【プレイヤー・トゥ・アスク・フォー・ア・スター】 エピローグ

天を裂く彗星めいた光が瞬き流れ、ぶつかり、離れた。於炉血とディーサイドクロウは、己の世界より互いを威圧的に睨む。於炉血の右腕はほぼ肉のみで繋がる有様であり、体も大きく抉られていた。対するディーサイドクロウの傷は少ない。互いの世界を侵略する斗いにあっても、彼に一日の長があった。 1



彼らは、遥か下方で起きたことに気付いていた。殺戮の気配の希薄化。即ち天秤探偵社社長『血風劇場』浜口 侑斗が敗北、死亡したのだ。「終わったみたいだな?」ディーサイドクロウは肩を竦めた。「まあ、アレが死んだくらいでオマエの予定が崩れるとは思えないけど」「…よくわかってるじゃないか」 2



「そうだよなあ。今のところ、予定外はあの子を殺しちゃったくらいだな?それくらい、オマエならどうとでもリカバリーできるよな」「…チッ」於炉血は忌々しげにディーサイドクロウを睨んだ。ディーサイドクロウはニヤリと笑い、キャンディの包みを解いた。「行けよ。気が変わった、見逃しちゃる」 3



「…何?」於炉血は訝るように目を細めた。相も変わらず、この男の思考は理解不能だ。未来がわかるなどという妄言を吐き、それに基づき誰にも何も言わず、訳のわからぬことをしでかすディーサイドクロウに、於炉血は苦手意識を抱いていた。しかも質の悪いことに最強で、今の自分に勝ち目はない。 4



『オロチ』は『ディーサイドクロウ』を睨みつけたままビジョンをくねらせ、数m後退った。『ディーサイドクロウ』の襲い掛からぬを確認すると、そのままに下向き、地へと飛翔してゆく。ディーサイドクロウは、己の世界の中から、その背を見ていた。 5



次の瞬間、ディーサイドクロウは己の世界から飛び出した。『ディーサイドクロウ』のビジョンが解け、渦めいて本体に諂う。「せいやーッ!」彼はそのままに飛び蹴りを放ち、真っ直ぐに『オロチ』の背を狙った。「来ると思ったよクソが…ッ!」於炉血は毒づくと、目を閉じ、集中した。 6



そのビジョンを、爪めいた飛び蹴りが抉った。「せいやアアアアーッ!」「あぐ、う、ぎ…!」螺旋を描く致命。それが己の世界を引き裂いてゆく痛みに、於炉血は耐えた。背から止めどなく血を流し、肉を溢し、その歯が砕けんばかりに食い縛られる。その瞬間、於炉血の目の前に、道が開けた。 7



中空に開いた裂け目。金色の星羅が縦横無尽の道となって連なり、蒼白な銀貨が『恐怖』の視線を投げ落とす空間が覗く。次元の狭間、ロシュ限界の迷宮。ディーサイドクロウはそれを認識した瞬間、舌を打って『オロチ』より飛び離れた。『オロチ』は、体をくねらせながらそこへと潜り込んだ。 8



直後、裂け目が閉じ、於炉血の姿は消えた。自らを取り巻く螺旋の中で、ディーサイドクロウは憮然と顔を歪める。ロシュ限界の迷宮は、三千世界最高クラスの超絶危険獄滅死狂領域。彼とて準備もなく飛び込めば、死の危険が大きいのだ。ディーサイドクロウの背で黒い世界が弾けた。落下が始まった。 9



腕組みながら真っ直ぐに、スケルトン競技めいて頭を下向けると、そのまま於炉血に考えを馳せた。あのまま死ねば楽ができる。しかしそうなれば、自分の知る未来と乖離してしまう。於炉血が世界の支配を会得したのは予定通り…ならば於炉血はあそこを生き延びるだろう。((いいんだろうな、これでよ)) 10



