第52話 好きも嫌いも全て知らぬふり

「そういや、ジルバは元気そうだったか?」


 食卓の席でイヴルージュはそう問いかけながら、グラスを傾けている。

 リグレットの目の前には、今日二区へ行った際に購入してきた食材で作られた料理が並べられていて、どれも美味しそうだ。

 それらの料理が野菜中心である事に、野菜嫌いのイヴルージュは少し気落ちしたような顔をしていたが、ロールキャベツを一口食べるなりころっと機嫌良くしていたので、どうやら気に入ったらしい。

 リグレットもつられて一口食べると、キャベツは柔らかで甘味があり、中も柔らかで肉の旨みが上手に合わさっている。

 思わず「美味しい」と顔を綻ばせれば、向かいに座るグレイペコーは、その様子を見て嬉しそうに眼を細めていた。


「相変わらずボクの事を子供扱いしてたよ」


 一体ボクをいくつだと思っているんだか、とグレイペコーが苦笑いを浮かべて言うと、イヴルージュは楽しそうにけらけらと笑っている。

 二人がジルバの事を話す時の空気はどこか和やかで、それを聞いているリグレットもつい笑みが浮かんでしまっていた。

 ジルバ達と話をしていた際、グレイペコーは照れてはいたが、子供扱いをされる事を恥じているというわけではないようだった。

 甘やかされている事に慣れていないだけで、それを愛情として受け入れるのに少し難儀してはいるようだったけれど、とリグレットは考えて、また一口、ロールキャベツを頬張った。

 グレイペコーはグラスに水を入れてイヴルージュに差し出しながら、少し眉を寄せている。


「けど、そういえば少し変な咳してたな」

「咳?」

「うん。喉の調子が悪いみたいだって言ってた。重い病気とかじゃないといいんだけど」


 イヴルージュは何か思う所があるのか、視線を地面に向けて少し考え込むと、小さく息を吐き出した。


「……ま、あいつもいい歳だからな。そろそろ引退も考えてやらんといけないだろうし」


 抗体値は平均して三十半ばから四十歳辺りから少しずつ変化していくと言われていて、特殊配達員は年若い者が多い。

 ジルバはその中でも最年長で、尚且つ速達配達員の指導をしているというから、貴重な人材なのだろう。


「もしかして、その為にあのテッサとかいう子を伝言局に入れたの?」

「それもあるにはあるが、そもそも特殊配達員の数は少ないし、慢性的な人不足だってわかってるだろう?」

「それは、そうだけどさ……」


 煮え切らない気持ちを示すように口ごもるグレイペコーに、イヴルージュは苦笑いを浮かべている。

 リグレットはバゲットにバターを塗りながら、ふと思い出し、ぱっと顔を上げた。


「そういえば、この間テッサにね、パンに溶かしたチーズと蜂蜜を合わせると美味しいって教えて貰ったんだよ」


 代わりにこないだ食べたハーブバターが美味しかったから教えてあげた、と言うと、グレイペコーが何とも言えない表情を浮かべている。


「ねえ、最近は謝罪文って言うより、美味しいご飯の情報交換ツールになってない?」

「だって、テッサが教えてくれるご飯美味しそうなんだもん」


 テッサからの謝罪の言葉はずっと届けられてはいるし、それが彼なりのけじめでもあるのはリグレットもわかっているので、その言葉はきちんと受け取っている。

 だけれど、リグレットはそれとは別に、テッサ自身の事も知ってみたい、と返事をしてみたのだ。

 読み書きを覚えている最中の彼が、自らの事を文章にするというのは大変そうであったし、辿々しい言葉からそれを読み取るのは難しく感じてはいたけれど、そのお陰か、少しずつ彼の人となりを知ってきたように、リグレットは思う。

 お互いに事務仕事が苦手で、身体を動かす仕事の方を好んでいるだとか、慣れない仕事の悩みや解決策などもメッセージカードを通じて教え合っているのだが、それ以上に食事に対する熱量が大きいせいか、美味しいご飯についての話題が尽きないのだ。

