第44話 泣き虫だあれと笑ってる
「見れば見る程、怪しいのですが……」
「しかし、調べた限りでは間違いないと言っていたぞ」
訝しげに見つめてくる少年少女達に、リグレットは肩を縮こませているばかりだ。
だって、もし彼らが王子様とかお姫様とか、そういうのだったりするとしたなら、無闇矢鱈に話しかけただけでも、不敬罪とかいうものになるかもしれないし……。
伝言局の局長であるイヴルージュや、彼女の後継として副局長を務めているノルならともかく、特殊配達員とはいえ一局員でしかないリグレットには、彼らのような王族と関わる機会などある筈もない。
城に着くまでは一緒にいたキナコも近衛兵の人達に連れて行かれてしまったし、最早ここに味方はおらず、リグレットはただただ彼らの前で黙り込んでじっとしている事しか出来ずにいる。
伝言局を出た時には昼前だったが、そろそろ昼休みが終わってしまう時刻になり、そうなるとまた、グレイペコーやノルに心配をかけてしまうだろう。
せめて伝言局に連絡だけでも入れさせて貰えないかな、等と考え、ぎゅうと胸元を握り締めて溜息を吐き出すと、ふと後ろの扉が開き、ふわりと風を感じてリグレットは振り返った。
「アムラキュリア、クラエディアム。あなた達、ここで何をしているのです?」
「お母様!」
近衛兵に守られるようにして部屋に入ってきたのは、朝に見る湖にも似た、淡い水色に柔らかな緑を混ぜ込んだような、神秘的な色合いの髪の女性だ。
お母様、と子供達は呼んでいたが、綺麗で整った顔立ちや艶やかな肌からは、とてもではないが、二人の子供がいるようには見えない。
髪には金で出来た髪飾り、首元や耳には煌びやかなアクセサリーを幾重にも身につけ、歩く度にしゃらしゃらと綺麗な音が辺りに響く。
身につけているドレスは子供達の衣服より袖や裾が長く、幾重にも布地が重ねられていて、きっと重みも物凄いのだろうが、優雅な仕草であるからか、一切そうは感じさせられない。
この人物も王族か、それに近い血筋の人物なのだろう。どこかで見たような気がしないでもないが、身分の高い人達なんて一生自分の人生に関わりないだろうし、と一切興味が湧かないリグレットには、まるで思い出せそうにない。
それどころか、今度は大人の人まで来ちゃった……、と、この状況にリグレットはますます追い込まれて泣きたくなってきてしまう。
「あら? あなた、もしかして……」
落ち着きのある優しい声音でありながら、何処か少女のような軽やかさを孕んでいる話し方。
優雅に歩く度に、かこ、かこ、と高いヒールの靴が音を鳴らしていて、思わず見入ってしまうと、いつの間にか女性はリグレットの目の前にまで歩み寄っている。
突然の事に狼狽えていると、彼女はにっこりと柔らかい笑顔を浮かべながら、リグレットの頰にほっそりとした手を伸ばし、そっと触れていて。
突然の事に、ぶわ、と顔が真っ赤になり、リグレットの頭の中は混乱でいっぱいだった。
「まあ。そんなに恥ずかしがらずに、お顔をようく見せて下さいな」
無理矢理でない程度に顔を背け、泣きそうになりながらそう言ってじりじりと後退りをしていると、彼女は何故だか楽しげに笑みを浮かべて顔を覗き込んでくる。
何だかとってもいい匂いがするし、きらきらしていて眩しいし、二人の子供達も興味深そうに見つめているし、どうしてこんな状況になってるの! と崩れ落ちそうになるのを必死に抑えていると、再び部屋の外から物音がしている。
「失礼します」
「ああ、やっといらしたのですね」
また誰か来たのか、と泣きべそをかきながら振り向くと、其処にいたのは長身の女性だ。
普段ならば気に入りの赤い服の上に適当に羽織っているだけの制服を珍しくきっちりと着込んでいて、肩には紺の外套を纏っている。
外套には金の肩章や飾緒などの装飾が施されていて、足元も高いヒールのパンプスではなく、やはり見慣れないブーツ姿だ。
手首や耳につけたアクセサリーだけはいつもと変わらず大ぶりなものを身につけていて、楽しげに引き上げた口元は、やっぱり鮮やかな紅が引かれていて。
「マザー!」
思わず叫んだリグレットは、その場から駆け出すと、勢いのままにその女性——イヴルージュに抱きついた。
慣れ親しんだ、瑞々しく甘さのあるバラの香りに、心底ほっとする。
「あっははは! 何だ、リグレット! 泣きべそかいてるじゃないか。そんなに怖かったのかい?」
言いたい事を言い、やりたい事をやる、その破天荒ぶりから暴君だの女狐だのと言われている彼女は、抱きついてきたリグレットをしっかりと受け止めると、けらけらと声を上げて笑っている。
「当たり前だよ! いきなりお城に連れてこられたら怖いに決まってるよ! キナコだってどっか連れていかれちゃったし!」
ぴええと泣きつき、小動物のようにぷるぷる震えたリグレットが必死に訴えると、笑いをどうにか堪えていたイヴルージュは途端に吹き出し、笑い転げていた。
笑い事じゃないんだってば、とぽかぽかと胸元を叩けば、ひいひいと笑いを引きずりながらも、頭を優しく撫でてくれていて。