ディーサイドクロウは嘆息し、考えるのをやめた。開かれた目にはニッポンの国土が映っている。泡めいた光の塊が揺蕩うそこに、穿たれた闇があった。ナゴヤ・シティ。ひとつの地獄が終わり、崩れて消えた都市。ディーサイドクロウは体を傾け、そこへ向けて落ちた。 11






探偵粛清アスカ

【プレイヤー・トゥ・アスク・フォー・ア・スター】 エピローグ






荒涼とした風がナゴヤ跡に吹く。地表から下層までを貫く大穴が開かれたここは、じき人類生存圏としての機能と役割を喪失するだろう。あるじを失った人嚙≪にんぎょう≫はその場にへたり込み、身動ぎもできぬまま、血の涙を流していた。いずれ入り来る獣に彼らは食われ、ようやく安息するのだろう。 12



僅かに生き残った人々は、外部より訪れた(株)ハイドアンドシークの庇護の下、牛歩じみてはいるが、避難が始まっていた。天秤探偵社社長・浜口 侑斗の死より3時間。死した都市の後片付けを、篠田 明日香は見下ろす。千切れた左腕を機械が覆い、《セト・アン》がそれを動かしていた。 13



「ふんッ!」「いっだァァッ!?」《セト・アン》がスパナを思い切り回すと同時に、明日香の体が跳ねた。「え、ちょ、ちょっと…」清原 正吾が、肩を震わす明日香と悪戯っぽく笑う《セト・アン》を見比べる。「大丈夫なんですか?コレ」「大丈夫だって。神経繋いだだけからさ」 14



「…《セト・アン》」明日香は恨めし気に呟くと、たった今繋がれた機械の左腕と、それを作り上げた《セト・アン》を見比べた。「仮初とは言え義手を作ってくれたのは有難いです。が、神経繋ぐ前には声を掛けてほしいと言った筈です」「僕が作った武器をいきなり壊しやがっただろ。これでチャラだ」 15



「ヌウ…」「とにかく、落ち着いたら専門機関は絶対に訪ねな。本当に応急でしかないからさ」言うと、《セト・アン》は立ち上がった。「あ、あの……ありがとうございました」正吾が頭を下げる。《セト・アン》はちらとそれを見ると、肩越しに手を振りながら去って行った。 16



ややあって明日香も立ち上がり、正吾と共に歩き出した。荒涼とした風がナゴヤ跡に吹く。血と死に塗れ、命の残滓、その哀切を孕んだ風が。瓦礫を揺すり、通りを抜け、泣くような音を立てながら、屍と化した街を風が吹く。そこに動くものは明日香らの他、何処かへ向かい歩く牙だけだ。 17



「ねえ、明日香」正吾が、それを見下ろしながら問うた。「明日香はいつもこんな斗いをしてるの?」「…ここまでじゃあないよ。大体はね」明日香は腕組み答えた。風が髪を流す。「たまに大きな斗いもないじゃない。けど、都市がひとつ滅ぶほどとなるとね」「……そうなんだ」俯く正吾。 18



「確かにひどい斗いだよ。仲間も死ぬ。私も…友達が死ぬなんて、正直言って、想像できてなかったと思う。だとしても、斗うべき時に斗わないことは…私は、やりたくないから」「……そう。そう、だよね」正吾は躊躇いがちに頷いた。「明日香らしいよ。けど、無理はしないでほしいかな」 19



「それ、私に言う?あんなに命張っておいてさ」苦笑する明日香。正吾はばつが悪そうに頭を掻く。それきり、二人の間に言葉はなかった。暫く歩き続けた二人の先に、白い牙…象牙≪アイボリー≫が現れる。ひどく傷つき、体を赤黄色く染めた彼は、二人を認めると、鋭い爪をひらひらと降った。「よっ」 20



