第51話 羊はここに何匹いるのですか

 土産を買って店を出ると、会計を済ましたグレイペコーが足を止めるので、リグレットは不思議に思いながらその視線の先を辿った。

 屋台が並ぶ道の向こう側、背の高い男性が、転んでしまった子供を助け起こしている。

 四、五十代くらいの男性だろうか。子供に怪我がない事を確認すると、優しそうな笑顔を浮かべていた。

 子供が助けてくれた礼を言って駆け出す所を見届けてから、グレイペコーは彼に呼びかけている。


「ジルバ!」


 ぱっと嬉しそうな顔をして手を振るグレイペコーは、いつもよりどこか幼く感じられて、リグレットは思わずその横顔を見つめてしまった。

 男性はグレイペコーに気がつくと、くすんだ緑色の髪を揺らしてゆっくりと笑みを浮かべている。


「やあ、グレイペコー、リグレット」

「こんにちは、ジルバさん」


 彼——ジルバは、二区の特殊配達員のまとめ役兼速達業務の指導役で、おっとりとした雰囲気の男性だ。

 その容姿の通りに穏やかな性格をしていて、少し困り眉の優しそうな笑顔が、何だか親しみやすさを感じられる、とリグレットは密かに思っている。

 菓子を作るのが趣味らしく、二区へ配達に行けば、いつも甘い匂いがする程だ。

 イヴルージュとは旧知の仲で、グレイペコーは幼い頃から彼と交流があると聞いてはいるが、こうして二人が話をしている所をリグレットが見るのはこれが初めてに近い。

 何より、他者に対して警戒心が強いグレイペコーがこれだけ親しげにしている所を見るに、それだけ心を許せる相手なのだろう。

 家族の思わぬ一面を見れて、少しくすぐったいような嬉しいような気持ちになって、リグレットが笑みを浮かべていると、不意に後ろから大きな声が響いていて。


「あーっ! 師匠、どこ行ってたんですか!」


 あまりに大きな声に、通りがかりの人や屋台の者まで、一斉に視線が注がれるが、声の主は全く気にした様子もなく、ずんずんとリグレット達の元へとやってくる。


「アルティ」

「先輩にリグレットさん! 二区にいらっしゃってたんですね! こんにちは!」


 師匠の事を見ててくれてありがとうございます、と頭を下げて礼を言うアルティは、ふわふわの柔らかな茶髪を揺らしてにっこりと笑った。

 新緑にも似た緑の瞳はきらきらと輝いているようで、彼女の性格をよく表している。

 底抜けに明るくて活発で、元気一杯のアルティは、リグレットの二つ年上の特殊配達員だ。

 速達要員としても育てられている事もあり身体能力も高く、少し抜けた所もあるけれど、その愛嬌のある言動が、周囲の局員達にも微笑ましく思われているらしい。

 実際、二区に配達に行く時も、いつもジルバはお菓子を用意してくれて、アルティはあたたかいお茶を淹れてもてなしてくれるのだ。

 すっかりリグレットが懐くのも訳はなかったのだが、それはさておき。


「まったく、師匠は目を離すとすぐどっかに行っちゃうんですから!」


 ぷくりと頰を膨らませ、腰に手を当てているアルティは、まったくもう、とでも言いたげに不満そうな顔をしている。

 気の向くままにふらふらとどこかへ行っているのはアルティの方だと誰もがわかっているのだが、全員それを口にする事はなく苦笑いを浮かべていた。

 二人もリグレット達と同じ特殊配達員なので、今は休暇中なのだろう。

 豊穣祭はやっぱり毎年楽しみですからね、とにこにこして言うアルティに、リグレットもうんうんと頷いた。

 一区でも祭りがある事はあるが、どちらかと言えば格式ばった華やかなものであって、二区のような食べ物がメインの騒がしくて賑やかなものではない。

二区で暮らす人にとっても、普段はこれ程に人が来る事もないので、張り切って準備をしているのが見て取れた。

リグレットがそんな事を考えていると、ジルバがこんこんと咳込んでいて、すぐに気がついたアルティが慌てて背中をさすっている。


「ジルバ、風邪ひいたの?」

「うーん、そうだね……何だかここ最近、喉の調子がよくなくて」


 ジルバの返答に、グレイペコーは心配そうに眉を下げている。


「ジルバもいい年なんだから、気をつけないと駄目だよ」

「はは、面目ない」


 心配そうな顔をしているグレイペコーと、首の後ろを撫でて申し訳なさそうに言うジルバを交互に見つめていたアルティは、その内に何か納得した様子で頷くと、胸に手を当ててにっこりと笑顔を見せた。


