸り、肉風船を貫いては散華する!何たる無情残酷紅蓮花見地獄! 10



凍れる血風を見通すように明日香は目を細めた。その向こう、亮太は未だクローンレイブンの投擲を続ける。明日香は応じるように刃を投げ続けた。そこに一抹の疑念を感じながら……「!?」訝るように動きが硬直した。不可思議な手応え。直後、膨張しないクローンレイブンが血煙から落ちた。ブラフ! 11



その瞬間、甲高い『音』と共に血の花が砕けた!飛び出したは不可視の『音』の槍!「あうッ…!」心臓目掛け飛び来たそれを辛うじて躱すも、『音』は肩に突き刺さった!マスクの下の顔が苦悶に歪み、手に掴まれていた氷の刃が滑り落ちた。膨張クローンレイブンは尚も飛び来る。そして…破裂する! 12



BOMB!!BOMB!!BOMB!!「ハ、ハ、ハ」次々と起きる血の爆発。砕ける氷と抉れゆくコンクリートを見、亮太は嘲笑った。まともな人間ならば、これを食らっては生き残れまい。だが、だが。相手は怪物。油断なく、完全なる止めを刺す。「貫け」新たな『音』を再生機に込め、明日香へと向けた。 13



「あぐわッ!?」しかし、次の瞬間に悲鳴を上げたのは亮太であった!血煙より飛来した氷の槍が、再生機ごと右前腕を貫くように突き刺さり、クローンレイブンを閉じ込めた氷へと亮太を磔にした。亮太の放つ『音』すらも切り裂いて!「ふッ!」血煙の中で氷が砕け、中より明日香が躍りかかった! 14



「く…」「ふッ!」明日香は亮太が素早く抜き放ったナイフを、動かなくなった左腕を体ごと振り回して払い、「ふッ!」右掌に育てた氷で亮太の手をナイフごと突き刺し、縫い留めた!「ぎ…!」亮太は歯を食い縛って耐えた。動きを封じられた男の悲しき抵抗であった。 15



「フウー…」今まで閉じ込められていたかのように体に侍る氷を振り落としながら、明日香は息を吐いた。亮太は知らぬが、事実、彼女は自らを凍結し爆発より身を守ったのだ。それも亮太が放つ『音』…つまり圧縮された空気を扱うことで、その強固さを確かなものとした。先に投げた槍も、それである。 16



「滲み探偵社様がいらっしゃる前のことです」明日香は低く言った。「菜摘様でしたか。斥候の。彼女に出くわしましたが、様子を不審に思って簡易エコーを実施したのです。すると、彼女の胎内から爆弾が検出されました」明日香の右手から氷が伸び、大剣を象る。「あれは、貴方の指示でしょうか?」 17



「あ…」亮太は震えた。マスクの下、自分を見つめる明日香の目には、怒りの炎が燃えていた。明確に、自分に対して向かう炎が。怒りは力の源だ。彼女は怒っていた。菜摘への仕打ちに怒っていた!「あ、あれは」「ふぅアァァァッ!」氷の棺を断ち割りながら、亮太の脳天に大剣が叩き付けられた。 18



亮太の頭を冷たいものが過ぎてゆく。脳を絶ち、それでも彼は知覚する。氷の棺をバキバキと割る振動が、刃を伝って信号に変わり、指先をアトランダムに痙攣させる。鼻。口。気道が凍り、吐く息さえも刃を育む。頸椎が割れ胸椎へ。より激しく体が揺れる。やがて心臓が割れ、亮太の意識は闇に消えた。 19



…ガラスの割れるような音と共に、二つに裂けた氷の柱が倒れた。床に深々と刺さった氷の大剣をそのままに、明日香は血の流れる肩を押さえた。自分自身を抱くように。分かれた柱のそれぞれに磔られた男の両断死体を見下ろし、重々しく息を吐く。やがて彼女の血は止まり、静かに立ち去って行った。 20



────────────────




真っ赤に染まった菜摘を、勝也はただ眺めていた。胸から腹を大きく切開され、止めどなく血を流す妹。しかしその血は彼女の体に侍り、ぶよぶよと吹き溜まる。明らかに致死量が体から抜けて尚、妹は恐怖に満ちた瞳でそれを見下ろすのみ。魔法。勝也らにとって、全く未知の力であった。 21