「カツ、お待たせ」「うんにゃ、全然よ」カツは軽く言うと、正吾の隣に立つ女に目を流した。数秒の間、頭から爪先までを値踏みするように見る。「成程、アンタが正吾の彼女さんか」「ええ。こういう者です」明日香は名刺を差し出した。カツはそれを器用に摘まむと、しまった。 21



「いい目だな。本物の戦士の目だ」「恐縮です」「俺はカツ。昔、正吾と同じバンドで演ってたことがある。正吾って意外とアホだろ?」「そうなんですよね。変なところで無駄に真っ直ぐと言うか」「わかるわ。結局それでバンド抜けちまうし」「ちょっと、二人とも」盛り上がる二人を正吾が制す。 22



「明日香、行かなきゃいけない場所あるんでしょ。早く行きなって」「う、そうだった…」明日香はやや不満げに唸ると、カツに手を差し出した。カツが鉤爪のままその手を握り返すと、明日香は小走りに去って行った。「目と手でわかる。いい人じゃねえか、彼女」「だろう?」正吾は笑った。 23



だが直後、顔を引き締めた。「で、こんなところまで呼び出したのは、まさか惚気話を聞きにじゃないよね?」「いや、ノロケ聞きたくってよ……」「帰るよ、僕」「待て待て。冗談だっての」踵を返そうとした正吾を、カツは引き留めた。正吾は溜息を吐くと、カツが見ているものに目を向けた。 24



眼下で、集まり来た牙が互いに相争い、喰らいあっていた。引き裂かれた装甲から赤黄色い液体が流れ、複数の牙が群がり、啜る。「カツ……!?あれは何をしているんだ!?」「見ての通り、共食いさ。牙の根幹に根差すコマンド、つまり正常な動作だ」カツは言った。 25



「牙は与えられた命令を終えた後、共食いするようにできている。そして最後に残った一人が完全な自由を得……俺みたいな象牙になるのさ。喰った牙の全てを背負ってな」「カツ…」「俺がバンド演ってたのもな、俺の中で誰かが音楽を演れって叫んでたからなんだ。俺が喰った牙の誰かが」 26



「…」「他には料理人になりたがってたヤツもいたな。保育士や教師。色んな夢を持つヤツがいる」カツは腕組み、正吾を見た。「牙ってのは何なんだろうな。落伍者の救済なのか?オマエはどう思う?」「うーん…」正吾は天を仰いだ。LEDの空には大穴が空き、その果てに闇が滔々と広がる。 27



「僕にはわからないな。川上さんと牙の製造工程を見る限り、きっと人を傷つけることにも使われるだろうから」「…」「だからそれは、君たち象牙の一人一人が向き合うしかないんじゃないかな」「…そう、だな」カツは装甲に覆われた口角を上げると、再び牙の共食いに目を向けた。 28



「けど、俺とコイツらには決定的な違いがある。正吾、オマエの言った通り、牙の用途の大半は戦争や殺人だ。俺もそうだった。けどコイツらは違う。今日ここで生まれたコイツらは、少なくとも望まれて生まれた」「……」「俺はそれが、少しうらやましいんだ」カツは、ぽつりと呟いた。 29



「なあ、カツ」「ン?」「もう一度…もう一度、僕と音楽演らないか?」「へッ?」カツは頓狂な声を上げ、正吾に振り向いた。真っ直ぐに己を見つめる彼を見、カツは目を瞬かせる。「ンー」唸り、肩を竦める。鋭い爪で頭を掻きながら言葉を紡ごうとする。正吾は、それをただ、待っていた。 30



「今はやめとくよ」ややあって、カツは言った。「そっ……かぁ」「いや何」カツは共食いする牙を示した。それはほぼ決着を見せており、最後に残った2体の牙が、互いに噛み付き喰らいあっている。「もうすぐ、新しい象牙が生まれる。生まれたてのガキンチョは……誰かが育ててやらないとな」 31



