第4話 不機嫌なダイアゴナル

 伝言局の一階にある一番広いフロアは受付業務を扱う場所で、入り口があるので窓も大きくとってあり、明るく開放的だ。

 入り口側にはメッセージカードの受け取りや販売を行う受付カウンターがあり、手前側にはそれらの業務を滞りなくこなせるよう、規則正しく机や棚が並べられている。

 そこで業務を行う者達は薄い空色の制服を着用していて、伝言局の大部分を占めているのは彼らのような一般の局員だ。

 リグレット達のような抗体持ちの特殊配達員が濃い紺色の制服を着用するのは、彼らのような一般局員と区別する為でもある。

 一般局員達は受付の他にも回収したカードの仕分けやそれらを各家庭へ届けるなどの業務を行い、この一区だけでも多くの人間が働いている。

 フロアの一番向こう側、カウンターのすぐ側に立つノルを前に局員達が集まって並び始めているのを見て、リグレットは慌ててその後ろへとこっそりと並んだ。

 のんびりとその後ろを歩くグレイペコーは、馴染みの局員達に声をかけられて、笑いながら返事をしている。

 業務開始を前に急ぎ足で行き交っている局員達の、何処か忙しなくエネルギーに満ち溢れた空気に圧倒されてしまい、リグレットは思わずそわそわと辺りを見回してしまう。

 グレイペコーが窘めるように頭をぽんと叩くので慌てて前を向くと、朝礼の開始を告げる鐘の音が響いていて。

 カウンターの側にいるノルはそれを合図に、手にしていた書類を元に、低く落ち着いた声で昨日の業務報告を始めていた。

 局長の代理として前に出ているノルは、年齢も二十代前半程で、局員達の中でも大分若い。

 異例の出世をしたのは、彼が特殊配達員をまとめる立場に着任してからすぐの事であり、その際は局長のお気に入りだとか贔屓だとか、散々叩かれ騒ぎ立てられていたようだけれど、淡々と確実に仕事をこなし、臆する事なく細やかに周囲へ話しかけ、それでいて何処か抜けている所が古くからの女性局員達に妙に受けてしまったらしく、そこからはあっという間に周囲の信頼を得てしまい、いつの間にやら局長の代理を果たすまでになっているという。

 確かに時間や規則に厳しいけれど、それは国から任された業務をこなす為に必要な事であるし、その為の努力を彼は決して惜しまない。

 愛想は良くないけれど、周囲をよく見ていて気を配る所もある上に、背が高く容姿も整っているからか、特に年上の女性達には人気があるらしいが……、どんなに考えてみても、その辺りはリグレットにはいまいちよくわからない。

 だって、今日も頭の後ろがひよこのしっぽみたいに跳ねているし。

 グレイペコーに言わせると、「いつの間にか行き倒れてそうで、こっちが面倒見なきゃいけないって思わせる所がある」だそうだが。

 そんな事を考えながら、業務報告や連絡事項など右から左へと聞き流していると、何故だか突然周囲の視線が集まっていて、それに気付いたリグレットは慌てて俯かせていた視線を前へと向けた。

 視線の先では、眠たげな金眼をじろりと向けたノルがいる。

 小声でこっそりと「何度も呼ばれてたよ」などと今更グレイペコーが言っているけれど、もう少し早く言って欲しかった、とリグレットは顔を引き攣らせながらも笑顔を作っていた。


「リグレット」

「ひゃ、……は、はい」


 一般局員達の視線がいっぺんに集まっているせいか、思わず声が裏返った事に恥ずかしさでいっぱいになったリグレットは、返事をしながらも真っ赤な顔で俯いてしまう。


「話がある。朝礼が終わったら来るように」

「……はあい」


 呆れたように溜息を吐き出したノルを見て、リグレットはへらりと笑って頷いた。


 ***


 伝言局の中でも奥まった場所であり、特殊配達員のみが入れる部屋より少し手前にあるのが、局長不在中にだけノルが過ごす事になっている局長室だ。

 リグレットとグレイペコーを育てた親でもある局長が、不在の間はノルが使用する事を何故か強要するらしく、ノルはいつも渋々と言った様子で机に座っている。

 おそらくはノルの体質を鑑みての事だろうが、あの人はそういうのを簡単に口にする程わかりやすくも素直でもない人だからなあ、とリグレットは思い、かぶっていた帽子を外して彼の前へと足を向けた。

 黙って静かに書類を眺めているノルからはぴりぴりとした空気が伝わってきて、リグレットは思わず胸元のリボンをちょこちょこ直してみたり、何度も指先で前髪を弄ったりしてしまう。

