第69話 透かして見えたらいいのにね

「今の所は異常はないようだ」


 グラウカのその言葉に、狭い室内にいる全員が大きく息を吐き出した。

 ベッドで上体を起こしたノルの隣で、リグレットは小さな椅子にちょこんと座って周囲を見回す。

 検査の結果を記した用紙を手にしたグラウカが、側にいるイヴルージュへそれを渡している。

 彼女はグレイペコーと一緒になって不安げな表情で覗き込んでいたが、やがて全てに目を通すと、顔を上げてリグレットに問いかける。


「リグレット。本当に自覚症状はないか?」

「うん、大丈夫だよ」

「ノルも問題ないんだな?」

「はい」


 ご迷惑おかけして、と続けようとしたノルを片手で制して、イヴルージュは大きく息を吐き出した。


「ならいい。これ以上お前達に何かあったら心臓が持たん」


 その安堵しきった表情を見てしまうと、リグレットは申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。

 此処最近、辛そうな彼女の姿を見ていたのもあるのだろう。

 心配になったリグレットが顔を覗き込むと、彼女は「何かあったらすぐに呼ぶんだぞ」と眉を下げて笑いながら、頭を撫でていた。

 その優しい重みにリグレットがふにゃりと顔を緩めると、隣にいたグレイペコーも小さく笑みを浮かべている。


「で、結局こうなった原因が何なのかは、まだわからないんだな?」


 イヴルージュが顔を上げて問いかけると、グラウカは苦々しい面持ちで頷いた。


「あの薬を服用した際、髪や眼が青くなる、という副作用があるのは聞いてはいるんだが……」


 グラウカ曰く、例の薬を服用した際、髪や眼が青色になる事があるそうだけれど、それらに関する事象については解明に至っていないらしい。

 そもそもあの薬はノルを助ける為の薬であって、服用の際に重篤な副作用を引き起こすものではないのであれば、其処に重点を置いて研究をする必要がなかったのだろう。


「ただ、リグレットが薬を服用したわけではないからね。検査の数値も、以前と変わりはないんだ。原因を特定するにも、暫く様子を見るしかないだろう」


 そう言って、グラウカはこめかみに指を当てて深く考え込んでいる。

 リグレット自身、こうなった原因など見当もつかない上に、医師である彼が言うのなら、それ以外に方法はないのだろう。


「いつもと違う事といえば……血を採った事くらいだよね?」


 グレイペコーの言葉に、視線を向けたイヴルージュは緩やかに首を振った。

 薬の事について、ノルは何も知らないのだとリグレットは彼女から聞いている。

 その薬に何を使っているのかも、リグレットの父親の事についても、グラウカやイヴルージュが、ノルが目覚めてから折を見て話すと言っていた。

 だから、今回リグレットの血液を使用して薬を作った事についても、彼には伝えていないのだろう。

 ノルはまだぼんやりとした感覚が抜けきらないのか、不思議そうに首を傾げてはいるものの、疑問を口にする様子はない。


「もしもその影響だとしたなら、元の状態に戻るには約一か月程かかるだろう。どちらにせよ、今異常が出ていないなら暫くは様子を見て、何かあればまた追加で検査をしてみよう」


 失われた血液が元の状態になるまでは時間がかかると聞いているし、それが落ち着けば髪の色も戻るのではないか、とグラウカは言っているのだろう。

 一ヶ月。それを聞いたリグレットは、少しだけ気落ちしてしまう。

 今は部分的に筋のように青くなっているけれど、このまま髪が全部青くなったりはしないだろうか。

 そうなったとしたら、そうそう外には出られないし、父や母のように隠れて暮らすようになるのかもしれない。

 何だか不安になってきて、しおしおとしょぼくれていると、イヴルージュの手がリグレットの頭に伸びてきて、くしゃくしゃと撫でている。


「髪が全部が青くなったわけじゃないから、どうにか誤魔化せるだろう。それに、何かあったらすぐにそのフードを被れば隠せるんだし」


 イヴルージュはそう言って、悪戯っぽく笑うと、ケープについたフードを指差した。

 本来は以前襲われた際、顔を隠すだけでも防犯になるだろうから、とグレイペコーが友人に手伝って貰って作ったものだが、こうした事態にも役立つとは思わなかった、とリグレットは考えて、フードに手を触れた。