「それもそう、かな?」「そうだ、そうだ」「落ち着いたらまた考えてよ」「応。オマエも今は就活頑張れよ」カツは大儀そうに立ち上がった。瓦礫を飛び降り、最後に生き残った牙へと歩み寄る。全身を赤黄色く汚したまま不思議そうにカツを見る牙の頭に、彼は手を置いた。「ハッピーバースデー」 32



────────────────



都市地表に開く大穴の縁、土師 水琴は瓦礫に腰掛け、泣くような風を受けていた。地に突いた刀から、不規則な振動が伝わる。全く破壊された地中発電床の断末魔だ。不随意運動じみたそれは、都市亡骸の屍、その痙攣じみていた。 33



水琴の隣に立つのは川上 康生のみ。それ以外の白無垢探偵社は皆、死んだ。その端は自身の愚かに発すると、水琴は知っていた。そこに何も返せる言葉がないことも。ただ、その事実を受け止めることしか、水琴にはできない。風は水琴に涙さえも許さぬように、或いは代わりに泣くかのように吹く。 34



「水琴さん」思案する水琴に声掛けるものあり。水琴はちらと声の方を見る。ぬばたまの髪を風になびかせた少女と、男がもう一人。「…明日香。早かったじゃないか」「む。そうですかね」「そちらは?」「原 宏樹。篠田 明日香の同僚だ」「ここに来る途中で合流しまして」「そうか」 35



水琴は宏樹と挨拶を交わすと、再び都市の亡骸へと目を向けた。そして、沈痛な面持ちで言った。「我々の任務のひとつは、浜口 侑斗がナゴヤへ入る道を用立てることだった。畢竟、この光景は我々が…否、私が作り出したに等しい」「…」「平和というものに、この光景と同じ価値があるのだろうか」 36



明日香は顎を擦ると、ちらと宏樹を流し見る。宏樹は顎で明日香に答えるよう促した。ふむ、と明日香は唸り、ややあって答えた。「平和そのものの価値は、私には量りかねます。何せ私は、それを享受したことがありませんから。いえ。それは私に限った話ではないでしょう、ただ」「……」 37



「きっと、それ自体はとても素晴らしいものなのではないでしょうか。優れた人物の多くがそれを目指している。方法に多くの問題はありましたが」「…」「それでも今のニッポンは暗い。だから我々には光が必要なのです。冷たく空っぽな黒い心の上に乗せ、闇を小さく照らす為の光が」 38



「それでも道を誤ることはあるだろうな」「その時は、少しだけ道を戻ってみませんか。歩める道ってきっと1つじゃないんです。分かれ道に戻って、また迷いながら踏み出してみませんか」「そうやって迷う内、愛する者を失ったらどうする」その質問の瞬間、淀み無く答えていた明日香の口が止まった。 39



音が鳴るほどにきつく拳が握られる。そこから絞り出すように、やがて口を開いた。「…それでも私は、迷い続けます。いつかその人の魂が帰るべき懐かしい未来はきっと…迷わずして見つけられるものではありませんから」「…そう、か」水琴は静かに頷いた。「強いな、貴公は」 40



そして彼女は、都市へと目を向けた。風が吹く。血と死の臭いを孕んだ風が。落ちた静寂を浚ってゆくかのように。そして風は、都市の穴へと落ちてゆく。淀みを目指し、低きに向かって流れてゆく。「明日香、頼みがある」やがて水琴は口を開いた。「私を…殺してくれ」 41



「……えっ?」明日香は目を瞬かせた。咀嚼するかのように考え込む彼女に対し、水琴は続けた。「貴公は恐らく、私を見逃すつもりだったのだろうな。だが企業はそうはすまい。ナゴヤ崩壊の共犯としての責任を問い、我々白無垢を全く惨殺処刑せねばならぬだろう。落とし前というやつだ」 42



