第20話 五線上の軌道を描く合言葉

 リグレットとグレイペコーが呼ばれた局長室の中は、局長であり育ての親でもあるイヴルージュの趣味だろうと思われる、シノワズリ調の家具や小物があちこちに置かれている。

 リグレットがマザーと呼び慕うイヴルージュは、少し前に長期の休暇を取って旅に出てしまったのだが、不在中の部屋の中でさえ、その自己を強く主張してしまうあたりが、何とも彼女らしい、とリグレットは思う。

 向かいの机に座っているノルはいつもと変わらない眠たそうな顔をしていて、相変わらず頭の後ろ辺りの髪が跳ねている。

 苦笑いを浮かべたグレイペコーが、「髪、直してあげようか」などと言っていたけれど、面倒そうに首を振っていた。

 そのノルが数枚の書類を手にしてリグレット達に話したのは、配達員達が襲われている、という最近になって頻発しているという事件についてだった。

 襲われているのは伝言局の配達員達で、中には特殊配達員も含まれているという。


「でも、それってそれぞれの区画の、街中での話でしょう?」


 グレイペコーの言葉を聞いたリグレットは、書類を見つめているノルへと視線を向けた。

 特殊配達員達は通常、街中での配達業務は行わない。

 森の行き来をする為の体力を温存しなければいけないし、元々の人員が極端に少なく替えがきかない事もあり、負担の多くなる業務は割り振られる事がないからだ。

 制服を着用しなければ特殊配達員とは気付かれる事もないので、わざわざここへ呼び出してする話ではない、とグレイペコーは思っているのだろう。

 けれど、ノルはその言葉に首を振り、深々と息を吐き出している。


「いや、森の出入り口付近も、だ」

「特殊配達員が他の職員より給与を沢山貰えてるっていうのは一般的にも知られているから、金銭目的とか?」

「どうだかな」


 そう呟くノルは面倒そうに書類を机の上へ投げ置くと、腕を組み、うんざりとした様子で目蓋を閉じた。

 眉間に寄せた皺の深さから、彼がこの件で頭を痛めているのは明白だった。

 ブルーブロッサムの森は国が厳重に管理しているけれど、その危険性から、周囲に警護の為の人員配置すら出来ない。

 グレイペコーやフィスカスのように、機密文書を扱う速達専門の配達員ならば、自衛の為の戦闘訓練を受けているが、他の特殊配達員はあくまでも森の中を行き来出来る配達員でしかない。