 名前を呼ばれてはっとして居住まいを正すと、ノルは静かに息を吐き出し、紙束を几帳面に整えてから顔を上げた。


「グレイペコーから注意を受けたな?」

「うん」


 言葉遣い、と注意されて、慌てて口元を押さえて、リグレットは小さく何度も頷いた。

 幼い頃からの習慣でどうも気が緩んでしまい、未だにノルやグレイペコーと話していると、職場でさえいつもの口調で対応してしまう時があるのだ。

 グレイペコーはそれでも構わないと言って普通に接しているけれど、ノルはそういった事にも厳しいので、いつも失敗と合わせて怒られてしまう。

 しっかりしないと、と顔を引き締め、「はい、受けました」と答えると、ノルは確かめるように頷いていて。


「それを踏まえた上で報告書を出しておくように」


 先程グレイペコーに差し出された紙を思い出し、リグレットはげんなりとした気持ちになって溜息混じりに頷いた。

 以前報告書を出した時には簡潔に書き過ぎると怒られ、なら細かく書けばいいのかとみっちりと書いたなら、今度は何を言いたいのかわからないと怒られ、それ以来どうにも報告書は苦手なのだ。

 ましてや自分のように森に深く潜り過ぎて時間を超過するような者などいないので、他の報告書を参考にすら出来ず、前回の報告書を使い回そうとすれば余計に怒られるだろう。

 ううん、と悩んでいると、ノルが訝しげに顔を覗き込んでいて。

 すぐ目の前にある透き通る金眼に驚いてしまい、リグレットは思わず背を反らしてのけぞってしまう。


「本当に聞いてるのか?」

「き、聞いてる! 聞いてます!」


 慌てて首を縦に振れば、呆れたように溜息を吐き出されるので、リグレットは胸に手を当てて驚きのあまりばくばくと早まってしまった鼓動を抑えた。

 もう、何で時々子供の頃みたいな距離感になるかなあ、と深呼吸を繰り返していると、それと、と言いながら、ノルは僅かに眼を細めて視線を窓の外へと向けていた。

 その後を追うように見た窓の向こうには、鮮やかな青い桜の森が広がっている。


「抗体値の検査をしてこい」


 ノルが言う検査とは、ブルーブロッサムの毒素に対しての抗体の量を調べる検査で、通常であれば週に一度行われるものだ。

 血液を採取し、特別な試薬を使用する事で数分もあれば結果を出す事が出来る検査だが、注射嫌いのリグレットはそれを酷く苦手にしている。


「え、でも、この間やったばっかりなのに」

「時間を守れないからだろう」


 げんなりした態度と、勤務中にも拘らず先程と同じように言葉遣いが崩れてしまった事に苛立っているのだろう、ぎろりと金色の眼が睨むように自分を捉えるのを確認したリグレットは、思わず肩を縮こませてしまう。


「でも私、抗体値がすっごく高いって言われてるし……」


 検査は痛いから嫌だ、と内心で密やかに思いながらのリグレットが怯みつつも反論すると、苛立つように頭を振って、彼は言う。


「それがいつまでも続くかわかっていないから調べろって言ってるんだ」


 嫌なら是が非でも時間を守れ、と吐き捨てるように言われて、リグレットはもう何も言えずになってしまい、しおしおと俯いた。

 息を吐き出し、言われた通りにさっさと医務室に向かおう、と顔を上げると、ノルは再び机の上の書類を手に取り眺めている。

 顔つきはいつもと変わらず眠そうで無愛想だけれど、光の加減だろうか、少し顔色が青白く見える。


「ねえ、ノル?」

「まだ何か?」

「ごめんなさい。私のせいで、睡眠時間削っちゃったんだよね」


 もう少し休んでこなくて大丈夫、と聞くと、金眼が僅かに揺らいだ後、視線を逸らされてしまうので、リグレットは思わずノルの額へと手を伸ばした。

 具合が悪くなった時、グレイペコーがいつもそうしているので自然とそうしてしまうのだろう、何の躊躇いもなく伸ばしたリグレットの手が彼の前髪に触れるか否か、といったところで長い指先で防がれ、緩やかに拒まれてしまう。

 触れた一瞬、彼の指先は酷く冷たい、とリグレットは思う。

 自分の体温が高過ぎるだけなのかもしれないけれど、とリグレットがあまりに違い過ぎる体温に驚いて眼を瞬かせると、ノルは額を押さえ、どうしてお前達はそう……、と呻くように呟いた。

 意味がわからずリグレットが頭をことりと傾けると、大げさな程に息を吐き出したノルは指先を部屋の扉へと向けている。


「人の心配をしている暇があるならさっさと検査をしろ」


 あと報告書は昼までに提出、と付け足され、リグレットはうぐぐと唸り声を上げると「もう、心配しているのに」と頰を膨らませていた。

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