第64話 月明かりに光る小石を置いて

 腰まで届く金の髪を鬱陶しそうに後ろに払い、紺の制服を肩にかけたイヴルージュは廊下の先へとゆっくりと進んでいく。

 歩く度に太ももが露わになる程にスリットが入った、真っ赤な民族調のワンピースに、大振りで豪奢なアクセサリーは歩く度にじゃらじゃらと音を鳴らしていた。

 向かう先は、二区にある小さな医院で治療を受けている、先日保護された少年の元だ。


 グラウカが告発した事件を、国は研究所内で起きた一部分だけを公表し、それらに関わった研究員達を全員捕らえていた。

 公表した情報に制限をつけたのは、同様の事件を起こさせない為と、捕まった研究員の中に凶悪な犯罪組織と手を組んでいた者がいたからだと、イヴルージュは聞いている。

 そちらについても捜査を進められているものの、未だ手がかりすら掴めないままだという事も。


 違法な研究を行なっていた者達を摘発し、研究所に捜索に入った際、巧妙に隠されていた小さな部屋の中で発見されたのは、全員が身元が判明しない幼い子供達だったという。

 窓もなく、薄暗い室内の片隅で、折り重なるようにして無惨な姿で発見された子供達は数十人。

 無事だったのは、双子の子供達だけだと報告があったのだけれど、運悪く、研究所に捜索が入る数日前、その子供達は無理に脱走を試みて、あの青い桜の森へと入り込んでしまったらしい。

 その際、片割れを逃す為、自ら囮となって研究所へと戻ってきたのが、ノルという名前の少年だった。

 他の子供達が犠牲になり、たった一人残った被験体であるノルに、違法な研究を行っていた研究者達が何をしていたかなど、あまりに悍ましくて、それらを羅列した資料内容を思い出したくもない、とイヴルージュは思う。

 森の中に逃げたというノルの姉も、この小さな部屋の中でまともな教育をされていなかった為だろう、あの森がどれだけ危険な場所なのかを知らないままに森に入り、そのまま行方知れずになっているという。

 幼い子供、それも、抗体持ちでもない少女が森に入って無事である筈はないだろう。

 後少しでも、早く助け出していたら。

 クソ、と口汚い言葉を吐き捨てて、イヴルージュは強く手を握り締め、廊下の先にある部屋へと入っていった。

 曇り空という天気のせいか、室内はカーテンが開け放たれているのに薄暗く、苦い消毒薬の匂いが充満していて、鬱蒼とした雰囲気を漂わせている。

 部屋の端に設置されたベッドには幾つもの輸液の管が垂れ下がっていて、それを辿った先には、清潔な毛布で包まれ、蹲るようにしてグラウカに抱えられている少年がいた。

 無理に針を引き抜かないようだろう、傷だらけになっている腕は拘束と言えなくもない形で包帯が厚く巻かれている。

 あの森がどんな場所なのか。自分がどんな選択をしてしまったのか。自らが置かれていた状況と事実を知っていくうちに気付いてしまった少年は泣き崩れ、身体的な痛みと相まって自傷に等しい行為を何度も繰り返していると、イヴルージュはグラウカから聞いている。

 浅い呼吸を繰り返し、意識を保っているのがやっとの様子の少年は、今にも消え失せそうな程に身体を丸めて、縮こまっていた。


「お前はこのまま、生きる気力を無くして朽ちるのを待つつもりか?」


 イヴルージュは少年を見下ろして、静かにそう言った。

 全てを失った子供にかけるものとは言い難い言葉に、グラウカは顔を顰めている。


「イヴルージュ、こんな弱りきった子供に、何を言っているんだ」


 グラウカの非難する視線を受け流し、イヴルージュは全く動こうとしない少年をただ見つめ続ける。

 このまま治療が上手くいったとしても、この少年に生きる気がなければ、やがて自ら命を終えてしまおうとするだろう。

 イヴルージュは考えて、再び口を開いた。


「本当にいいのか? 万が一、お前の姉が何処かの区画に逃げ延びて、助け出されているとしたら、その子は永遠に一人きりだぞ」


 その言葉を聞いたノルは、漸くぴくりと反応し、ほんの少し頭を動かして、乾いた唇から声を零している。


「……ネム、生きてる、の?」


 掠れてひゅうひゅうと妙な呼吸混じりの声ではあるけれど、先の言葉はこの少年が唯一反応する事であると確信し、イヴルージュは微かに手のひらに力を込めた。

 その証拠に、少年はゆっくりと頭を上げて、虚ろな金色の瞳をイヴルージュに向けている。


「あくまでも可能性の話だがな。もしもお前がその僅かな可能性に賭けるというのなら、あたしはお前の身元を保証し、保護し、あたしの持つ権限を与えてやろう」

「イヴルージュ!」

「黙ってろ、グラウカ。これはこいつとあたしの話だ」


 少年の金の瞳に僅かな希望の光が灯るのを感じて、イヴルージュは密やかに胸に安堵を落とした。

 片割れの少女の遺体は、未だに見つかってはいない。

 それはこの少年にとって希望であるのは間違いなく、この現状を続けていくよりずっといい。

 内心でそう自身に言い聞かせるようにしながら、イヴルージュは少年へと話を続ける。


「そうすれば、その子に関わる情報は簡単に手に入る。何かに巻き込まれたとしても、その力でどうにか出来るだろう」


 ただし、と付け加えて、イヴルージュは腕を組み、じりじりと胸底が煮え滾るような焦燥感を落ち着かせようと、息を吐き出した。


「それを望むのならば、お前は必ずその役目を最後まで全うすると約束しろ。それが出来るのなら、あたしはお前にそれだけの力と知識、居場所を与えてやる」


 残酷な選択をさせているのは、十分過ぎるほどに理解している。

 状況を鑑みても、この少年の片割れが生きているとは、到底思えない。

 けれど、此処で生きる事を選ばせなければ、この子供は絶対に生きる事を諦めてしまうだろう、とイヴルージュは考えて、決断したのだ。

 そうでなければ、この子供は生きるという事を、放棄してしまう。

 それだけは、絶対にしてはいけない、と。

 この子供は、あの地獄から助け出した、唯一の希望なのだから。


「……わかった」


 彼は掠れた声でそう呟くと、包帯が巻かれた傷だらけの腕を、ふらりと伸ばしてくる。

 それは、助けて、とすら言えないこの子供の救いを求める声のようで、イヴルージュはそっとその手を取った。

 ひんやりとして、乾いていて、老人かのような、痩せ細った手。

 それでも、その手は必死に力を込めて指先を握り締めてくる。


「なら、あたしはお前の覚悟の分だけ、最善を尽くすと約束しよう」


 小さな手のひらを握り返して、イヴルージュは額を当てると、静かにそう告げていた。

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