【プレイヤー・トゥ・アスク・フォー・ア・スター】 #1
雨が降る。闇色の空の下、極彩のネオンは雨に滲み、光は蕩け、混じり合っていた。ニッポン仕様のレインコートがあってさえ、そこを歩く人はまばらだ。ニッポンの雨は生ける者から命を奪う猛毒。故に外を歩くものは少なく、ニッポン地表部は、皮肉にもこの死の時間こそが最も平和な一時である。 1
その平和は屋外のみに留まらない。公共避難所では極道が、見知らぬ老人に席を譲る。差別主義者のボンボンが、雨に濡れそうな下層出身労働者を招き寄せる。カラーギャングのアジトでは、敵対チーム同士が身を寄せ合って雨の通過を待つ。雨天下に於ける助け合いは、ニッポン地表の不文律だ。 2
直西濡 奴 (すぐにしぬ やっこ)が両親を亡くしたのは、雨の故だ。事故で破壊した車の中、自分を雨から庇って死んだ母の亡骸が冷えてゆく感覚は、未だ彼女の中に残っている。雨で死ぬ人は二度と見たくない。児童養護施設を抜け出してカラーギャングとなった後でも、彼女は強くそう思っている。 3
「大変ッしたね」奴はレインコートを乾かす男に声を掛けた。雨の中を彷徨していたのを奴が見つけ、アジトに連れてきたのだ。レインコートを透けて見える、仕立てのよいベルベットのスーツ。中層から仕事で来たのだろうか?「いやはやハハハ。雨宿りさせて頂いて助かりましたよ」男は快活に笑った。 4
「中層からビジネスで出てきたのですが、まさかいきなり降られるとは」「最近、あまり降ってなかったから油断しちまいまスよね」「いや、全く……ああ、私こういう者です」男は物理名刺を取り出し、奴に手渡した。天秤探偵社社長、浜口 侑斗。「へえ、探偵さんスか。どんなビズかお聞きしても?」 5
「ええ、いいですとも」侑斗は頷き、懐に手を差し入れた。それが抜かれた次の瞬間、奴の額に軽い衝撃があった。「ン…?」訝り触ると、そこには何かが刺さっていた。薄い金属の板。その先端にある短い円筒。有体に言うならば、ナイフのようなものが奴の額にあった。「え、あ、な……?」 6
「救済を少々」侑斗は言った。次の瞬間、ナイフのハンドルが節足動物の脚めいて6つに分かれ開き、奴の額を突き刺した!「いぎゅいやああッ!?」奴の中に何かが潜り、蠢いている。全神経を梳り、肉を抉り、骨を捻り、体を侵している!「あふいううううッ!」「ン、ン」侑斗はわざとらしく咳払いした。 7
「やっこチャン!?」「何かあったか!」カラーギャングの仲間が飛び込んでくる。しかし次の瞬間、彼らは凍り付いた。そこにいたのは奴ではなく、人間の肉で出来た刃の腕持つ操り人形。そうとしか形容できぬ何かだったからだ。侑斗は、オーケストラ指揮者がするかのように、優雅に指を振り上げた。 8
瞬間、人形がカラーギャングに飛び掛かった!「ごぶるるるるううッ!?」手近な一人が突き刺され痙攣!しかし人形は尚も死体に刺突を続ける。死体は瞬く間に皮を剥がれ、肉を抉られ骨を捻られ……新たな人形へと変わり果てる!「ギシッ」「あぼえッ!」人形が人間を襲い、殺し、同胞を増やしてゆく! 10
読者の中に、3年前の鴉羽戦役を経験した方がおられれば覚えている筈だ。これなるは人嚙劇«にんぎょうげき»。人間の肉体を人ならざる人嚙«にんぎょう»へと変え、操りながら感染症めいて数を増やしてゆく悪魔の兵器。そして鴉羽戦役の折にこれを使用した人物こそが彼、浜口 侑斗であった。 11
カラーギャングの全てが人嚙と変わるを見届けると、侑斗は満足げに襟を正した。「やはりクズは残虐に殺すに限るな。日々のストレスが吹き飛ぶようだ」立ち並ぶ人嚙。彼は、その額を小突きながら歩く。そして部屋に傘があるのを見つけると、柄が下になるように持った。同時に、人嚙の一体が跪いた。 12
フルスイングされた傘が人嚙の頭を吹き飛ばした!頭はピンボールめいて部屋を跳ね回り、他の人嚙のうち2体の頭をも弾き飛ばす!アトランダムに跳ね回る3つの頭は、しかしやがて一つの軌道に収束。1列に侑斗に向かう。「せいハーッ!」侑斗は傘の刺突を繰り出し、飛び来る頭を纏めて串刺しにした! 13
「ストライク!」侑斗は哄笑した。貫かれた頭は、かつて瞳があった場所から血の雫を溢した。侑斗が傘を投げ捨てると同時に、人嚙の群れは、首なしのもの諸共に歩き出した。彼らは雨の中をも闊歩する。彼らは未だ生きている。しかし雨では死なぬ。人嚙劇という呪いが、彼らの命を縛り付けている。 14