 日常的に行われる業務の中でそんな事があるのか、と不安になってぎゅうと胸元を握り締めると、机に上に放られた書類をグレイペコーが拾い上げている。


「ふうん。襲われるって言っても、何が目的かははっきりわかっていないんだ?」


 グレイペコーが見た書類に記している限りでは、今回起こっているのは中途半端に危害を加えられたという事例だけらしい。

 特定の人物だけが狙われるのならば怨恨だろうし、金銭が盗まれれば強盗の類だろうが、目的がはっきりしなければ未然に防ぐ事も難しくなってくる。

 ノルが付け足したそれらの情報を聞いていたグレイペコーは、ぼんやりと考え込みながら、ぽつり、呟いていて。


「……、まるで、何かを探しているみたい、だね」

「何かって、なあに?」


 リグレットが問いかけると、グレイペコーは弾かれたように赤い眼を瞬かせ、直ぐに眉を下げて笑っている。


「そう感じるっていうだけだよ。あくまでも可能性の話」


 不安にさせないようにだろう、骨に沿って額を撫でられるので、リグレットは首を傾げながらも、曖昧に頷く他はなかった。

 グレイペコーは昔から、そういった危険を伴うような事だとか、不安になるような事をリグレットには極力見せないようにしている。

 それだけ大事にしてくれていて、だからこそ、追求したとしても教えてはくれないだろう、と考えたからだ。

 前回無断で森に入った件もあり、リグレットとしても、もうあんなふうに心配をかけるような真似はしたくないのだし。


「だから、わざわざボク達だけに先に話をしたんだね。念の為に街に出る時は私服に着替えるか、キナコ達を連れてた方がいいかな」


 グレイペコーがそう言うので、リグレットは自然と視線を中庭へと向けていた。

 今日は天気がいいので、二匹の狼達はきっと仲良くのんびり日向ぼっこをしているに違いない。

 特殊配達員が森に入る際は、高度な訓練を施した狼達が必ず側にいるので、襲われたとしてもそう被害に合う事はないだろう。

 狼達の中には王族の護衛と共に警護につき、主人に危害を加える者の喉笛を噛み切るよう訓練されている狼もいるらしい。

 一般人ならば、きっと狼に威嚇をされただけでも怯んで逃げてしまうだろう、とリグレットは思い、再び部屋の中へと視線を戻した。

 リグレットが相棒として側にいるキナコなどは、警戒心すら与えない程に人懐っこいので、そういった状況は考えられもしないのだけれど。

 グレイペコーの言葉に頷いたノルは、深く長く息を吐き出していた。


「そうだな。相手の目的が何にせよ、特殊配達員の人員を減らされる訳にはいかない。気を付けておくに越した事はないだろう」

「了解」

「はあい」


 二人のやりとりを聞きながら、リグレットも返事をするが、どうしても納得がいかない事があり、むう、と唇を尖らせてしまう。


「あのね、それはよくわかるんだけど……」

「なあに?」

「どうした?」


 リグレットの様子に、二人は不思議そうに首を傾げて見つめていて。

 ぱちぱちと瞬く赤と金の瞳は、ほんの少しだけ子供の頃を思い出させるような、幼さを感じらせる。


「その話をしてからちょこちょこ私の方を見るの、止めて欲しいなあ」


 不満を顕にしたリグレットが頰を膨らませてそう言えば、二人は顔を見合わせて、深々と息を吐き出した。


「だって前科があるし」

「やらかすのはいつもお前だろ」


 しれ、とした顔で、二人は言う。

 前回、リグレットが勝手に森に入って三区までカードを届けてしまった事を、二人は未だ気にしているらしく、自分自身がやらかした事なので、リグレットとしても、どうしたって言い返す事が出来ない。

 ううう、と唸り声を上げるけれど、グレイペコーは呆れた顔をしながらもよしよしと頭を撫でているし、ノルは面倒そうな顔で広げていた書類を丁寧にまとめているだけだ。

 あの日以来、リグレットはこっそりと行っていた森の中央へ行く回数も出来るだけ減らしている。

 本当はそれすらもいけない事は重々承知はしているけれども、時間は守っているし、中央の奥までは行っていないから、と心の内だけで言い訳を拵えながら謝罪していると、まとめた書類を几帳面そうに整えて机の端に置いたノルがグレイペコーへと視線を向けている。


「これを機に鍛えてやればいいんじゃないか」


 自衛になるし、危なっかしいから丁度いい、とノルは言うが、グレイペコーは速達担当の特殊配達員だ。

 速達業務を行う特殊配達員は、機密文書を扱う性質上、護身用の武器の携行を許可されていて、その為の訓練を積んでいるし、日々の鍛錬を怠る事もない。

 元々の優れた身体能力と、その生い立ち故に誰よりも従順に育ってしまったグレイペコーには、それらを苦にも感じられる事はないのだろうが、人には向いているものと向いていないものがあるのだ、とリグレットはノルを非難するように視線を向けた。