「ですが、実行犯である天秤探偵社は我々が…」「確かに斃したな。それで企業は納得はしないだろうな。都市の崩壊を企てたとは即ちニッポンそのものへの宣戦布告であり、ならばそんな者を生かしておく道理はない筈だ。加え我々には《セト・アン》殿ほどの特異性も、利用価値もない」「……」 43



「私の死は、もはや避けられない。だが康生はどうだ。それには口実が必要だ。監査官代理が私を殺し、白無垢探偵社を粛清したという口実がな」水琴は淡々と述べた。全てを受け入れ受け止めた、超人の如き芯が通った声、そして言葉であった。「し…しかし」明日香は狼狽し、震える目で康生を見た。 44



「川上さん。貴方はいいんですか」「二人で話して決めたことです」康生は眼鏡を押し上げた。彼の声は、僅かに震えていた。「一人でも生きていれば、白無垢は死なない。ただ…監査官代理殿。貴殿の意志は、嬉しく思います」彼もまた、全ての結末を受け入れていた。明日香に継げる言葉はなかった。 45



明日香は、自らの同僚に縋るような目を向けた。しかし彼は腕組み、厳めしく明日香を睨んでいた。「…彼女の言は正しい。貴様が殺らねば、彼女たちが守ろうとしたものが虚しく消え去るであろうこともだ」「……だったら」「お前が殺るんだ」宏樹は端的に言った。「それが、監査官だ」 46



明日香は沈黙した。道理。監査官代理。なんと重苦しい肩書か。それを背負うことの痛み。必要な覚悟を、明日香は知った。だが、今、この場で痛みを恐れているのは、自分だけなのだ…。「…わかり、ました」「ありがとう」水琴は頷き、後ろ髪を持ち上げた。明日香は水琴に歩み寄り、手刀を掲げた。 47



風が吹く。血と死の臭いを孕んだ風が。死んだ都市のあわいを抜け、瓦礫を揺すり、泣くような音を立てる。明日香は手刀を振り下ろした。水琴の首が落ちた。それは転がり、都市に開いた大穴へと飲み込まれて行った。座ったままの水琴の亡骸から、血が吹き出した。紅蓮のような赤もまた、都市へと。 48



涙と共に視線を注ぎながら、明日香は拳を納めた。「…斗いには、こんな痛みが伴うこともあるんですね」「ええ。そして生きることは、遍く斗いです」康生が言った。「しかし、傷はいつか塞がる。痛みはやがて風化する。我々にできるのは、それを深く記憶に留め置くことだけです」「…」 49



「篠田殿。貴公もこの斗いで、友の死という痛みを背負ったではありませんか。それでも、我々は生きねばなりません。死した友の為ではなく、自分たちの為に。彼らの存在を、痛みを呪いではなく、生きてゆく勇気に変え、生きてゆくしかないと思うのです。そしてその為に、小さな光が必要です」 50



「光?」「先程、貴公が言った光です。我々の足元を照らす、小さな光です。それはきっと、いつかの昔。このニッポンの空にも瞬いていた…………」康生は天を仰ぎ、息を呑んだ。「篠田殿。原殿」そして言った。「見てください」声を震わせる康生。明日香と宏樹は、不審がりながらそれに倣った。 51



天の闇に亀裂が走っていた。金色に瞬く光が覗き、闇の国に微笑む。「星…」宏樹が呟いた。それきり、誰も何も言わなかった。か細い金色を、ただ、瞳に焼き付けようとしていた。足元を照らすことすら覚束ない弱々しいものでも、確かに光なのだと。その光を忘れまいと。星はただ、静かにそこにある。 52






×鱗 ×風切羽 ×車裂き ×錆 ×白無垢 ×土蜘蛛 ×天秤 ×滲み ×包帯 ×水底 ×鑢

×鎖 歯車


粛清暫定完了

※歯車探偵社は障害としての粛清対象であった為、粛清期限は設けないものとする。






「せいやーッ!」その瞬間、裂帛が轟いた。明日香が振り向き、康生に向け飛来したものを掴み取る。クナイじみた短剣。柄尻から伸びた鎖は闇の中へと連なる。天より来たる弱々しき金色の光が、闇の中に血色を描く。流れるような血色の照り返しを。「何をいい感じに終わらせようとしてんのサ」 53



