第50話 その時まで指折り数えていて

 ブルーブロッサムが花を散らす間、国の中はいつもの様子とはがらりと変わる。

 花から放出される毒素の霧が消えた事が確認出来ると、厳重に閉じられた門は開かれ、青い桜の森は開放される。

 森の中は普段の静かな様子とは全く変わり、軍の兵士達が常に巡回しているが、新緑の葉が豊かに生い茂り、柔らかな木漏れ日が落ちている中、普段ならば人気のない森を行き交う人々の表情は一様に明るく、楽しげだ。

 青い桜の花が落ちるのはたった二週間程だが、それでも、誰もが笑顔で通り抜けていく森の中を歩いているのを見ると嬉しくなってしまう、とリグレットは思う。


 森の開放期間中、伝言局は完全な休みにはならないのだけれど、特殊配達員達は丸々休みを貰える事になっていて、リグレットも入局してから初めての長期休暇である。

 勿論、休暇中でも狼達の面倒を見に行ったり、一人で行動しないように、と言われている手前、自由に行動出来るというわけではないけれど、それでも、長い休みというのは嬉しいもので、自然と歩く速度も早くなってしまう。

 今日はグレイペコーと一緒に二区へと訪れている所で、牧歌的でのんびりとした雰囲気の二区では、豊穣祭と呼ばれる祭りが開催され、いつもより沢山の人々が訪れている。

 元々ブルーブロッサムが散る時期には、二区で収穫された保存の効く食物を一斉に一区と三区へ運び入れていて、運搬した人々を労り持て成す為に行われていたそうで、今の豊穣祭はそれが発展していったものらしい。

 花が散っているとはいえ、森の中はきちんと整備されるような場所ではなく、大型の荷馬車などは入れないので、結局は大勢の人が力を合わせて運び入れる他はないのだが、不便さはあっても、騒がしく楽しげな祭りの雰囲気もあり、すれ違う人々も楽しげに談笑したりしている。

 二区は広い農地に囲まれていて、三つの区画の中でも人口が一番少なく、可愛らしい木組の家が並んではいるが、密集した場所はあまり見られない。

 区画の中央には広い湖があり、ボートに乗ってのどかに楽しんでいる人々も見えた。

 湖から少し離れた場所ではカラフルなテントを張った屋台が犇めくように並んでいて、ブルーブロッサムを思わせる鮮やかな青色のランタンで華やかに飾り付けられ、二区で収穫された食材を使った料理の香りがあちこちから漂ってくる。


「ねえ、ペコー! 見て見て!」

「リグレット、あんまりはしゃぐと転んじゃうから少し落ち着いて」


 料理を売る屋台に夢中になり、走り出したリグレットは、宥めるようなグレイペコーの言葉に、満面の笑顔を向けた。


「だって、お祭りだよ! 美味しいもの楽しいものいっぱいだよ! 落ち着けないよ!」

「まだ朝だし、そんなに焦らなくても大丈夫だよ。その為に早起きして来たんでしょう?」

「うん!」

「だけど、夕飯が入らないくらい食べちゃ駄目だからね?」


 以前、お菓子を食べすぎて夕食が入らない事があり、自分の限界を知らずに食べ過ぎてしまわないように、とグレイペコーによってお菓子は一つだけに制限されてしまっている。

 だが、それも今日ばかりは解放されているので、思いっきり楽しむぞ、とリグレットは何日も前から楽しみにしていて、昨晩はあまり眠れなかった程だ。


「わかった! なるべくペコーと半分こするね!」

「もう、そう言えばいいと思っているでしょう」


 グレイペコーが頰を軽くつまみ、ふにふにと上下に揺らすので、次第に可笑しさが込み上げてきたリグレットは、声を上げて笑い出してしまった。

 最近は色んな事が起きていたから、こんなに気分が高揚するのは久しぶりだ。

 ずっと楽しみにしてたもんね、と笑うグレイペコーの表情も、いつもより明るい。


「ノルも来れれば良かったのになあ」


 少し前に倒れた事もあり、ノルはいつも通り伝言局で過ごしている。

 ノルは幼い頃から身体が弱かったので、一区の街中ですらあまり出かけようとしない。

 いつ何処で体調が悪化し、倒れてしまうのかわからないので、誰かを同行させない限り出歩けず、遠くまで行くのを極力避けているのだ。

 それは少しずつ体質と折り合えるようになった今でもそうで、彼は一区の中でも限られた場所の中でしか生活をしていない。

 ノルはそれでも文句を言う事はないし、きっと不満すら感じていないだろう。


 まともに生きられない人間からしてみたら、そんな事、考えもしない。

 こっちは生きていく事で精一杯なんだよ。


 以前、そう吐き捨てるように言われた言葉からは、彼が生きているだけで十分だと思っているのが、痛い程に伝わっていたからだ。

 ノルの痛みを正しく理解する事は絶対に出来ないのは、リグレットもよくわかっている。

 産まれ落ちた時点で分たれた人間である以上、本当の意味で同じ痛みを共有する事など出来ないから、どれだけ言葉や行動を尽くしたとしても、彼とはその部分を絶対に分かち合う事も、きっと出来やしないのだろう。

 それでも、あの日確かにさよならの前に言葉を届けた事や、彼が辛い時に手を掴む事は、間違いではなかったと、そう、思いたいのだ。

 深く思考に沈み込んでいたからか、グレイペコーは心配そうな表情を浮かべて顔を覗き込み、「また体調が悪くなったら大変だから、仕方ないよ」と頭を優しく撫でてくれている。

