【プレイヤー・トゥ・アスク・フォー・ア・スター】 #3
ニッポンの都市は、大別して5つの区画から成る。『海外』からの観光地、そして中小企業のオフィスが並ぶ『地表』。ベッドタウンとあらゆる企業のオフィスがある『上層』。高級住宅と大企業の秘密実験場が整然と並ぶ『中層』。スラムにして無法地帯『下層』。そして最も身近な魔界『最下層』だ。 1
上層~下層はそれぞれ4つ、合わせて12の階層で構成される。最下層は蚩尤戦争の折に発生し、第12層と繋がったものだ。12層は狂気の世界との狭間『境階』と呼ばれる領域と変わり、そこの生まれでもない限り、まともな神経を持つ者は近づかない。 2
しかし境階とて都市の一部。気象管理システムや各種警報は未だ生きている。白無垢探偵社の仕事は中央管理区画に侵入し、全て警報を作動させ、全市民をナゴヤより退避せしめることだ。彼女らは、天秤はこの作戦に無用な犠牲は出さないと信じている。そして今、地表で起きていることを知らない。 3
薄暗い管理区画通路に、換気扇の音が腹の底を揺さぶるように低く響く。満ちた冷気を分けるように踏みしだきながら、土師 水琴は歩みを進める。その足には信念が満ち、腕には力が、目には意志が宿っていた。悪徳蔓延るこの国に、僅かな正義を打ち立てんとする意志が。 4
踏み分けた冷気から、殺気が立ち上り、肌を切りつける。この感覚には覚えがあった。激戦の予兆。僅かに後ろを顧みれば、着いて来たりしし部下の探偵らもまた、既に覚悟は完了していると見える。例え死しても、この任務は遂げねばならない。その覚悟や由。水琴は、中央管理室の扉を蹴り破った。 5
モニターとコンソールが並ぶ無機質な部屋は、氷で覆われていた。ただいるだけで皮膚が裂け、血が噴き出すが如き冷気が白無垢探偵社を苛む。そこにいるべきだった筈の、都市管理者たちの姿はない。骸すらもない。どうやら逃げ果せているようだ。だがそこには、腕組み白無垢を睨む、鬼の影があった。 6
みしりと空気が鳴った。鬼は、篠田 明日香はその手に名刺を構えていた。監査官代理の名刺を。水琴もまた、抗うように名刺を抜く。次の瞬間、互いの名刺が投擲され、受け止めた。戦士の流儀、名刺交換。氷獄よりなお冷たき殺気と共に交わされた名刺が、力と反発して熱を孕み、燃えて落ちて、尽きた。 7
「貴様は」水琴が口を開いた。「貴様は感じたことがないか。この国を包む悲劇の背後に何らかの意志が働いているのではないか、と」「…」「証拠はない。陰謀論としても稚気じみている。だが、そうでなければかつてこの国を支える存在であった筈の企業が、ただの搾取者と成り果てるだろうか?」 8
明日香は静かに目を細めた。薄く鋭いそこから見える瞳は憎悪と絶望を燃料とし、怒りを燃やして虚無へと散華する、歪な内燃機関であった。やがて明日香は、ガスマスクめいた面の下から絞り出すように言った。「ならば私は、それを体現する機械となろう。故に貴様ら探偵を滅ぼす。監査官代理として」 9
「そうか」水琴は刀を抜き払うと、鞘を投げ捨てた。脚を大きく前後に開いて腰を落とすと、腕を交差するように引き絞り、刃を上向けながら顔の横に構える。霞の構え。水琴はその状態から左腕を放し、盾とするかのように明日香に向け、翳した。霞を崩したこれは、『破れ霞』とでも呼ぶべきか。 10
明日香の体を氷が覆った。氷は急所を覆う鎧となり、鋭利な刃を側腕に備えた籠手となり、鉤爪となった。彼女の面は口吻じみた氷の嘴と変わり、その上から、殺意の光が鋭く放たれる。水琴はそれを真正面から受け、なお鋭き殺意を返した。「白無垢探偵社。ここを死に場所と定めろ」 11
