第45話 いつか響いた音なら此処に
そう緊張なさらないで、と笑みを浮かべたシュレルジーナが侍女達に用意させた席につき、リグレットは先程とは違う意味で緊張していた。
イヴルージュは家事が壊滅的に出来ないけれど、何故だか食器類の蒐集癖があるので、幼い頃からそれらに触れて育ってきたリグレットはそれなりに目が肥えていて、今触れているティーカップも、自宅にある食器の倍以上の価値があるものだ、と言われなくとも理解してしまう。
うっかり手を滑らせたりでもしたらどうしよう、などとリグレットが怯えているのを他所に、芸術的なまでに美しく作られた数々の菓子の中から好きなものを侍女達に取らせた二人の子供達は、ころんとした形とパステルカラーが可愛らしいマカロンや、新鮮な果物がふんだんに使われたケーキなどに目を輝かせている。
リグレットとしても、こうした状況でなければ同じように楽しんでいただろうが、差し出されたお茶でさえ、口をつける事に躊躇していた。
狼狽えているリグレットの横に座るイヴルージュは背筋を正して優雅にカップに口をつけていて、リグレットの視線に気がつくと、ふ、と困ったように笑みを浮かべている。
シュレルジーナが側に控えていた者達全員を部屋の中から退出させると、彼女を囲むように席についていた子供達はぱっとシュレルジーナに顔を向け、少年の方は彼女のドレスの裾を掴み、少女の方は腕にぎゅうと抱きついた。
「お母様、この者は本当にお姉様なのですか?」
「髪の色が私達とは全く違うのに」
「あなた達、一体何の話をしているのです?」
急かすように次々と質問をする子供達に、シュレルジーナは理解が及ばないようで、不思議そうな顔をしている。
お姉様、と彼女達が言ってはいるが、国王の子供は三人で、リグレットのような王族に対してあまり知識がない人間でさえ知っているのは、順当にいけば確実に王位を継承するだろう第一王子、つまり、彼ら二人の兄だ。
他にも子供がいるとは聞いた事もないし、いたとしても、何故それで自分が拉致紛いな目に合わなければならなかったのだろうか……、と皆の顔を伺いながらことりと首を傾げていると、イヴルージュが断りを入れて問いかけている。
「クラエディアム様、アムラキュリア様。その話はどこでお聞きになられましたか?」
子供達はシュレルジーナを気遣うようにちらりと視線を向け、それから、顔を見合わせた。
少し躊躇いながらもクラエがこくりと頷くと、アムラはおずおずと口を開いている。
「街で噂になっている、と聞いたのです……」
「お父様に隠し子がいると街の人間達が話していると聞いたから、二人で調べたのだ」
その話を聞いて、一体何をどうやったら自分に辿り着いたんだろう、とリグレットがげんなりしてイヴルージュを見れば、決して彼らには気付かれないように、視線を地面に向けて静かに溜息を吐き出している。
二人の子供達の不安に満ちた瞳を受けて、シュレルジーナは慌てる事なく、あらあら、とおかしそうに口元を押さえて笑って見せた。
「二人共、そのような事を心配していたのですね。ですが、私が陛下の行動全てを把握していない筈がありませんし、絶対に許すわけがないでしょう? 何より、陛下は私達家族を一番に想っておられます。心配などしなくていいのですよ」
一瞬、シュレルジーナは場の空気が凍りつく程に冷たい目をしていたが、リグレットはあまりの恐ろしさにサッと視線を逸らし、イヴルージュも目を伏せて知らん顔をしている。
そそくさと華やかな花の香りがする紅茶を飲み込むと、砂糖を入れていないのにほんのり甘く感じられた。
高級な紅茶って味も香りも全然違うんだなあ、などと思考を飛ばしていると、そっと伺うようなシュレルジーナの視線を感じて、リグレットは顔を上げた。
えへ、と曖昧に笑みを浮かべて首を傾けると、彼女は小さく息を吐き出して、今度はイヴルージュへと視線を向けている。
「イヴルージュ。あなた、もしかして彼女に何も教えてはいないのですか?」
「あー……、いや、そろそろ言ってもいい頃合いかなとは思ってましたよ」
「まあ、都合がいいお返事ですこと」
困ったように答えるイヴルージュに、シュレルジーナは呆れたようにそう言うと、頰に手を当ててやや大袈裟なふうに溜息を吐き出した。
「話す事を躊躇してしまう気持ちも、心配になってしまう気持ちもわかりますわ。けれど、いつまでも隠し通せるものではないでしょう。それに、万が一の事が起きたらどうするのです」
「わかっています。ここまできたら、もう話せずにはいられませんし……」
言いながら、イヴルージュの赤い瞳が自分を見つめているので、リグレットはことりと首を傾けて、曖昧に笑った。
全く意図が理解出来ないが、彼女達が自分に何らかの配慮をしているのはわかったからだ。
シュレルジーナは小さく息を吐き出すと、まるで寝る前に子供達に読み聞かせでもするかのように、これから話すのは内密な話ですよ、と前置きをして、話し出している。
「国王陛下には、実は双子の弟君がいらっしゃるのです」
「お父様の、弟?」
「初めて聞きました」
「ええ。ですから、内密な話なのですよ」
思いもよらない話だったのか、驚いた顔で母の顔を見上げている子供達に、シュレルジーナは優しげに微笑んだ。