ニッポン最強の男、ディーサイドクロウが獰猛に笑った。「班長…」「お?星が見えてるじゃねえか。最悪の凶兆だな。ヒヒヒ」「班長。これは何事です」咎める宏樹に目を流し、ディーサイドクロウは肩を竦めた。「何事はこっちのセリフだ。監査官代理が、何をトチ狂って探偵の肩を持ってんのかね」 54



「白無垢探偵社の粛清は完了しました。彼は社長の……独断専行に、振り回されただけの被害者です」「粛清ッてのは、対象探偵社を鏖にして見せしめにするッて意味だぜ?」「その必要性は見出だせません」「必要性。そんな言葉、教えたことはねえけどなあ…だが必要性と言えば、だ」 55



彼は開かれた目をぎょろつかせ、宏樹を見た。「原。何故、篠田を斬らない?背信社員の退社処理は処刑者の仕事だって、申し送った筈だな?」「…篠田のサポートせよとも言われました。そしてこいつに背信行為は見られていません」「ならどういう了見で、殺すべき探偵と仲良しこよしをしてんだ?」 56



「先に篠田が述べた通りです」「悩んで迷ってウジウジしてばかりの意気地なしが言ったことを真に受けると?」「だからこそ、こいつには見えるものがあります。俺の給料分の補佐をするに値するものです」宏樹はナイフを抜いた。「それを切り捨てるなら、俺たちは班長と刃を交えねばなりません」 57



ディーサイドクロウは二人を真っ直ぐに睨め付けた。圧倒的、あまりに圧倒的な殺気が放出される。星の核ごと圧し潰さんばかりのそれに、二人は耐えた。康生は、ただ、状況に呑まれまいと必死に意識を握り締めていた。…やがてディーサイドクロウは静かに微笑み、肩を竦めた。 58



「篠田、手ェ放しな。怪我すっぞ」「…」「放せって。危ないよ」「…」「放せよ!別にもうその人襲わねえッて!」「……ああ、そういうことですか」宏樹ががっくりと肩を落とした。「篠田。本当に大丈夫だ。班長、こういう試しは悪趣味が過ぎるからやめてくれと、もう5回くらい言ってますよね」 59



「7回だな。ヒヒヒ」「…え?」明日香は困惑のままに手を放す。瞬間、鎖は巻き取られ、ディーサイドクロウの袖口へと消えていった。彼はそのまま康生に歩み寄ると、120°のお辞儀と共に名刺を差し出した。「まずは突然の非礼を詫びましょう。自分はこういう者です」「ああ、これはご丁寧に…」 60



「…どういうこと?」二人の名刺交換を見ながら、明日香は宏樹に訊ねた。「テストだよ。恐らく、俺たちが監査官と処刑者、それぞれの肩書を正式に引き継げるかどうかのな」「うえ…こういう心臓に悪すぎるテストはマジやめてって10回くらい言ってるのに…」「13回だ」ディーサイドクロウが答えた。 61



「……」宏樹はディーサイドクロウにつかつかと歩み寄ると、無言で平手打ちを見舞った。明日香はその肩を掴み、膝にローキックを放った。ディーサイドクロウは倒れ込むが、既に地にはまきびしが巻かれていた。「ぎゃああ!」「…随分と、良好な関係を築けているようですな」康生が呆れた。 62



「ほんとッスよ…チキショー、覚えてろテメエら」「別にいいじゃないですか。班長最強なんだから」「痛ぇモンは痛ぇんだよッ」ディーサイドクロウは起き上がり、体からまきびしを抜く。「クソ、たくさん褒めてやろうと思ってたのに…もうぜってー褒めてやんねー」「じゃあご褒美だけください」 63