 なんだかなあ、とグレイペコーは納得がいかない様子ではあるものの、以前のように強く警戒しているわけではないらしい。

 イヴルージュもそれに気付いたようで、リグレットと目が合うと、ふふ、と吐息混じりに笑っている。


「テッサにもそろそろ配達業務を教え始めてもいいかもしれないな」

「好きにすれば」


 素っ気ない返答をするグレイペコーに、イヴルージュは笑みを深くして、頭を撫でようと手を伸ばしているが、グレイペコーの方は嫌そうに顔を背けていた。


「捻くれた返答をしててもかわいいなあ、ペコーは」

「いいから黙って残さず綺麗にご飯を食べてね」


 言外に、好き嫌いせずにちゃんと食べろ、という圧力を乗せているグレイペコーは小さく息を吐き出すと、水が入ったグラスを傾けている。

 食卓に並ぶ皿を眺めたイヴルージュは子供のように口先を尖らせていたが、ふと何か思いついたようで、ぱっと顔を上げるとリグレットを呼んだ。


「リグレット」

「なあに?」


 はい、あーん、とイヴルージュに差し出されたのは、人参のグラッセだ。

 バターと砂糖で煮詰められた人参は、つやつやしていて輝いて見える。

 ぱくんと口の中に入れると、まろやかなバターの香りと塩味が広がって、そこからじんわりと人参と砂糖それぞれの甘みがやってきて、リグレットは思わず顔を綻ばせてしまう。


「美味しいか?」

「うん! ペコーの作ってくれるご飯は全部美味しいし好きだよ」


 グレイペコーの作る料理は、家族それぞれの好みに合わせつつ、栄養が偏らないようきちんと考えられていて、何よりとても美味しい。

 手早く短時間で調理をするのに、無駄のないタスク管理を徹底していて、ご飯が出来上がる頃にはキッチンも綺麗に整えられている。

 これでも孤児院にいた頃よりは大分手を抜いてるよ、と苦笑いを浮かべている事もあったが、それでいて家計を考慮して食材を調達したりしているのだから、本当によく出来た人だとリグレットは感心してしまう。

 その分、朝に弱いという面があるので、朝食の用意をするのはリグレットの役目だけれど、それにしたって、ここまでちゃんとした料理は流石に作れそうにない。


「そうだな。ペコーもリグレットも本当に可愛くていい子だ」


 赤い眼を柔らかく細めて、イヴルージュは嬉しそうにグラスを傾けた。

 いつもより飲むペースが早いように思えるのは、気のせいではないだろう。


「イヴ。良く言った風にして誤魔化して、食べたくない野菜をリグレットに食べさせないで」


 ひき肉に混ぜ込んだってちまちま取り除こうとするんだから、と呆れ顔をしたグレイペコーは、深々と息を吐き出した。

 人参をわざわざ手の込んだグラッセにまでしたのは、人参が嫌いな彼女の為なのだろうが、子の心親知らず、イヴルージュは何の事だかさっぱりわからないと言わんばかりに首を傾げてとぼけている。

 それどころか、完全に知らないふりをして、話題を変えていた。


「ジルバの所にはアルティがいるからな。あの子は少し抜けた所はあるが、ジルバを親のように慕っているから、あいつの健康には気をつけているだろう」

「イヴも少しくらい健康に気を使って欲しいんだけどね」


 グレイペコーの言葉に、イヴルージュは心外だと言わんばかりにグラスを揺らしてみせる。

 ランプの灯りに照らされて、ワインの入ったグラスはきらきらと輝いて見えた。


「気を使ってるだろ。とびきり美味しいご飯に、愛すべきかわいい子供達、それから少しのアルコール。これであたしは毎日元気に暮らしていられるさ」

「少し? 嘘でしょう、料理用に置いてあったワインまで飲んでたよね?」

「もうバレたのか。流石はペコーだなあ」


 イヴルージュがけらけら笑って言うものだから、グレイペコーが呆れた顔で溜息を量産している。

 二区で渋々といった具合でワインを購入していたのは、これを見越した事だったのだろう。


「ねえ、アルティさんって私より二つ年上だよね?」

「そうだね。ヴァニラの一個下だよ」


 リグレットが聞けば、グレイペコーは頷いてそう教えてくれた。

 容姿だけならヴァニラの方が年下に見えるけれど、実際はアルティの方が年下らしい。

 ヴァニラとグレイペコーがどこか似ているように感じていたのは、年上だからというわけではなく、下の弟妹達の面倒を見ていたり、家の事を率先してやっているから、という共通点からなのかもしれない。

 それに、アルティはどちらかといえばジルバに甘えているように見えていたし、と考えて、リグレットはふふと小さく笑った。


「ジルバさんとアルティさんってずっと前から仲良しみたいに見えるよね」

「アルティは良いとこの出なんだが、家庭でちょっとあってな……。幼少期にジルバの所に来たんだよ」


 ジルバ自身も孤児院出身だから、何か思う所があったのかもな、と付け足して、イヴルージュは憂げに目蓋を閉じている。

 よくわからないけれど、うちの家と似たような感じなのだろうか、とリグレットが考え込んでいると、イヴルージュが顔を覗き込んで、そっと頭を撫でていた。

 両親の話をしてから、彼女はこうして気遣う事が増えたように、リグレットは思う。

 イヴルージュがあの話をする事を避けていた、というよりは、思い出すには辛過ぎる出来事のように感じられていたから、きっと、自分に対しての心配と、自分を通して両親を思い出しているからなのだろう、と。

 大丈夫、と言葉にはせずにリグレットがにこりと笑うと、イヴルージュは小さく頷いて、苦笑いを浮かべている。


「リグレット。はい、あーん」


 そうして何故か目の前に人参のグラッセが差し出されるので、リグレットは反射的に口を開いてしまっていた。


「美味しいか?」

「うん、人参好きだよ」


 グラッセにしてあればいくつでも食べられそう、と笑えば、イヴルージュはからからと笑っている。


「そうかそうか、良かったなあ」

「……イヴ、せめて一個はちゃんと自分で食べないと本当に怒るからね」


 わざわざ食べやすいように工夫してるのに、と不満を言いながらも、グレイペコーは苦笑いを浮かべているので、きっと仕様がない人だと思っているのだろう。

 イヴルージュがいない間もグレイペコーが一緒にいてくれたから、不安になる事も寂しく感じる事もなかったけれど、皆が一緒に家にいるというのは、やっぱり嬉しいし楽しい。

 二人の様子を見て、リグレットは顔を綻ばせて笑っていた。

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