瞬間、蒼い稲光を残滓めいて残し、水琴の姿が消えた。「!」反射的に交差防御された腕に雷撃纏いし刀の突きが叩き込まれる!「ぐうッ…!?」膂力に速度が乗算されたその衝撃に顔を歪める明日香。水琴はより強く刀を握り、連続で刺突!その全ては雷撃を纏い、捌く明日香を苛む! 12
「剣雷雨伸素」剣戟の中、水琴が言った。「空気と刃の摩擦で雷を生み出す魔術。貴様が殺した我が夫、香田 文宏の魔術を私に最適化させたものだ」「感傷のつもりか」「それこそが、復讐者と堕した私を人たらしめる最後の縁」「ならば貴様らが踏んで躙った者共の声を、僅かでも聞いたことがあるか」 13
「…我々は、荒覇吐という絶対たる力の統治の下で、ニッポンを包む全ての悲劇に終止符を打たんとしてきた」「荒覇吐派、か」「だが正義をひさげる程に、その行いは清廉から遠のいてゆく。我々とて潔白ではない。途上に於いて斬り捨てられた人々もいる。彼らになら、殺されてもいいと思っていた」 14
再び明日香の腕に突き立てられた刃が、氷と雷に擦れてチリチリと鳴った。「監査官代理。貴様ではなくなッ!」刃が滑り防御を抜けた!「ふッ!」明日香はバク転を打ち、顔面への突きを回避。「ジャッ!」振り抜かれた水琴の刀から蒼き雷霆が槍となって迸り、明日香の着地を狩らんとす! 15
「ふッ!」明日香の手より氷柱が伸びた。氷柱は床に突き刺さり、着地のタイミングをずらす。明日香は雷霆を躱し着地。その瞬間駆け出そうとするが、既に水琴が眼前にいる!「ジャッ!」雷纏いし斬撃が横薙ぎに襲う! 16
「ふッ!」明日香は踏み込み、水琴に頭突きを見舞った!鈍い音と共に衝撃が抜ける。部屋を覆う氷がヒビ割れ、欠片が浮かび上がる。最中、明日香は氷の拳で殴りつける。水琴は刀を逆手に持った拳で応じる。二人は拳がぶつかる衝撃を速度に変え、さらなる拳を出す!たちまち応酬は加速する! 17
ゼロ距離で額をぶつけ合ったまま、両者は一歩も引かない。引けない。引いてはならない。ここで引いたら、自分の全てを譲り渡してしまう気がするから。((それだけは、それだけは駄目だ!))水琴は歯を食い縛り、拳を加速させた。もう自分には何もない。あるのは夫との想い出と、彼の願いだけだ。 18
その履行こそが、現在の水琴の存在証明であった。その意志こそが、現在の水琴の存在理由であった。譲り渡すなど出来はしない。そうなれば夫の、愛する者の全てが消えてしまうのだ……。 19
探偵粛清アスカ
【プレイヤー・トゥ・アスク・フォー・ア・スター】 #3
無惨に潰えた弟の屍を前に、香田 文宏は立ち尽くしていた。ジーザスめいて磔られた亡骸より流れる血は、悍ましき黄色に変色している。真一文字に裂かれた腹からは、金属質の謎めいた生物へと置換された内臓が零れ落ちていた。 20
白無垢探偵社は、トモシビグループに属するある証券会社の粉飾決算に関する調査を引き受けていた。その会社に自分たちに比肩する戦闘力を持つ企業戦士はおらず、そもそも探偵社は『その会社は粉飾決算を行っていない』と結論しようとしていた段であった。にも関わらず、文宏の弟は殺された。 21
「…惨いことをする」水琴が眉を顰めた。臓腑が置き換わった生物が、首をもたげてキイキイと鳴いた。文宏が震える手で、近づこうとする水琴を制した。「あまり…近づくな。アレは生きてる者に襲い掛かる」彼の体には抉れたような傷があり、そこから血が流れていることに水琴は気付いた。「文宏…」 22