菜摘の顔には脂汗が浮き、食い縛った口の隙間からは血の跡が一筋。明らかに痛感を伴っている。どうすれば、どうすれば妹を助けられる?このようなものを診てくれる医者はいるだろうか?いたとして、そこまで菜摘は耐えられるだろうか。…狼狽する勝也の耳に、扉が開く音が届いた。 22



しめやかに入室してきたのは、長髪の女であった。顔の下半分をガスマスクめいた面で覆った彼女を、勝也は知らぬ。つまり。「監査官…」「いかにも、その通りでございます」女は名刺を勝也に手渡した。(株)ハイドアンドシーク諜報部13班 篠田 明日香。渡してすぐ、彼女の目は菜摘に向いていた。 23



「ア…」勝也は震えた。菜摘はまだ生きている。尋常ならぬ姿となろうと、まだ生きているのだ。それに明日香は気付いている。「や、やめてください!」勝也は菜摘を庇うように立ちはだかった。歯の根は合わず、目は泳ぐ。無様な姿で、彼は両手を広げる。「お願いします…妹なんです」「…」 24



明日香は苦々しげに目を細めた。やはりその目は、菜摘を見ている。「…彼女を助けられる病院は、私も知りません」「え」目を瞬かせる勝也。明日香は何と?妹を…助ける?目の前に一条の光が差したようであった。だが、それを妨げるのもまた、彼女だった。明日香は勝也の肩に手を掛け、押し退ける。 25



彼女の右手には力が漲っていた。それの意図する所は、瞬時に理解できた。「な、待って!」勝也は縋りついた。「菜摘はまだ生きてる!助かるかもなんだ!」「その手段を私は知りません」「だからって」「…元より、彼女も粛清対象です」明日香は絞り出すように言うと、躊躇いがちに拳を上げた。 26



迷うように昇る拳も、やがては屹立する処刑剣じみたチョップへと変わった。介錯の構えだ。明日香の迷い。秘められた怒り。それを象徴するようであり、しかし彼女は菜摘を始末するつもりなのだ。たった一人の妹を。自分の全てを、永遠に奪い去る。刹那、勝也の血液が沸騰した。「やめろーッ!」 27



勝也は拳銃を明日香に突き付けた。瞬間、彼女の目が光った。「ふッ!」銃身が掴まれると同時に凍り、握り潰される。直後、勝也の腹をボディブローが襲った。呻き声すら上げずに蹲り嘔吐する勝也。明日香は背を向け、再び処刑の構えを取る。「やめて…お願いです」勝也は、その足に縋り付いた。 28



「放してください」「殺すなら俺を」「放して!」「嫌だ!」「ッ…」明日香は勝也の首を掴み、強引に立たせる。「やめて」「何故です!」「妹なんです」「なのに何で!」「生きててほしい」「いい加減にして!」甲高い音が響いた。勝也は、明日香に打たれた頬を押さえた。冷たい痛みが広がる。 29



明日香は面を取ると、勝也の頭を菜摘へと向けさせた。「彼女が苦しんでるのがわからないの!?それを…いたずらに引き延ばすのッ!?あなたの自己満足でッ!」「ち、違…」勝也は否定しようとした。その時、菜摘と目が合った。彼女は、無言の裡に何かを訴えていた。…その目には、諦念があった。 30


「あ…」勝也はがっくりと膝を突いた。妹は、既に生を手放している。死を希うほどの痛み。今の菜摘にとって、監査官は救いであった。「それでも、俺は…」明日香が菜摘の胸にチョップを突き刺した。びくりと菜摘の体が跳ね、わだかまっていた血が解け、広がった。菜摘の体は、血の泉に横たわった。 31



血は、凍て付くことなく広がっていく。妹の命の一部だったそれが潰れてゆくのを、勝也はぼんやりと眺めていた。記憶が流れてゆく。父の蒸発。探偵となって斗った日々。互いの仕事に文句を言った夜。二人で祝った誕生日。膝が赤く濡れる。まだ温かい血が記憶を赤く染めてゆく。妹は、菜摘は死んだ。 32