 きっとしょんぼりしているように見えるのだろう、顔を上げるとリグレットは大きく頷いて、口端を引き上げた。

 無理に笑っているのはきっとグレイペコーにはお見通しなのだろうけれど、それでも元気にしていないと、ずるずると悪い方へと引きずられてしまいそうになるからだ。

 グレイペコーは困ったように笑うと、リグレットの背中を押して、騒がしい祭りの中へと促してくれる。


「その代わり、お土産いっぱい買って帰ろうね」

「うん!」


 気持ちを切り替え、遠くの方までずらりと並んだ屋台を眺めて歩いていると、あちこちから美味しそうな匂いが漂っていた。

 陽気な声かけをしている人や、はしゃぐ子供達が走っていくのを見たりしていているうちに、リグレットはすっかり楽しい気持ちになってくる。

 そうして立ち寄った屋台で気になるものがあれば、グレイペコーを引っ張って、あちこち覗き込んだり食べ歩きをしたりしていた。

 大きな鍋で煮込まれた、色とりどりの野菜とキノコがごろごろ入った具沢山のスープ。

 蒸したじゃがいもをチーズと一緒に丸めて揚げてある、クロケット。

 紙で出来た容器にたっぷり詰め込んだ、ほくほくの焼き栗。

 紅茶とはちみつを混ぜて焼いた生地に、甘酸っぱいレモンジャムを包んだマドレーヌ。

 ひき肉とトマトをよく煮込んで作られたフィリングがたっぷり入ったミートパイは、煮詰めた野菜の甘みや酸味が肉の旨みを引き立て、パイの香ばしさが絶妙にそれらをまとめていて、思わず「うーん、最高!」と感嘆の声を上げてしまう。

 ぱくぱくと頬張っているうちに、ミートパイはあっという間になくなってしまっていた。


「ペコーは食べないの?」


 色々な種類の果物がたっぷり入れられた紅茶を飲んでいるグレイペコーに問いかけると、呆れたように息を吐き出している。


「大丈夫。リグレットが食べてる所を見てたらお腹いっぱいになってきたから」

「そう?」


 まだまだ余裕あるけどなあ、とリグレットは思うけれど、それを察してか、グレイペコーは緩やかに首を振っていて。


「そろそろやめておこうね。お腹壊しちゃうよ」

「はあい」


 本当はまだ食べたいものがあるのだけれど、夕飯が食べられなくなったりしたら困るので、リグレットは素直に頷いておいた。

 それに、そろそろノルのお土産も決めなければいけないし。

 屋台の中には飲食物以外にも木彫りの人形のような彫刻品や服などの衣料品を置いてある店もあり、あまりにも選択肢が多過ぎて、なかなか決め手になるものが見つからない。

 どうしようかなあ、と周囲を眺めていたリグレットは、ふとある一角にある屋台を見つけて、グレイペコーを呼んだ。

 気になったのは、果物の加工品を並べている屋台だ。

 狭い屋台の中で、ジャムやワインなどが木箱などを使ってぎっしりと置かれていて、ここなら何か見つかるだろうかとリグレットがきょろきょろ見回していると、どうやら誰かにぶつかってしまったらしい。背中にとんと軽い衝撃があって、リグレットは慌てて振り返った。


「わ、ごめんなさい!」

「いいえ、こちらこそ気がつかなくてごめんなさい」


 ふふ、と吐息混じりに笑う女性は、金色の瞳の女性だ。

 この国ではあまり見かけない、厳かなシスター服ときっちりと頭を覆うベールを身につけているので、教会の者なのだろう。

 けれど、どこかでこの女性を見たような気がして、リグレットが呆けた顔でことりと首を傾けていると、グレイペコーがすぐに駆け寄って、すみません、と謝罪している。

 慌ててリグレットも同じように頭を下げれば、女性は気を悪くするでなく、どうぞ気になさらないで下さいね、と笑みを浮かべて会釈をして、手にしている紙袋を抱え直して店から出て行ってしまった。


「リグレット、ちゃんと周り見てないと駄目だよ」

「う、うん、気をつける……」


 恥ずかしさと申し訳なさに俯きがちになったリグレットは、あの妙な既視感は何だったんだろう、と思いながらも、ふと視界に入った棚に目を引かれていた。

 どうやら木箱を上手く使って棚のように使っているらしく、そこには手のひらより少し大きいくらいの瓶がずらりと並べられている。

 瓶の中に入っているのは、こっくりした深い色合いをした、果物のジュースだ。


「ねえ、ペコー。ノルのお土産、これはどうかな?」


 あまり日持ちはしないが、瓶の大きさも然程大きくはないし、飲み物なら食の細いノルでも口にしやすいだろう、と考えて、グレイペコーに伺うと、「うん、いいんじゃない」と笑顔を返してくれるので、リグレットは嬉しくなって何度も頷いた。

 グレイペコーも家に持ち帰る土産に幾つか見繕っているようで、口元に手を当てながら、眉を寄せて悩み込んでいる。


「それならこっちのジャムと、料理用のワインと……、イヴに飲まれた時の予備も買っておいた方がいいかな……」


 グレイペコーがこうして買い物で悩み出すと長くなるのはわかってるので、リグレットは苦笑いを浮かべて手にしていた瓶を見つめた。

 こっくりとした色合いの瓶は、手のひらの中で鮮やかに輝いて見える。

 せめて一緒に出かけられなかった代わりになるといいんだけど、と呟くと、口元は自然と緩んでいた。



 ***



 着慣れないシスター服が鬱陶しくて、大袈裟なほどに溜息を吐き出した女性は、露店が犇めく通路の中を歩きながら、先程までいた店へと視線を向けた。

 肩の辺りで切り揃えた薄紅色の髪の少女が、楽しそうに品物を見つめている。


「……ふうん。あの子が、姫様のプリムヴェリーナ、か」


 案外普通なのね、と服の裾を翻して正面に向き直ると、女性はつまらなそうに呟いていた。

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