「大丈夫ですって、先輩! 師匠の事はアルティが責任持って棺桶から墓場までお世話しますから!」

「アルティ、棺桶に入ったりお墓に行かないように見てないと駄目なんだよ?」

「そうでした!」


 グレイペコーの指摘に、てへへと笑うアルティを、ジルバは優しい笑顔で見守っている。

 側から見ると、まるで親子みたいだなあ、とリグレットがにこにこしていると、ジルバの灰色の瞳はグレイペコーに向けられている。


「それにしても、グレイペコーは本当に大きくなったね」


 よしよし、とジルバに頭を撫でられて、グレイペコーはなんとも言えない顔をしていた。


「ねえ、一体いつのボクと比較しているの?」

「少し前まではアルティよりも小さくて、甘えるのが下手で、人に頼るのが苦手で、本当に手がかかる子だったのに……」


 そこまで言うと、ジルバは感極まったように、目頭を指で押さえている。

 子供の頃からそつなく何でもこなせてしまって、聞き分けが良く、言われなくとも望まれているだろう事を自然と理解して行動してしまうグレイペコーは、本当に不器用な子だったのだ、とジルバは眼を潤ませているので、皆困ったように苦笑いを浮かべている。


「あー、こうなっちゃうと本当にダメダメですねえ。師匠は年々涙もろくなっちゃってるんですよ」

「ボクももう大人だし、背も大分伸びたんだけどね……」


 ジルバの背中を撫でながら、呆れたように溜息を吐き出しているグレイペコーを見ていると、何だかイヴルージュとのやりとりをしている時のようで、リグレットは思わずふふと笑い声を零してしまった。


「でも、ペコーもジルバさんの前だと少し子供みたいになるよね」

「え、嘘」


 リグレットの指摘が思わぬものだったようで、グレイペコーはびっくりした顔をしている。


「わかります! 先輩、師匠と話してるとちょっと幼くなりますよね!」

「そうそう」


 リグレットの言葉にアルティも同意してくれていて、二人してにこにこと笑顔で頷き合っていると、いつの間にか涙目のジルバまで揃って頷いているので、グレイペコーは少したじろぐと、ぱっとそっぽを向いていた。


「もう、皆して揶揄うのはやめてよね」


 そう言って口元を押さえて顔を背けたグレイペコーの、耳や目元がうっすらと赤い。

 珍しく恥ずかしがっているらしい、と気付いたリグレットが面白がって顔を覗き込もうとすると、「こら、意地悪しないの」と頰を両手で挟まれて上下に揺らされてしまう。

 きゃあきゃあと声を上げて笑い、戯れあっていると、その様子を優しく見守っていたジルバが、ふ、と吐息混じりに笑って、グレイペコーの名前を呼んでいた。

 顔を上げたグレイペコーは、不思議そうに首を傾けている。


「何か困った事があったらすぐに言いなさい。私でよければ、いつでも手を貸すからね」

「……うん、ありがと」


 少し話込んでから、二人が去っていくのを手を振って見送ると、リグレットはグレイペコーの顔を覗き込んでにこりと笑った。


「ジルバさん、いい人だね」


 リグレットがそう言うと、グレイペコーは小さく苦笑いを浮かべている。


「優しすぎて、少し心配になるけどね」


 あまり無理をしないといいんだけど、と憂げに瞬きを繰り返すグレイペコーは、顔を上げると、二人の歩いて行った先へと視線を向けていた。

 二区の街並みがランタンの灯りでほんのりと青く染まっていて、何だか森の中にいるみたいだね、とグレイペコーはぽつりと呟いていた。

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