第62話 落ちた場所は何処なのか
医務室の隣にある小さな部屋に通されて、リグレットとグレイペコーはベッドに腰掛け、イヴルージュは隅に置かれた小さな椅子を引っ張り出してきて座った。
元々はノルを休ませる為だけに整えられた部屋なので、室内はベッドとサイドテーブルが置かれただけの簡素な作りをしている。
組んだ足に頬杖をつき、イヴルージュは疲れたように大きく息を吐き出していた。
「ノルは、お前達に過去の話をした事があるか?」
イヴルージュの問いかけに、何故、先の話からノルの過去に繋げるのか、と疑問を持ちながらも、リグレットは以前ノルが話してくれた事を思い出す。
「えっと、森の中でずっと彷徨ってて、二区でマザーとグラウカ先生に助けてもらった、って言ってたよ」
「そうか、ノルはそう言ったのか……いや、嘘だと言えなくもないか。そういう所は本当に、ノルらしいな」
乾いた笑みを浮かべるイヴルージュに、リグレットとグレイペコーは顔を見合わせた。
二人の間に浮かんだ疑問に答える事なく、何かを納得したようなイヴルージュは足を組み直し、背筋を伸ばして二人を見た。
いつもとは異なる緊張感に、リグレットは膝に置いた手のひらを、きゅ、と握り締める。
「ノルはな、厳密に言うと、
「それって、ブルーブロッサムの研究してるっていう研究所?」
「ああ、そうだ」
グレイペコーの問いかけに、イヴルージュは頷いた。
年々拡大している森の状況についてや、その生態、桜の花が撒き散らす毒素やそれが人体に及ぼす影響など、ブルーブロッサムに関わる全てについて研究を行っていて、二区に設置されている、とリグレットは聞いている。
「そして、リグレットの母親のプレセアと、グラウカが働いていた場所でもある」
「え、グラウカ先生も?」
「伝言局に来る前、グラウカはブルーブロッサムの毒霧が人体にどんな影響を及ぼしているのか、その研究をする為に医師として研究に携わっていたんだよ。プレセアとは同僚として共に働いていたそうだ」
ノルが幼い頃から治療を続けているというグラウカに、そういった過去があるとは聞いた事がなかったので、リグレットは驚いて、青眼をぱちぱちと瞬かせた。
リグレットの母親であるプレセアが共通の知人という事もあり、グラウカとイヴルージュは元々面識があったらしい。
以前城に連れて行かれた時も様々な繋がりに驚いたものなのだけれど、こんな身近にも母親と接点があった人物がいた、というのも、初めて知る事だ。
「プレセアはリグレットを身籠もってから研究所を辞めたがな」
イヴルージュが言うには、リグレットの母親であるプレセアは、研究所を辞めた後、周囲に知られる事がないよう密やかにアレクスヴニールと暮らし、やがてリグレットを産んだという。
「リグレットが生まれて暫くしてから、あたしの所へグラウカが血相を変えて訪ねてきたんだ。研究所内で重大な事件が起きていて、自分だけでは手に負えない、助けて欲しい、と」
「……重大な、事件?」
振り続ける雨が齎す湿気が、部屋にじっとりとした空気を立ち込めていた。
リグレットは、こくりと喉が動かして、話を続けるイヴルージュを見つめる。
グラウカは、研究所で違法な研究を行っている者がいる、告発を行う為に、手を貸して欲しい、とイヴルージュに助けを求めてきたという。
その話をするのがイヴルージュでなければならなかったのは、告発した所で揉み消される可能性があったからだろう。
「あたしは色々とあって、王家と近い血筋に縁がある。そのあたしならそう簡単には押さえつけられないだろうと考えて、グラウカは頼って来たんだろう」
イヴルージュは面倒そうに言って、深々と息を吐き出していた。
自身の経歴について語りたがらないのは、その件に子供達を巻き込みたくない、という彼女の強い想いがあるからだろう。
だからこそ、リグレットやグレイペコーは今までずっと深くは聞いては来なかったし、今更追求しようとも思っていない。
「研究所を辞めたプレセアは、アレクスヴニール様と共に暮らしていたから、その素性も居住地も周囲に知られないよう厳重に隠されていたんだ。だが、プレセアとコンタクトが取れれば、強力な味方になってくれるだろうとグラウカは考えたんだろうな。それもあって、プレセアと接点があるあたしを頼ってきたらしい」
「お母さんが?」
そんなに重要な役職にでも就いていたのだろうか、と不思議に思ったリグレットが問いかけると、イヴルージュは、ふふ、と吐息混じりに笑っている。
「プレセアは元研究員で、優秀な薬学の研究者でもあるんだ。研究所の内部を秘密裏に探るには適任だろう?」
「そ、そうなんだ……」
イヴルージュは両親とよく似ていると言っていたけれど、そういう所は全く受け継がなかったんだなあ、とリグレットが内心でいじけていると、心情を察したのか、グレイペコーが苦笑いを浮かべてそっと頭を撫でてくれていた。
そのやりとりを見ていたイヴルージュは眼を細め、柔らかな表情を浮かべていたけれど、瞬きを繰り返す内に、視線を俯かせてしまう。
「今更、言い訳にしかならないのは承知の上だが……、あたしは、プレセアにこの話をしたくはなかったんだ」
そう言った彼女の言葉や声の端々に後悔が滲んでいるのは、リグレットにも見て取れた。
リグレットの母親であるプレセアに話をすれば、必然的にアレクスヴニールの耳にも入る。
二人と性格がよく似ていると言われるリグレットからしてみても、その話をすれば、二人がどう動くかは何となく想像がついてしまっていた。
「ただ、話を聞いた以上、放っておく事は出来なかった。それに、あの二人はリグレットと同じで、そういう助けを必要としている人間がいれば、手を差し出す事を厭わない人達だからね……話を聞いた二人は快く、その事件について調べる事に手を貸してくれたよ」
現国王である兄のイグニアーヴェンと、双子の弟であるアレクスヴニールは、王位を争う火種になると引き離されているだけであって、仲違いをしているわけでなく、関係を完全に断ち切ったわけでもなかったそうだ。
細々と書簡でのやりとりを続けていた事もあり、事件についても詳細が分かり次第、国王に繋げる事も出来る。
そう言った利点もあって、イヴルージュは結果的に二人に話す事を決めたのだろう。
「ノルがその研究所で発見されたのって、その事件とノルが関係があるって事だよね?」
グレイペコーは事実を一つ一つ確かめるように聞きながら頷いて、静かにそう問いかけた。
聞いてはいけないような気持ちがあるのは確かだけれど、このまま真実をうやむやにしたままでもいけないとも思いながら、リグレットもイヴルージュへと視線を向ける。
二人の眼差しを受け止めたイヴルージュは、背を正して、小さく息を吐き出して、いて。
「研究所で内密に調査をしていたプレセアとグラウカによって、ー研究所の奥深くに隠されていた場所で見つかったのが、ノルとネムだ」
イヴルージュは言葉を一度切ると、緩やかに瞬きを繰り返して、自身の足元を見下ろしている。
長い睫毛の先が震えて、彼女の憂いを表しているかのようだった。
「あの二人は、人工的に抗体持ちを作り出す研究の犠牲になった非検体の、最後の生き残りなんだよ」
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