「う…」「少しだけ教えて」今にも嘔吐しそうな勝也に明日香が訊ねた。「この子のお腹、爆弾が埋められてたよね。理由はわかるけど…下層ってそうしなきゃ生きられないの?」「…ああ。俺、たちは…そうだった」「トモシビの配給は?」「貰えるわけないだろ」「そっか」明日香は静かに目を伏せた。 33



勝也は何も言うことが出来なかった。彼女の姿は、悲痛であった。この監査官は、何かを本気で悲しんでいた。嗚呼、何故、何故。何故、企業の犬が…青い血を持つような企業の者が、自分たちにこのような顔を見せるのか。「…ねえ」困惑する勝也の肩を、明日香が掴んだ。 34



明日香は、真っ直ぐに勝也の目を見据える。「…私が言えたことじゃないけど…もしあなたがまだ彼女のことを愛してるなら…彼女じゃなく、あなた自身の為に生きて」「え…」「たぶん、それがこの子の望みだから」「菜摘の…」明日香は力なく勝也の肩を放すと、再び面を装着した。 35



「社には、粛清は完了したと報告しておきます。どうか今後は義しき道を歩まれますよう」明日香は一礼すると、踵を返して立ち去って行った。彼女の足跡に、血が凍り付いて固まっていた。勝也はぼんやりとその背を見送る。まるで、別世界の出来事かのように。 36



菜摘の願い。自分の為に生きる。菜摘が、自分の全てがないこの世界で。「どうすりゃいい…」菜摘の亡骸に向かい呟く。彼女の顔は、安らかである。「どうすりゃいいんだよォッ!」勝也はうずくまり、咆哮した。問いに答えるものはなく、ただ、荒涼とした冷気のみがわだかまっている。 37



──────────────



夏場は、あばら家に吹き込む隙間風も生ぬるい。クソの役にも立たない人工気象システムにカネを使う位なら、自分たちのような貧民を救済してくれと、勝也はいつも願っていた。 38



この間の仕事のお陰で、改修する為のカネはある。だが、この家にそれ程の価値があるだろうか?「うーん…悩みどころだなあ。菜摘はどう思う?」フライパンの目玉焼きをひっくり返しながら、勝也は問うた。潰れた黄身がテフロンの剥げたフライパンに広がり、固まってゆく。 39



「ヨシ…と」崩れきったターンオーバー目玉焼きを皿に移すと、菜摘のいる食卓へと運ぶ。静かに座り、朝食を待っていた。「お待たせ、ッと」朝食を並べると、菜摘の体面に座って手を合わせた。「いただきます」目玉焼きなど、年に一度食べられるかという御馳走だ。調味料はないが、それでもうまい。 40



唾を呑み、目玉焼きを箸でつまんだ、その瞬間。コトン。玄関口のポストに何かが投函されたような音がした。「ア?」怪訝そうに眉を顰め、目玉焼きを置く。「ンだよォ」ブツクサ言いながらポストを開け、確認した瞬間、勝也は口元を押さえてトイレへと走った。菜摘はぼんやりと朝食を見つめている。 41



「うぇ…げふぁ…」便器にしがみつき、勝也は嘔吐する。腹に染み入る現実を拒絶するかのように。玄関口では、菜摘が加入していた死亡保険の案内が横たわっていた。腹が開いたままの菜摘の亡骸は、静かに目玉焼きの湯気が宙に消えゆくを見つめていた。 42



…この一週間後、勝也は姿を消した。菜摘が遺した保険金は勝也が中層へ上がるに十分な新円(ニュー・イェン)であり、それを元手に中層、上層へ上って何らかの企業へ入ったか。或いは、カネの臭いを察知した隣人に叩き殺された、という噂もある。いずれにせよ、後には少女の死体だけが残っていた。 43



これは、ニッポンの下層においてはありふれた悲劇に過ぎない。誰も記録はせず、ましてや記憶にすら残さない。猥雑なネオンと人々の営みに埋もれ行く、全ては午睡の夢が如し。生の証すらやがて消える。では、彼らの存在に果たして意味はあったのか?明日香は、それに答えを出すことはできなかった。 44



少年の行方は、誰も知らない。 45




粛清完了:滲み探偵社、包帯探偵社


鱗 風切羽 車裂き 錆 白無垢 土蜘蛛 天秤 ×滲み ×包帯 水底 ×鑢


残粛清対象:8




探偵粛清アスカ

【ライフ・ライク・ア・デイドリーム】

おわり

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