第43話 どこから見たって何もないです
リグレットは、今この時、大変に困っていた。
目の前にあるのは豪奢なテーブルセット。
そこに座すのは、二人の子供達。
白を基調とした煌びやかな部屋の中は、ようやく身体に馴染みつつある制服姿で足を踏み入れる事など、本来ならば絶対に許されないだろう。
審美眼などなくとも一目見ただけで分かる、高価で唯一無二の価値があるだろう調度品や美術品、上品に飾られた花々などで、目の前は眩暈がしたしまいそうな程に、豪華絢爛。
けれど、それらに感嘆の息を吐くどころか周囲を見回す事すら出来ずに、リグレットは部屋の入り口で身体を強張らせている。
「この者が本当に……、そうなのですか?」
「変だな、髪の色が全然違うじゃないか」
揃いの服を着た二人の子供が不満げにそう言うと、報告の限りでは間違いはないとの事です、と側に控えていた従者らしき男性が恭しく頭を下げて対応していて、彼らの周囲には数人の侍女やら近衛兵達が控えている。
対するリグレットは一人で部屋の入り口でぽつんと立たされている、という、この状況。
まるで自分が悪い事をして怒られてるかのような気がしてきて、スカートの裾をぎゅうと握り締めるけれど、思い当たる節など一切ない。
それに、目の前にいる少年少女に見覚えさえないのだ。
子供達は、見た目からして十歳辺り、もしくはもう少しだけ上あたりの年齢だろうか。
男の子の方は吊り目がちで、いかにも生意気そうな表情を隠しもせず、尊大な態度でつまらなそうに眺めているし、女の子の方はとろんとした垂れ目で、肩を縮こませているその姿から、気の弱そうな性格が見て取れる。
「あの、私が何かしたんでしょう、か……?」
彼らが身につけている服は、キモノだとかいう、この国に古くから伝わる、袖と裾が長い独特の民族衣装をアレンジしたものだ。
細やかで上品な刺繍を施された高級で上等な生地で仕立てられたであろうその衣服は、ある一定の身分でないと着られない事は、リグレットでさえ知っている。
彼らはまだ幼く口調もぞんざいだが、立ち振る舞いは優雅でそつがなく、明らかに一般人のそれではない。
確実に、絶対に、自分のような庶民が関わってはいけない、やんごとない身分の方々だろう。
何より、その鮮やかな青い髪と、透き通る深い青の瞳は、この国の王族である証である。
リグレットには、全くもって彼らのような人々と関わるような関係など、思い当たる節も、ましてやこんな所に呼び出される覚えもない。
もしかして、無断で三区に行ってしまった事を知られて今更怒られるのだろうか、とも思ったけれど、それならば、こんな所にいきなり連れてこられるわけがないし、伝言局を通じて連絡がある筈だろう。
(どうして、こんな事になったんだっけ……?)
もうやだ、と泣きそうになりながら、リグレットはここに至るまでの経緯を必死に思い出していた。
***
例の事件から数週間経ち、ようやく顔や手足の傷が目立たなくなったという事で、キナコを同行させるという条件付きでなら一人で街に出掛けてもいい、と言われたリグレットは、早速昼休みを利用して昼食を買いに出ていた。
伝言局を出て白い石畳の道を歩いていくと、見えてくるのはうっすらと青みを帯びた王城だ。
一区はそこから広がるように街が形成されていて、昼が近い時間帯になると、犇くように並んだ飲食店からは、食欲を誘ういい香りが漂ってくる。
王城と伝言局のちょうど真ん中には中央広場があり、桜の木とその根元で狼が眠っている姿を描いた銅像が設置されていて、そこでは待ち合わせをしている人々がいたり、はしゃいだ子供達が声を上げて笑いながら駆け回っている。
その様子を横目に眺めながらリグレットが足を踏み入れたのは、表通りから外れた細い路地。いつも決まった時期に訪れる、パン屋さんへ向かう為だった。
そのパン屋では月に数回だけ、プルドポークがたっぷり挟まれたサンドイッチを販売している。長時間じっくりと煮込まれた豚肉を丁寧に裂き、新鮮な野菜と一緒にたっぷりと包んであるサンドイッチは、甘辛いソースがかかっていてとびきり美味しいのだ。
久しぶりの外出で、そんな幸運な日に街に出れるなんてなんていい日なのだろう、とうきうきしながらリグレットは思わず頰が緩んで緩んで、緩みきってしまっていた。
隣を歩くキナコにも、その気持ちが伝わっているのだろう、嬉しそうに尻尾をぶんぶんと振っている。
マザーとペコーと、それから少食のノルには何か他のものを買っていこうか。お気に入りのお菓子屋さんに行って、美味しい焼き菓子を買いに行って、それから、キナコとミゾレのおやつも買っていかないと。
そんな事を考えながら、先を歩くキナコの楽しげに振られた尻尾につられて、スキップを混ぜ込んで跳ねるように道を歩いていると、ふと、背後から黒い影が伸びていて。
あれ、空が翳ってきたのかな、と顔を上げれば、リグレットはぎくりと身体を強張らせ、固まってしまっていた。
「伝言局に所属されていらっしゃる、リグレット様ですね」
そこには、頭二つ分は大きく、がっしりとした体格の兵隊が二人、にこやかな笑顔を浮かべて立っていたのだ。
しかも、彼らが身につけているのは、細やかな銀の刺繍の入った白い生地に、肩や袖に青と金の飾緒や肩章といった装飾を散りばめた、王家直属の近衛隊の制服である。
ひえ、と情けない声が口端から漏れ出て、怯えながら側にいたキナコに視線を向けると、森で襲われた時にはあれだけ勇ましかったキナコも、彼等の前ではペたんと耳を下げて、困ったようにリグレットを見上げていた。
キナコを始めとした狼達は、城内にある施設で育てられていて、一番の主人は王族であるという事を、生まれた時から十分に言い聞かされているのだ。
そして、彼らがその主人の守護を任されている者達だというのもよく理解しているので、リグレットが幾ら助けを求めていようと怯えていようと、歯向かう事など出来やしない。
「我々とご同行願えますか」
「……は、い?」
縛り首にでもされるんですか、と泣き出しそうになりながら問いかけたけれど、兵隊達はにこやかな顔でリグレットを城の方向へと促し連行していた。
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