 あの後からずっと制服と共に身につけているので、随分と身体に馴染みつつある。


「そうだね。このくらいなら、髪を編み込んだりすれば隠せるんじゃないかな」


 どうせなら色んな髪型を試してみようよ、と言って、グレイペコーはリグレットににこりと笑いかけた。

 先程まで沈み込んでいたものの、髪型を変えるというアイデアはとても楽しそうで、リグレットはぱあっと顔を輝かせる。

 伝言局に入局するにあたって、長く伸ばしていた髪を切ってしまったから、以前使っていた髪飾りやリボンはそうそう使っていなかったけれど、少し伸びてきた今なら髪型を色々変えられるし、それらも使うチャンスがあるという事だ。

 何なら、新しい物を買ってもいいかもしれない。

 すっかり調子を取り戻すと、リグレットは青くなった髪を指先で摘んだ。

 よく見てみれば、以前城で出会った二人の子供達の色によく似ている。

 彼らと血縁関係だというのなら、父親の髪も彼らのような鮮やかな青色なのだろうか。

 そんな事を考えていると、グレイペコーが、ふと何かに気が付いたかのように顔を上げた。


「そういえば以前、テッサも髪が青くなっていた事があったけど」

「そうなの? 森で襲われた時にテッサの目が黒っぽい青になってた気がしたけど、あれって気のせいじゃなかったって事?」


 そう言ってリグレットがグレイペコーの服の裾を掴んで顔を覗き込むと、グレイペコーは申し訳なさそうな表情を浮かべている。

 あの時、思い悩んだ様子だったのは、そのせいもあったのだろう。


「リグレットも見ていたんだね」

「うん。あの時は、光の加減とか見間違いなのかな、って思ってたから」


 リグレットがそう言うと、グレイペコーは苦笑いを浮かべて頷いた。

 あの時、恐怖でまともな状況判断が出来ていたとは到底思えなかったのだし、仕方がないとわかっているのだろう。


「テッサは元々抗体持ちだったようだし、以前様々な薬品を投与されていたようだと報告が上がっていたから、何らかの影響があったのだろうとは思うがな……」


 口元に手を当てて考え込んだイヴルージュは、また大きく息を吐き出して、肩を竦めた。


「ま、テッサに関してはヴァニラにもう少し踏み込んで聞いておくよう言っておこう」


 ここ最近は大分言葉も話せるようになってきて、周囲とも打ち解けているようだから、とイヴルージュは言って、視線をリグレットとノルの二人に向けると、眉を下げて笑っている。


「とにかく、今はよく休め。二人が無事なら、それでいいんだから」

「うん」

「……はい」


 リグレットは頷いて、そっとノルを覗き見る。

 緩やかに瞬きを繰り返している金色の瞳がリグレットに気がつくと、何故かそっと視線を外されて、リグレットは思わず手のひらをぎゅうと握り締めた。

 まだ目覚めたばかりだからだろう、顔色は白く、調子がいいわけではないのだろう事は見て取れた。

 感謝をされたかっただとか、見返りが欲しかっただとか、そういうわけではないのは確かだし、彼が目覚めてくれた事が一番に嬉しいのだという気持ちに、嘘はない。……だけど。

 リグレットはぎゅうとスカートの裾を握り締める。

 それでも、彼に目を逸らされてしまった事に、とてつもない淋しさを感じて、リグレットは自分の足元をじっと見つめていた。

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その日、さよならを言うために 七狗 @nanaku06

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