それでなければならぬ。生きていなければならぬ。荒覇吐の塞への供物は、命でなければならぬのだ。侑斗は誓う。このナゴヤの全てを捧ぐ。それを以て、ニッポンを覆う全ての悲劇を終わらせよう。荒覇吐の絶対統治によって。降雨予報では、1時間後に雨が止む。それが、作戦開始の合図だ。 15
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ナゴヤ・シティは、『鎖国』後の動乱で最も深く傷ついた都市の一つだ。『鎖国』と同時に出現した《戦車》というマルファクターに支配され、魔界と化したのだ。《戦車》は数年の後に『爪』と名乗る男によって打倒されたが、未だその影響は長く尾を引く。例えば、旧ナゴヤ港などがそうだ。 16
旧ナゴヤ港は『ニッポンで最も地獄に近い場所』の一つに数えられる(そう呼ばれる地域は多数存在する)。空間を完全に無視したコンテナ埠頭。人食い水族館。港に魂を奪われた生死者がそこかしこに徘徊し、命を寄越せと訪れた者を喰らう。それを喰い漁らんと、Wi-Fi怪物マルファクターが集まる。 17
そんな場所を間近に抱えて尚、人々は力強く生きている。闇の中には何度でも炎が灯り、生まれた光が人々の営みを照らす。人々の営みが復興するほど、照らす光が強くなるほど、その先にある影はより濃くなる。未だ人は闇の中に縋るしかなく、その中に生まれた影には、後ろ暗き者が蠢くのだ。 18
旧ナゴヤ港、亜空間コンテナ埠頭にて睨み合う集団あり。否、それは睨み合う集団ではなく、一人と多……否否、一人と一人。そして日和見する多数という構図である。そしてその一人は眼鏡を掛けた長身の男性、そして刀を持った麗しき女性。読者諸兄は彼らを、白無垢探偵社を覚えておいでだろう。 19
白無垢探偵社は、かつて監査官代理が斗い、粛清し損ねた探偵社である。社長である香田 文宏こそ打ち倒したが、他の中核探偵は外部インシデントにより逃げ延びていた。その後、彼らは活動を続けており……ここ、ナゴヤに来た。同じく荒覇吐の降臨を目指す天秤探偵社の依頼によって。 20
「もう一度言ってみろ」刀の女性、白無垢探偵社社長代理・土師 水琴が凄んだ。虎をも射殺さんばかりの圧力が発散される。眼鏡の男性・川上 康生は、それを真正面から受け止めた。「何度でも言いましょう」康生の声音は、あくまで冷徹であった。だがそれは、裡に何かを秘めた冷たさであった。 21
「我々白無垢探偵社は、今すぐ本件から手を引くべきです」「貴様…」水琴の瞳が煮え滾った。2つの指輪が寄り添うように取り付けられたネックレスが、不満げにちゃりちゃりと鳴った。「怖気づいたか。それともまた利口ぶって、自分だけが何かをわかった気になっているのか」「ええ」 22
康生は言い切った。「浜口 侑斗は危険です。選民思想に歪み、凝り固まっている」「それは貴様の感想だろう」「数値化できるものではありませんので。ですが3年前の鴉羽戦役で、人嚙劇«にんぎょうげき»を使ったのが誰かを忘れたではないでしょう。そんな男が前線に出てくるのです」 23
「あれは既に破壊されている。何より、天秤探偵社は我々と目的を同じにしている」「荒覇吐の塞ですか」康生は静かに目を伏せた。「それが訪れて、今のニッポンと何が変わるのです?今一度、考え直さねばならぬ時が来たのではないですか」「私に迷いはない。それが死した夫に、文宏に誓ったことだ」 24
「なら尚更だろうがッ!」声を荒らげる康生。「忘れたのかよ。文宏の最後の斗いを。あいつが最後に臨んだのは正義なき斗いだ。それを忘れたかよ」康生の言葉には、彼自身の無念が滲んでいた。通すべき筋と理想の狭間で葛藤する理念があった。しかし水琴は、彼を憐れむように見るのみであった。 25
「…今までは。私の幼馴染だから。そして文宏の友だからと、お前の怯懦を見過ごしてきた。だが、だからこそ。文宏への侮辱は許さん」「それはどっちだと…」康生が詰め寄ろうとしたとき、彼の喉元には抜き身の刀が突き付けられていた。水琴は、冷ややかな視線を向けた。「…」「立ち去れ」 26
「…」「川上 康生。お前を白無垢探偵社より追放する」「水琴」「失せろ。臆病者」水琴は刀を収めると、背を向けて歩き出した。コンテナを開き、中に入ると、彼女の姿は消えた。周囲に侍り、成り行きを見ていた探偵たちが一人ずつ、躊躇いがちに歩き出した。最後の一人が消え、コンテナが閉じた。 27
後に残ったのは、立ち尽くす康生のみ。彼は暫し、閉じたコンテナを見つめていた。旧ナゴヤ港のコンテナは、全く別の場所に繋がっている。マントルや『海外』に繋がるものも珍しくはなく、最新版の地図を持たぬままに追うのは全くの無謀。そしてそれは、彼にだけ持たされぬものであった。 28