「悪い悪い。そりゃあそうだね。よーしよし、怖かったなあ」
まだ笑いが収まりきらないイヴルージュは、それでも背中を撫でて宥めてくれていて、ようやく少しずつ、落ち着きが取り戻されていくのがわかる。
ゆっくりと深呼吸をしてふと顔を上げると、先程の女性はにこにこと笑みを浮かべていて、母親の後ろから覗き込んでいる子供達は、どこかしょんぼりとした様子でリグレットを見上げていた。
「この子達が迷惑をかけたようで、ごめんなさいね」
「い、いえ……」
人前、それもこのような面々の前で子供のように騒いでしまったのが急に気恥ずかしくなり、リグレットは慌ててイヴルージュから離れ、居住まいを正して両手を振った。
イヴルージュは何故此処に来たのだろう、と顔を上げれば、ぴんと背筋を立たせた彼女は、胸に手を当てて片足を軽く後ろに引き、頭を下げている。
流れるような所作が様になっていて、きっちりと着込んだ制服姿も相まり、まるで小さい頃に読んだお話の中に登場する騎士様のようだ、とリグレットは思う。
ほわあ、と呆けた顔をしてリグレットが見つめてしまうのも仕方がない。
「シュレルジーナ様、お久しぶりです」
「
シュレルジーナと呼ばれた女性は、呆れたようにそうはいいながらも、嬉しそうに眼を細めている。
「まったく、貴方ったらずっと忙しいって顔を出さないのだもの」
いっそ陛下にお願いして無理矢理にでも連れて来させようと思っていた所ですわ、と不満そうに頰に手を当てて言うので、イヴルージュは珍しく苦笑いを浮かべていた。
その言動から、子供達との血の繋がりを強く感じるのは仕方がない事だろう。
「ねえ、マザー。もしかして、知り合いなの?」
もしかしなくともお妃様だよね、とリグレットが相手には聞こえないように声を抑えて問いかけると、イヴルージュは困ったように眉を下げて、小さく頷いた。
顔は朧げであっても、その名前と身分だけは辛うじて記憶の片隅に残っている。まさか、こんな所で王妃と対面する機会があるとは思いもしなかったが。
「あー、まあ、色々とあってな……」
イヴルージュは国の中でも有数の貴族の娘なのだとか、衣料を主にした大商家の出身だとか、そもそも王族の遠縁ではないかだとか、信憑性も無ければ真偽も怪しい噂ばかり耳にするが、当の本人はこうして頑なに言おうとはしないので、リグレットは勿論、グレイペコーもそれを追求する事はない。
偉い人とも繋がりがあるとかで、ありとあらゆるコネクションを持っている事も、彼女が自由奔放に振る舞える所以なのだろうが、当の本人は嫌がってその辺りには絶対に触れさせないので、リグレットとしてもわざわざ掘り返す事でもないだろうと放ってはいたが、こんな事になるのならグレイペコーと結託してしっかり問い詰めていればよかったかもしれない、と溜息を吐き出した。
尤も、そうしたとして、イヴルージュがきちんと説明してくれるとは限らない。それに、こうして困った顔をしている彼女を見てしまうと、リグレットとしてもそれ以上を聞き出すのは憚れてしまう。
「あのお二人、クラエディアム様は第二王子殿下、アムラキュリア様は第一王女殿下だ。緊張するだろうが、お前はいつも通りにしてればいい」
「ええ……? そんな事言われても無理だよお」
縋るように制服の裾を握り締めてイヴルージュを見上げると、別に取って食われるわけじゃないからそんな顔をするな、と彼女は笑って背中を優しく撫でてくれている。
少なくとも先程までとは違い、一人きりで対応するわけではないのだ、と思うと確かに気は楽になる。
ほっと息を吐き出すと、シュレルジーナの髪飾りが揺れて、しゃらしゃらと綺麗な音が響いていて。
「イヴルージュ」
「はい」
名前を呼ばれていたのはイヴルージュの筈なのに、シュレルジーナは何故か、リグレットに視線を向けていた。
あまりにも真っ直ぐな、自分と同じようで全く違う青い瞳で見つめられ、リグレットは思わず足が竦んでしまう。
「その者は、あの方の御子ですわね」
シュレルジーナの言葉は、問いかけではなく、明らかに確信を持った響きをしていた。
イヴルージュは赤い口紅で彩られた唇を引き結び、地面に視線を向けて暫く押し黙っていたが、やがて観念したように大きく息を吐き出すと顔を上げると、静かに頷いた。
それを見たシュレルジーナの瞳は、水面のように揺れている。
「やはり、そうでしたの。あなたが……そう、なのですね」
彼女は呟いて、悲しそうに、淋しそうに、笑っていた。
ぎゅうと胸が締め付けられるような笑みに、リグレットは思わず隣にいるイヴルージュを見上げてしまう。
長い睫毛の先が震えて、揺れて、リグレットの視線に気がつくと、彼女はシュレルジーナと似た表情を浮かべている。
胸底がざわざわして、落ち着かない。
何故なんだろう、と困惑してスカートの裾を握り締めると、シュレルジーナは侍女達に声をかけ、にっこりと笑った。
「立ち話でもなんですから、こちらへにいらして。お茶を淹れますわ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます