第58話 ハロー、ハロー。鏡は此処に。

 自らの出生について話をされて以来、リグレットは再び外出時に制限をかけられているものの、周囲はその不自由さを気にかけてくれているらしい。


「今日は外に昼食を買いに行くから、一緒に行く?」


 そうグレイペコーが聞くなり、リグレットはそれをしみじみ実感したものだし、有り難さや嬉しさを感じている。

 キナコも一緒に連れて行き、久しぶりに中央広場まで出れば、騒がしさを感じる筈の中央広場付近では、いつもならいない軍の兵士が巡回しているのが見えた。

 そうした変化を道行く人々も気づいているのだろう、何処かよそよそしく、すれ違い様に見るのは、大抵が恐れや不安を抱いた横顔だ。

 グレイペコーも同じように感じていたようで、何だか物々しいね、と苦笑いを浮かべている。


「リグレット、何食べたい?」


 気持ちを切り替えるようにグレイペコーが問いかけてくるので、リグレットは周囲をぐるりと見回して、考えた。

 大通りには店が犇めくように並んでいるけれど、時折狭い路地に思わぬ名店が潜んでいる事があるのだ。

 丁度視線を向けた場所にも、路地の入り口に真新しい小さな立て看板が置かれていて、リグレットはぱっと顔を上げた。


「ねえ、あっちに行ってみてもいい?」

「いいよ」


 グレイペコーが快く返事をしてくれるので、リグレットは笑顔で指差す方向へと歩いていく。

 共に歩くキナコの足取りもいつもより軽やかで、ふわふわの尻尾を嬉しそうに振っている。

 路地を抜けた先は小さな広場のようになっていて、雑貨屋や製菓店など小さな店がぐるりと並んでいた。

 その中にある一つの店の中を覗き込んだリグレットは、思わず顔を輝かせて、急いで店の中に入って行った。

 店の中には綺麗に磨かれたショーウインドウがあり、中には手のひらサイズのキッシュが何種類も並んでいる。

 中身もほうれん草とベーコンといった馴染みのあるものから、きのことチーズ、

 とうもろこしとじゃがいもなど様々な種類があり、また、かぼちゃやリンゴなどを使ったタルトも置いてあって、リグレットは思わず顔を綻ばせてしまう。

 四つくらいは平気かな、とちらりと隣にいるグレイペコーを見れば、三つまでにしようね、と釘を刺されてしまって、リグレットは唇を尖らせた。

 これだけ種類がいっぱいあるのに、その中からたった三つしか選べないなんて……。

 悩みつつ窓から見えた店の外で待たせているキナコを見れば、美味しそうな匂いにそそられているらしく、そわそわと店の中を覗き込んでいる。

 きっとお腹が空いてるんだろうなあ、と同じく音を鳴らしている自分のお腹にそっと手を当てた。帰ったら一緒に来てくれたお礼も兼ねて、おやつをあげよう。

 グレイペコーと共に皆の分も含めて選んで会計を頼むと、待っている間、ふと窓の外にある人物を見つけて、リグレットは慌ててグレイペコーに呼びかけた。


「なあに、どうしたの?」


 グレイペコーが不思議そうに首を傾けてそう問いかけるけれど、リグレットは先程の人物を見失わないよう、視線をそちらに向けたままで答える。


「あっちにこの間のシスターのお姉さんがいたの。少しだけ話してきてもいい?」

「シスター?」


 いまいち話が掴めずにグレイペコーは訝しげな顔をしていたけれど、瞬きを数度繰り返す間に思い当たったのか、小さく何度か頷いた。


「ああ、二区でぶつかった人?」

「うん」


 グレイペコーは一瞬しか見ていなかったようで、よくわかったね、と感心している。

 ただ、会計を待っているので、すぐにはそちらに行けないと判断したのだろう、慌てて首を振っている。


「一人で行っちゃダメだよ。会計終わるまで待ってて」

「でも、いなくなっちゃうかも。ペコーの見える所までにするし、キナコも一緒に連れて行くから」


 お願い、とグレイペコーの服の裾を掴んで見つめると、少しだけ考え込んだグレイペコーは、大きく溜息を吐き出して、心配そうな表情で頭を撫でてくれる。


「わかった。だけど、何かあったら大きな声ですぐ呼ぶんだよ?」

「うん!」


 リグレットは急いで店を飛び出すと、先ほど見かけたシスターの女性を追いかけ、丁度路地の奥へ入っていくその背中に、慌てて声をかけた。


「待って、シスターのお姉さん!」

「あなた、この間の……」


 二区で会ったシスターの女性はリグレットの顔を覚えていたらしく、ふわりと振り向くと、首を少しだけ傾けた。


「あの、この前はぶつかっちゃってすみませんでした」


 ちゃんと謝れなかったから、とリグレットが頭を下げると、シスターの女性はぱちぱちと瞬きを繰り返してから、吐息混じりに笑っている。


「ふふ、それを言いに、わざわざ声をかけてくれたの? 優しいのね」


 金色の瞳を細めて笑う彼女にそう言われ、照れ臭くなったリグレットは、思わず視線を俯かせてしまった。

 視線の先にいるキナコは、彼女の服の裾に鼻を近づかせ、ふんふんと匂いを嗅いでいる。

 キナコは人懐っこい方だけれど、知らない人には滅多に近づかない筈なのに。

 戸惑いながらリグレットは謝ったが、彼女は別段気にしていないようで、にこにこと笑顔を浮かべていた。


「まあ、かわいい。この子、お名前は?」

「キナコって言うんです」

「そう、いい子ね」


 撫でてもいいか聞かれたので、リグレットはキナコの様子を見ながら大丈夫だろうと考えて、すぐに頷いた。

 こちらに害をなそうとしない限り、キナコが他人に噛み付く事はないけれど、キナコの負担になるので、普段は局員以外に触れさせる事はない。

 けれど、彼女に関しては、何故だかキナコの方から気に入って近づいている。

 彼女はきちんと自分の手の匂いを嗅がせてから、安心させるようにキナコの顔の下から手を差し出した。

 白くしなやかな指に甘えるように、キナコは頰をすり寄せている。

 本当に不思議、と思いながらこっそりと見つめたシスターの女性は、黒と白で統一された服のせいか、透き通るような肌はやけに白く見えた。少し、病的な程に。

 それに、彼女の眼は金色をしていて、少し眠たげにも見えるその目元は、やはり何故か既視感を覚えてしまう。

 そう、まるで、とても身近にいる誰かに、似ているような……?

 彼女をじっと凝視したリグレットは、ふとその誰かを思い出しかけて、シスターの女性と目が合った事に気がついた。

 じっと見つめてくる金色の瞳は、確かに、〝彼〟によく似ている。


「ねえ、ずっと私の顔を見ているけれど」

「えっ? あ、あの、ごめんなさい」


 あまりにじっと見つめすぎていたらしい。慌ててリグレットが謝ると、彼女は目を細めて、緩やかに首を振った。


「もしかして、誰かに似てる、って思っている?」

「え、」


 どきりとして思わず胸元を握り締める。

 何故そんな事がわかったのだろう。

 心の中を見透かされているようで、心臓がばくばくと音を鳴らしている。


「それって……、好きな人?」


 どこか楽しげな彼女の呟きに、リグレットはきょとんとした顔をして、それから、先程一瞬頭に浮かんだ人物を思い出して、一気に顔がぶわりと赤くなってしまっていた。


「ちがっ……! 違います!」

「まあ、かわいらしい」


 リグレットの反応が面白いのか、女性はころころと笑っていて。

 そういうんじゃない! 目の色が同じだから思い浮かんだだけ! 絶対にそう!

 顔を真っ赤にしたリグレットはあわあわと両手と首を振って、必死に弁明する。


「その、あの、えっと……そう、幼馴染みです! 何ていうか、もう家族みたいな感じだけど」


 まだ熱が引いてくれない頰を押さえながらそう言うと、彼女は金眼をぱちぱちと瞬かせ、それから、何故だか淋しそうに笑って見せた。


「かぞく。家族、ね。素敵だわ。私にも大切な家族がいたから、そんなふうに思い出して貰えたら嬉しいと思う」


 過去形で言うものだから、思わず伺うような視線を向けてしまったけれど、彼女はそれに対して嫌がる事もなく、優しげに目を細めている。

 それはまるで、遠い思い出を懐かしむように。


「ずっと離れ離れだったのだけれど……、やっと、もうすぐ会えるの」


 静かに告げた言葉は、静かな喜びを含んでいるのがわかる。

 きっと、彼女はその家族を大切に思っているのだろう。

 自らの家族を思えば、リグレットは自然と笑みを浮かべてしまっていた。


「良かったですね」

「ええ、ありがとう」


 そう言うと、彼女は嬉しそうに頷いて、それから、そっと手を伸ばしてリグレットの両手を包むようにして握り締めた。

 まるで、祈りを捧げるかのように。


「あなたにも、神のご加護がありますように」


 ぎゅうと手を握り締めて、彼女は言う。

 触れる指先は凍える程に冷たく、真っ直ぐに見つめてくる金色の瞳は、燐光のように淡い青を纏っていて、目が離せない。

 しん、と静まり返るように、周囲の音が消える。

 心臓の音だけが、身体の中でばくばくと音を鳴らしている。

 リグレットがぼんやりとしたまま彼女のシスターベールが翻る姿を見つめていると、すれ違い様に、そっと彼女は囁く。


「またね、プリムヴェリーナ」

「…………、え?」


 振り向いた瞬間、女性の姿は消えていた。

 周囲の音は戻り、まるで今までの事が夢のようにさえ思えてきて、リグレットはぼんやりと顔を上げた。

 足元にはキナコが心配そうに頭をすり寄せていて、少し離れた場所から、グレイペコーが小走りで近づいているのが見える。


「リグレット、どうかした?」

「ペコー……」


 名前を呼ぶと、グレイペコーは不思議そうに首を傾げている。

 どうしたの、ともう一度問われて、だけど、それに答える事が出来ずに、リグレットは呆然と手のひらを開いた。

 手のひらの中には、冷たい金属の感触。

 小指の先程の大きさをしたそれは、ノルがいつも身につけているものと同じ、龍の鱗を思わせる模様がついた、イヤーカフだった。

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