「康生。見える範囲で、何かわかることはないか」己を案ずる声を置き、文宏は訊ねた。康生は眼鏡のテンプルを指で数度叩くと、言った。「恐らく血中の鉄分。それを腸に纏わせ、殺人機械化している。血が変色しているのはその所為だろう」「…」「問題は、だれがこれをやったのか?少なくとも… 23
…今の仕事と関係があるとは思えない。異能であれ技術であれ、証券会社が持つには異質すぎるし、何より動機がない」「第三勢力がいたとでも?」「考えにくいだろうな。今の今まで隠れていたのならば、そのまま隠れ果せることは出来た筈だ。殺したことをこうも大っぴらにするとはとても思えん」 24
「じゃあ何だ。弟は偶然何かに巻き込まれて死んだとでも言うのか!」文宏は康生に食って掛かった。「だとしてもこんな目立つ死体、処理くらいはするだろう。それをしなかったのは、意図がある筈だ」「どんな」「何の根拠もない妄想に過ぎんが…例えば、見せしめとか」 25
「見せしめだと」「それも恐らく俺たちに向けた、な。見ろ」康生は文宏の弟を示した。彼の表情は恐怖と苦悶に、この世のものとは思えぬ程に崩れ、歪んでいた。吐き気を催すまでに醜悪なベールの奥に、文宏は何かを見て取った。常にすぐ傍にあり、されど傍目には決して見えぬもの。底知れぬ悪意。 26
悪意はそこにあり、しかしそこになく、あらゆる場所に遍在し、あらゆるものに隣り合っているかのようだった。「文宏…!」いつの間にか膝を突いていた文宏の肩を、水琴が支えた。「文宏、大丈夫か」「…」青ざめた顔で弟の死とその先の悪意を見る文宏を、水琴は静かに抱いた。 27
「…私だって恐ろしい。こんな、誰とも知れぬ悪意がこの国にあったなんて。そして、それがいつ牙を剥くともわからないと知ったんだから。況してやそれが、弟に向いたんだ」「…」「見て見ぬふりは簡単だろうが…知ってしまったなら、立ち向かわなきゃいけない。きっとお前の弟もそうだろう」「…」 28
「けど、今は泣け。流すものも流さねば、立ち上がれないだろう」水琴は幼子に聞かせるように言った。文宏は暫しの間、何事かを考えるように俯いたままであったが、やがて抱かれた肩を静かに震わせ始めた。 29
白無垢探偵社がニッポンの深奥に潜む悪意を認識したのは、それきりであった。ともすれば単なる偶然…否、その可能性の方が遥かに大きい。だがその存在は彼らの心に食い込み、決して放しはしなかった。そしてそれ以上に、文宏が康生に涙を見せたのは初めてであり、康生の記憶に深く刻まれている。 30
((この状況で過去を振り返るなんて、らしくもないな))康生は頭を振ると、再び走り始めた。人嚙≪にんぎょう≫の狭間をすり抜け、ビルの壁面を駆け上がり、跳ぶ。大河となってうねる群れより外れて追い来る人嚙に光学バズーカを向け、銃爪を引く。白い光が敵を焼灼したのを確認し、再び走る。 31
人嚙劇≪にんぎょうげき≫。被害者の神経を使った糸で人嚙を殖やし操るこれを扱うには、人智を超えた精密なる指先が必要だ。それを持つ者は多くなく、ならばこれを扱っているのは天秤探偵社・浜口 侑斗と考えて相違ないだろう。ならば奴はどこにいる?考えなければならない。 32
大通りを埋め尽くす人嚙の流れ、その源流はターミナルにある。ならば上か、或いは下から来たと考えるのが妥当。そしてここより下の階は中層、高級住宅と秘密実験場の並び。つまり企業の支配領域だ。そこを無視など出来よう筈もない。((なら、コイツらは上から来たのだ!)) 33