こんな重要そうな話を、一般人でしかない自分が聞いていてもいいのだろうか、と思いながらのリグレットがふと気がついて顔を上げれば、隣に座るイヴルージュは何故だか緊張しているようで、その横顔は少し、強張って見える。
心配になって顔を覗き込むけれど、彼女は緩やかに首を振り、シュレルジーナの話に集中するよう促すので、リグレットは戸惑いながらも小さく頷いて、正面に向き直った。
シュレルジーナはリグレットの様子を見て、ゆっくりと再び話し出している。
現国王であるイグニアーヴェンには双子の弟がいた。
双子で生まれた為に、王位を争う火種になると危惧され、生まれてすぐに引き離され隠されてしまった弟——アレクスヴニール。
王位継承権を放棄させられ、生まれた事さえ周囲には知らされずに育った彼は、二区の奥地に建てられた屋敷で、静かに穏やかに過ごしていた。
屋敷には大きな庭があり、外に出る事が出来ずにいた彼は、そこで沢山の草花を育てるのを好んでいたという。
「アレクスヴニール様はそこである女性と出会い、二人は互いに惹かれあって、やがて結ばれました」
どうやら王様の双子の弟である男性が、平民の女性と出会って結ばれた、という小説や絵本にありがちな話らしいが、アムラは恋愛の話が好きなようで、きらきらと目を輝かせていて、対照的に、クラエはつまらなそうに苺がふんだんに乗せられたタルトをフォークの先でちょんと突いていた。
リグレットとしても何故突然こんな話を聞かされているのだろう、と戸惑うが、誰一人として口を出さずに話を聞いている。
シュレルジーナは皆の顔を確認するかのようにゆっくりと見回すと、にっこりと笑って前を向いた。
「そして、その二人から生まれたのがあなたなのですよ。プリムヴェリーナ」
そう言って、真っ直ぐに向けられたシュレルジーナの青い瞳には、リグレットの姿が映っている。
「プリム、ヴェリーナ?」
初めて聞いた筈のに、何だか不思議な響きをしている、とリグレットは思う。
ずっと昔から知っているような、それなのに色鮮やかに聞こえる、そんな音の連なり。
ぼんやりと口の中で反芻していると、イヴルージュがぽんと頭の上に手を当てて、静かに教えてくれる。
「リグレットの、本当の名前だ」
「…………、は、い?」
思いもよらない言葉に、リグレットはぽかんと口を開け、固まってしまっていた。
二人の言葉が、まるで遠い異国の言葉のように、理解出来ない。
「国王陛下の弟君であるアレクスヴニール様と、二区にあるブルーブロッサムの研究所で働いていたプレセア。その二人から生まれた娘、それがお前なんだよ」
「え、と……? あの……、どういう、こと?」
「まあ、すぐに理解出来ないのも仕方ないよな」
ははは、と乾いた笑いを浮かべながら、イヴルージュは優雅に紅茶を飲んでいるけれど、言葉だけが上滑りして、上手く咀嚼出来ないままに、リグレットは彼女の言葉をただ情報として口にする。
「お父さんが、その、王様の弟? で、お母さんは二区で働いてた一般人で……、その二人から生まれたのが、私?」
「そう」
「え。じゃあ、私とこの人達は親戚って事?」
自分とシュレルジーナ達を交互に指差してそう言うと、イヴルージュはさっとその手を取って、彼らに頭を下げている。
「そうだ。だけどお前は平民の身分で、今の言動は不敬だから止めような」
イヴルージュの控えめな指摘に、リグレットはひゅうと自らの喉の奥から音が鳴るのをはっきりと聞き取った。
ごめんなさい、すみません、と慌てて頭を下げて謝罪するけれど、シュレルジーナは楽しそうにころころと笑っているし、二人の子供達は不思議そうな顔で彼女を見上げているばかり。
「では、この者は私達のお姉様ではないのですか?」
「血の繋がりで言えば、あなた達の従姉妹にあたりますわね」
「じゃあ、お父様の子供は私達とお兄様だけ?」
「ええ、勿論」
良かったあ、と安堵の息を吐く子供達とは対照的に、リグレットの頭の中はこれ以上ない程に混乱に満ちていた。
だって、王城へ連れてこられたかと思ったら、いきなり王族の人達と会う事になった上に、自分が彼らと関わりがあるだなんて、一体誰が分かるだろう。
「え? は? な、何で? 何かの間違いとかそういうんじゃなくて?」
「本当だって」
「だって、私の髪は青くないよ?」
「それはあたしもよくわからん。プレセアがお前と同じ髪色だから、そっちの遺伝じゃないか?」
「えっ、そうなの?」
自分の薄紅色の髪が母親と同じ色なのだと知れて、リグレットはぱっと顔を輝かせるが、すぐにしゅんと肩を落としてしまう。
話している意味は、かろうじてわかる。
けれど、理解は全く出来そうにない。実感だって湧いたりしない。
イヴルージュがいなかったら、きっと騙されているとさえ思っただろう。
だが、イヴルージュは決して否定せず、シュレルジーナはそれらを肯定するよう、柔らかな笑みを浮かべて頷いている。
「王家は血の繋がりが近い者と婚姻を結ぶものです。それは、王族の血とその証とされる青色を長く受け継ぎ絶やさない為でもあるのでしょう」
これも内密のお話ですからね、と付け足された言葉には、彼女が王族であると知らしめるかのような圧力が、ひしひしと感じられていた。
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