「うわ、何コイツらひっどい…オラ名刺出せ。ご褒美やるから」宏樹と明日香は、素直に従った。ディーサイドクロウはそれを受け取ると、何事かを書き加え、印鑑を捺して返した。二人の名刺は、それぞれの肩書…監査官代理、処刑者代理の『代理』が二重線で消され、訂正印が捺されていた。 64



宏樹が戦慄いた。「班長、これは…!」「おれの権限で、今この瞬間。オマエたちを正式に監査官及び処刑者として認める。強くなったよ。二人ともな。業前じゃなく、心がな」そしてディーサイドクロウは、二人の頭を乱雑に撫でた。「班長ォォォーッ!」宏樹が名刺を掲げながら跪いた。 65



「ほんに忙しいやっちゃなオマエ…」「班長」明日香は努めて冷静に言った。「正直にお答えください。これは、必要だから行った処置なのではないですか?」「おっ…いいね。察しもよくなった」「原がアレなだけです」明日香は言い切った。「班長。この場での引き継ぎが、何故必要だったのでしょう」 66



「権限の問題だ。クローンレイブン…オロチが存在する以上、粛清はまだ終わってねえ。けど、これ以上に突っ込むには正式に監査官、処刑者じゃなきゃいけないからさ」「…度々思うんですが、班長。ひょっとして、着々と退職の準備を進めてませんか?」「あ、バレた?」「え!?」宏樹が身を起こした。 67



「いつまでもおれに引っ付いてるワケにゃいかねえだろ。おれだって死ぬかもしれねえんだし。だからオマエら育ててたんだぜ?」ディーサイドクロウはキャンディを舐めた。「オマエらなら、もうおれがいなくても大丈夫だよ。最後、知るべきことを知ったらな」「……」「さ、行くぞ。支社の跡だ」 68



ディーサイドクロウは康生に一礼すると、歩き出した。宏樹もまた、それに倣った。明日香は、彼の前で止まった。「川上さ…川上殿」「言い直さなくとも結構です。どうされましたか」「後程、少々お話できませんか?ビジネスのことなんですが」「構いませんよ。格安で引き受けましょう」 69



康生は明日香に微笑んだ。それを受けながら、明日香はディーサイドクロウらの後を追った。斗いはまだ終わっていない。完遂する為に知らねばならぬこととは何か。明日香は歩く。ハイドアンドシーク支社のある地下へ向け。闇の中へと、歩いて征く。 70



───────────────



黄金の星羅が列なって、縦横無尽に道を成す。蒼白な銀河が『恐怖』の視線を投げ落とし『オロチ』を苛んでいた。次元の狭間、ロシュ限界の迷宮。或いは、こここそが真実の世界。それ故、ここは人間の耐えられる空間ではないのだ。それでも、於炉血はここを通らねばならない。逃げなければならない。 71



計画を始動してより、彼は何度とここを訪れていた。しかしその時とは、全く事情が違う。ただの敗走。今の彼に、周囲を見る余裕などありはしない。そんなことをしている間に、死神が追跡してくるかも知れぬのだ。於炉血の抱く恐怖は、視線によって増幅されたものであることに、彼は気付いていない。 72



だがしかし。或いは、だからこそ。研ぎ澄まされた感覚は、時として祝福を与えるのだ。於炉血は、それに気付いた。故に、逃げる足を止めた。「嗚呼…」息を漏らす於炉血。彼の目の前には、胎児のようにぼんやりとした、小さな形があった。「奇跡だ……」於炉血は、震える手を伸ばした。 73



「こんなところにいたんだね……九龍……!」 74






ニッポン滅亡決定まで:24時間






【プレイヤー・トゥ・アスク・フォー・ア・スター】

おわり


探偵粛清アスカ

The purge is not over…!!

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