康生は跳躍した。ビルを跳び越えネオンを駆けり、眼下を流るる肉の大河を遡上する。数体の人嚙が気付き向かい来るが、意に介さず奔る。自分は侑斗よりも格下である。なればこそ、手勢を差し向けている暇などありはしない筈だ。迷わず最短距離で駆け抜けるべし!康生はさらに一段高いビルへ! 34
そこに、襲い来る人嚙と相争う少年あり!「あれは…!」「はッ!」金の瞳の少年は、左右を挟む人嚙の斬撃を屈み込んで回避。跳ね上がるようにしながらアッパーカットを放ち、2体を同時に吹き飛ばす!黒い髪が揺れ、光を赤く照り返す。「アンタ…」少年が目を丸くする。その後ろ、襲い来る人嚙! 35
「しゃあッ!」康生は光学バズーカの銃爪を引いた。放たれた光線が少年を掠め、その後ろにいる人嚙を爆散殺!彼はそのまま己の後ろにバズーカを向けると、撃発。自分を追い来た人嚙たちを爆殺した。もうもうと上がる煙と緩やかな爆風の残滓の中で、康生は少年と向き合った。 36
「アンタ、確かMoISで見たな」「ああ。君は九龍君だったな」康生は名刺を差し出した。九龍も自分の名刺を渡す。「白無垢探偵社」「監査官の方は一緒ではないのか?」「言わねえぞ」「つまり今はいないのか」九龍は半歩後退り、身構えた。「君はここで何をしている?」「聞きたきゃそっちから言え」 37
「それもそうだ」康生は眼鏡を押し上げ、街を見やった。「この惨劇を終わらせに来た」「はあ?」「実は俺は先ほど白無垢を離反した。この状況を想定していてな」「どう信用しろッてんだ」「残念ながら、いま君を納得させる材料はないな」康生は小さく溜息を吐き、バズーカを担ぎ直すと歩き出した。 38
「もし君がこの惨劇を見過ごせないなら、俺について来てくれ」「あッ、おい!?」言うが早いや、康生はビルを飛び降り疾走を始めた。「…」困惑する九龍。一体何を言っている?何もわからない。だがまず、そもそもの手掛かりがないのだ。彼以外に!「ああクソッ!」九龍は康生の後を追った。 39
「おや」ネオンを蹴り跳ぶ康生は振り向き、追い来た九龍を見た。「来たのか。少し意外だ」「アンタの言ってること何もわかんねえからな。これ以上悪事を働こうッてんなら容赦しないぞ」「それは頼もしいな。だがこれだけ言っておこう」康生はターミナルの窓を蹴破り、犇めく人嚙に砲撃を見舞った。 40
薙ぎ払うような光線が人嚙を溶断し、爆発させた。ターミナルビル内を侵す炎と光を踏み分けながら、再び走り出す。「ありがとう、九龍君」「……」「詳しいことは道すがら話す。まずは軌道を走って地表へ行くぞ」そうして彼らはビルを駆け、人嚙を掻き分け、改札を跳び越え、軌道へと出ずる。 41
だがその瞬間。「待った!」九龍が叫んだ。「どうした!?」「何か聞こえないか」耳を傾ける康生。風を切るような音が上方より来たる。だが、それ以上に顕著なものがあった。「レールが揺れてる」「何か来てる。それもかなり速…」だが彼らが気付いた時、既に手遅れであった!「「マジかよーッ!」」 42
…九龍と康生の絶叫からちょうど1分前!カツと正吾は放棄された階層移動モノレールに乗り込むことに成功していた!彼らは中途、巻き込まれていた一般人たちを助けていた。最初の少女を含め、その数は20以上に膨れ上がっている。彼らと自分たちを、極力安全に中層まで送り届けねばならない! 43