 が、彼はそれを完全に無視をしている。

 そんなリグレットの隣で、グレイペコーが呆れたように、でも、と言葉を濁すように口を開いて、言う。


「リグレットって腹筋すら殆ど出来ないんだよ? 無理じゃないかなあ」


 突然の暴露に、リグレットは思わずグレイペコーの腕を両手でぺちぺちと叩き、慌ててノルに向かって否定した。


「ち、違うよ! ペコーと比べたら出来ないだけだから!」

「嘘吐かないの。この間は五回もいかないのにもう無理とか言ってたじゃないか」

「あの時はちょっと調子悪かっただけだもん!」


 ぎゃあぎゃあと騒いでいると、うるさい、とノルに一蹴されて、リグレットは羞恥で顔を赤らめながら両手で口を覆った。

 家族であるグレイペコーにそう言われるのは全く構わないのだけれど、ノルの前でそれをバラされるのだけは、何故だか無性に恥ずかしくて堪らないのだ。

 リグレットの様子から何かを察したらしいグレイペコーも、ごめんちょっと言い過ぎた、と申し訳なさそうに謝罪している。


「それでも、お前なら何とか出来るだろ」


 ノルの言葉に、グレイペコーは「出来なくはないけど」と言いつつも困った表情を浮かべて、リグレットの頭をそっと撫でた。


「教えられたとしても、隙をついて逃げられるようにする方法くらいかな。ボクと違ってリグレットは力もないし、男性相手じゃ単純な力の差で勝てないからね」

「ねえ、そもそもペコーってどうやってそんなに力が強くなったの?」


 細身で独特の柔らかさやしなやかさを備えているその身体はグレイペコー特有のものであり、それでいながら男性局員達よりもずっと力持ちで、その為に度々女性局員に頼られている事も、リグレットは知っている。

 体調が悪くなって動けなくなったノルを抱き上げてベッドに運ぶのすら軽々とするでしょう、と言えば、じとりとした目でノルが睨みつけているので、リグレットはぴゃっとグレイペコーの後ろに隠れた。

 彼にとって、その件に触れるのは恥じるべき事なのだろう。深々と息を吐き出すと、椅子の背凭れに深く身体を沈ませている。


「局長とジルバのせいじゃないのか」

「まあ、概ねそうだね」


 イヴは気に食わない奴は拳で黙らせろって言うし、ジルバは優しそうに見えて容赦ないからなあ……、グレイペコーはそう呟いて、此処ではない何処か遠くを見つめている。

 ジルバというのは二区の特殊配達員のまとめ役兼速達業務の指導役でもある人物で、イヴルージュと年齢が近い、おっとりとした雰囲気の男性だが、格闘技術に長けた人でもある。

 速達業務を行う配達員は研修自体も他の特殊配達員達とは別で行われるが、ジルバはその監督役の一人でもあり、護身術を主に教えている。

 元々イヴルージュとも昔から親交が深い事もあり、身体能力が優れていたグレイペコーを速達人員として育てる為に、幼い頃から稽古をつけていたそうだ。


「何ていうか、いい人ではあるんだけど、時々ちょっとズレてるというか……」

「局長の友人というだけで色々と察せるな……」


 二人が一緒になって溜息を吐き出しているのを見て、リグレットは慌てて話題を変える為にきょろきょろと周囲を見回した。

 局長室、と名前がついてはいるけれど、イヴルージュの気配がしっかり残っているので、部屋の中は彼女の私室と然程変わらない。


「えっと、マザー、まだ帰って来ないんだね」


 イヴルージュが不在だとしても、家族であるグレイペコーが一緒にいる事もあって、リグレットが不安に駆られたりはしないのだけれど、今回に関しては彼女は長期間家を空けている。

 グレイペコーもその件が引っかかるようで、眉を顰めてノルに問いかけている。


「ノルにも連絡来ていないの?」

「来てたらその時点でお前達に言ってる」

「どこ行ってるんだろう? もしかして外国とかかな? お土産買ってきてくれるといいなあ」


 えへ、とリグレットが笑うと、呆れたように息を吐き出したグレイペコーは、その丸い頭をそっと撫でている。

 少女のままの無邪気さと暴力性を、美しいまま懐かしい日々に閉じ込めたような奔放な女、イヴルージュ。

 それが、リグレットとグレイペコーの二人を育てたひとだ。

 立ち振る舞いが派手で、誰にも靡かず、猫のように気紛れで気高い彼女が、惜しみなく愛情を注いでくれている事を、子供達は十分過ぎる程に理解をしている。

 出かけた際には必ずそれぞれが好きなものを、たくさん抱えて買ってきてくれる事も。


「きっと山ほど買ってくると思うよ」


 イヴは毎回どこ行ったってそうだもの、と言い、グレイペコーが腰に手を当てて呆れたように笑うと、その様子が目に浮かぶのだろう、ノルも微かに口元を緩めている。

 二人の表情がようやく柔らかくなった事に、リグレットはほっとして、にこりと笑った。

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