噛み付かずとも、水琴はここで自分を見離すつもりがあったのかもしれない。そしてそれは、無理からぬことなのだ。最愛の夫を奪われ、それで尚、常に冷静でいるなど出来よう筈もない。それでも康生は、水琴に冷静であることを強い続けた。…この結果は、康生にとって予測の範囲内であった。 29
そして彼は『文宏が志半ばで斃れたら、彼に代わり水琴を助けてゆく』と、生前の友と約束していた。ならば自分には義務がある。否。ただ、そうしたいのだ。それに何より友の夢に、誰もが理不尽に踏み躙られることなき世界に乗っかって、良からぬ何かが入り込もうとしているのが気に入らなかった。 30
今はまだ可能性に過ぎぬ。だがかつて、浜口 侑斗は非戦闘員の非難区域で人嚙劇を使用した。そのような残虐な男が前線に出、何かをしでかさないとは思えない。康生は、プランBの発動を決意した。即ち、自分の手で天秤探偵社を探り、要すれば止めるのだ。 31
浜口 侑斗は特等探偵であり、康生よりも遥か格上の相手だ。しかし康生には何の迷いもなければ、躊躇もなかった。それは果たして恐怖を乗り越える理性と勇気の産物か、或いは狂気の故なのか。港の外に向かって歩き出した康生には、それに頓着するような分別は残っていなかった。 32
…漏斗探偵社社長・牧村 洋二は、目の前の事態を受け入れられずにいた。凍り付く社屋。凍て砕け死んだ部下たち。その中に佇む鬼。監査官代理。突如として襲来してきた厄災の前に、成す術もなかった。篠田 明日香は舞い上る氷の塵を踏みつけ、洋二を掴んだ。 33
「天秤探偵社との繋がりを言え」「し、知ら」「ふッ!」「ぎびッ」洋二の肝臓が破裂した。膵臓が凍結し、切り裂かれ、粉砕した。拷問を行う明日香の目は、憎悪と絶望が巣食う洞であった。彼女は既に何度と殺戮と拷問を繰り広げている。天秤探偵社に近づく為に。漏斗探偵社も、その一つでしかない。 34
…九龍もまた、天秤探偵社を追ってナゴヤを訪れていた。彼は明日香とは全く異なるルートから情報を手に入れ、そして辿り着いたのだ。公共避難所のガラス窓より、雨に滲むネオンの光を見下ろす。このどこかに、敵がいる。打ち斃し、背後にあるものを解き明かさねばならぬ。生きる為、自分の力で。 35
…ツクバ跡地、コキュートス・エクス・マキナ最奥。《セト・アン》は一双の手袋を掴み、立ち上がった。原 宏樹は先んじてナゴヤへと向かった。それの何が己の贖罪と繋がるかは未だ杳として知れぬが、しかし約定だ。それは、果たさねばならぬ。そうして彼もまた、ナゴヤへと向かう。 36
…タイムリープは、銃をコートにしまうと立ち上がった。よくわからないが嫌な予感がしていた。荒事は歓迎だが、監査官代理、そしてツクバと立て続けに巻き込まれると流石に辟易する。ホテルを後にしようとするが、ふと見た窓の外では雨がネオンを滲ませていた。「シット」彼はベッドに座り込んだ。 37
…パンク・ロックバンド『耳狩芳一』元ギタリスト、清原 正吾は、街頭テレビにて地表に雨が降っていることを知った。TOKYOからナゴヤ・シティはサブウェイが伸びていない。帰るにはハイウェイ便のバスが必要であり、しかし雨を厭った彼は携帯端末を取り出し、味噌カツが食べられる店を探し始めた。 38
…名古屋テレビ塔。都市のど真ん中にあるここもまた、《戦車》の呪に縛られ続ける地である。魔の香気が満々たここに、しかし於炉血はいた。彼は楽し気に笑い、雨を眺めていた。己がいずれ乗り越えるべき障害。果たして、それはどこまで成長しているだろう? 39
…ディーサイドクロウは、雨の街を好んでいる。人の息があり、しかし静寂に包まれる雨が。コンビニエンスストアの軒先で温か肉まんを味わいながら、彼は待っていた。このナゴヤで起こる惨事を。それを事前に止めるつもりは、彼にはない。肉まんを齧る度にポニーテールが楽し気に揺れ、赤が走る。 40
如此、戦士たちはナゴヤに集う。戦を起こす者。巻き込まれる者。それを知り、抗う者。或いは全てを操らんとする者。戦士は祈らない。ニッポンは既に天に見放されているからだ。故に彼らは、ただ、全てを以て斗うのみ。それこそ、彼らの信ずる道であるから。 41
探偵粛清アスカ
【プレイヤー・トゥ・アスク・フォー・ア・スター】 #1
(つづく)
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