「なあ、正吾…」カツが萎れながら言った。「お前、モノレール操縦できる?」「パンクロッカーがそんなのできると思うか?」「味噌カツ屋の店主だってできねえよ」同時に肩を落とす二人。「弱った」「まさかこんなところでエクソダス・ツアー最大のピンチを迎えるとは」 44
この大所帯で管理通路という閉所を通るのは得策ではない。ならばターミナルから中層まで降りるしかないが、歩いて行くのは不可能だ。軌道の幅は10cmにも届かない上、1階層の高さは1.5km以上。モノレールを使わない移動は、カツ以外には完全に狂気の沙汰だ。だが肝心のモノレールが…動かせない! 45
「カツ、何か別のプラン思い浮かぶ?」「いやあ…全然」「じゃあここで時間潰す?」「まさか。上からの襲撃は一旦落ち着いてるとは言え、また来ねえとは限らねえし、それに…」カツは、白い鎧で覆われた口の端を歪めた。否、正吾にはそう見えた。「ここで退くのはパンクじゃねえだろ」「だね」 46
如此、パンクロッカーたちは手当たり次第にめちゃくちゃな操作を始めた。結果として階層移動モノレールは動き始めたものの、完全に暴走。立ちはだかるもの全てを轢鏖殺する残虐無慈悲なるノーフューチャー破滅鉄道と化し……九龍と康生の前に現れたのだ!「「ウッギャアアアアーッ!」」KRAAAASH! 47
二人はフロントガラスを叩き割り、車内に転がり込んだ。「うわああああッ!?」暴走に慌てていた人々が叫ぶ!「あ、いや、驚かせてスンマセン、俺らアヤシイ者じゃ…」「九龍君」康生が残心を解き、九龍の肩を叩いた。「敵の有無を確認せずに即弁明に走るのは感心できないな」「そう言われてもよ…」 48
「まあ、逃げようとする民間人のものらしい。問題はないだろう」「あの暴走っぷりで!?」「…やっぱり、この暴走は問題か」呆れたように眼鏡を押し上げる康生。九龍は肩を落とした。「…とりあえずコレ止めようぜ。このままだと下の方で激突死だ」九龍は言うと、運転席のドアを開けた。「あ…」 49
「はッ!」運転席のカツが声を上げた瞬間、九龍は彼にヨグ=ソトースの拳を叩き込んだ!「うおッ…!?」カツは辛うじてこれを防ぐが、余剰の衝撃が運転席を駆け抜け、破壊する!「はッ!」その時、九龍は肉薄していた。血が纏わりつき鎧とした拳でカツを連続殴打!カツはこれを丁寧に捌く! 50
「九龍君!?何をしているッ!」「殺ッ!」康生が声を上げた瞬間、カツが連続側転で離脱。客席のあわいに立ち、構えた。「いきなり無賃乗車カマしてきた上に、随分なゴアイサツじゃねえの」歪んだスピーカーを通したような声が響く。九龍は怪訝そうに眉を顰めながら、康生を睨んだ。 51
「…牙探偵社。知ってるだろ」「ああ」康生は、牙探偵社についての情報を想起する。黒い外骨格の鎧と、燃料を兼任する液状ヒトタンパクで肉体を模られた探偵・通称『牙』によって構成される異形の探偵社だ。彼ら牙は、都市の何処かにあるプラントに人間を捧げることで産まれ落ち、任務をこなす。 52
そしてご存知の通り九龍は牙に、育ての親である星空探偵社の社長・ウェイランド サーストンを殺されているのだ。「見りゃわかるだろう。この鎧。漏れる液状蛋白。コイツは牙だッ!」「…九龍君」康生は溜息を吐いた。「見ればわかるだろう。鎧の色だ。彼は確かに牙だが、象牙≪アイボリー≫だ」 53
「象牙?」「お?兄ちゃん、知ってんのか」カツが言った。「そういう人がいると助かるぜ。そっちの坊主に説明してやってくれ」「…言われずとも。九龍君。牙は何らかの理由で、探偵社から解放されることがある。解放された牙はやがて知性を得、鎧の色が白く変わる。それが象牙だ」 54
「知性…?解放だと?」「象牙は戸籍を得ることだって認められている。立派なニッポン国民だぞ」九龍は困惑したように康生とカツを何度も見比べる。カツは大きく息を吐き、戦闘態勢を解除した。「もういいか?このモノレール止めなきゃヤベエんだよ」「あ、ああ…」九龍はぼんやりと拳を降ろした。 55
「手伝います」康生がカツに追従した。「友人がとんだ失礼を」「あー、いいよ別に。よくあるこっちゃ。それよりさ」カツは運転席を示す。そこには固まったままの正吾と、無残な破壊痕。電車のコントロールパネルは、ない。「……どーする?コレ」「…………」 56
…暴走するモノレールの先には、また別の存在がいた。地表より中層まで、カツらに先んじて走り、降り来た男が。タイムリープ。キャトルマンハットを目深に被った彼は人嚙劇が使用されたことに気付くや、即座に逃走を選んだ。中層からサブウェイ路線を通って近隣都市へ行くべく、地下に潜ったのだ。 57
その時から異変はあった。階層移動モノレールが動いていないのだ。彼は自分の命を優先し、職員の制止を無視してレールの上を走り出した(一流にとっては足場の幅など2cmあれば十分すぎる)。そのままに中層まで駆け下り…。「何だ、こりゃあ」タイムリープは驚愕した。「俺は夢でも見ているのか?」 58
街の中央には、核兵器を打ち込まれたかのような大穴が開いていた。住居、企業の実験場、その全てを巻き込みながら、下層にまで届くほどの大穴が、冥府の入り口めいて開いていた。未だ赤熱して溶解したコンクリートが垂れ落ちる周りには既に人嚙の影があり、辛うじて生き延びた人を苛んでいた。 59
タイムリープは震えた。大穴は、まだできて時間が経っていない。つまり下手人がまだ近辺にいる可能性が……否。いる。間違いなくいる。タイムリープの全細胞が叫ぶ。引き返せ。今ならまだ間に合う。タイムリープは第六感に即座に従い、レールを上り始めた。だがそれでさえ、あまりに遅すぎた。 60
街の中央部から、何かが跳び来たった。瞬きの間すら許さず、中途のビルが僅かに削れ、削れ、直後、それはタイムリープの真横にいた。知覚した瞬間、タイムリープの時間が鈍化する。その時、彼の側胴には既に、それが放った槍めいたキックが突き刺さっていた。 61
何をすることもできず、時間が押し寄せた。タイムリープは肺から空気を絞り出しながら吹き飛び、外壁に追突。バウンドしてレールに戻るが、既に襲撃者が迎撃態勢を整えている!「はッ!」回し蹴りがタイムリープを打った!くの字に折れ曲がり斜めに落ちるタイムリープ!このままでは激突死する! 62
「くそーッ!」タイムリープは銃を抜き、発砲!ワイヤーが放たれる!先端フックがレールを噛み、彼の体を急速巻き上げ。レール復帰!「…」その様を、息のかかる程の距離で、襲撃者が眺めていた。タイムリープは、訝るように襲撃者を観察した。 63
少年と呼べる年の頃か。黒い髪は艶やかで、光を血色に照り返している。美術品じみて精巧な顔には炎めいて燃える金色の瞳があり、タイムリープを睨んでいた。「どーも」彼は慇懃にお辞儀した。「古式ゆかしいやり方が好きでね。口頭挨拶で失礼するよ」「……おう。好きにしな」「重ね重ねどーも」 64
襲撃者は、人を食ったような……否、食い殺すかのような、それでいて柔和な笑みを浮かべた。「僕は於炉血。暇潰しに、君を弄ばさせてもらうよ」 65
(つづく)
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