戦況分析
「私、回りくどいのは嫌いなの。だから、はっきりと言っておくわ――状況は最悪よ。断片的な情報を繋ぎ合わせる限り、玄帝国皇帝【白鬼】アダイ・ダダは、大侵攻を画策している。大河の氷が融け次第、決戦は避けられない。……当然、第一目標は『此処』であり、目的は張家軍の撃破よ」
敬陽、張家屋敷の俺の自室。
停泊所から戻るなり開始された、瑠璃の冷徹極まる戦況分析が耳朶を打った。
寝台で丸くなっていた白猫のハクが、迷惑そうに尻尾を動かし夜具へ潜り込む。
白玲が火鉢の中で燃える木炭を鉄箸で動かす中、瑠璃はくるくると器用に筆を回し、卓上に広げられた周辺地図にさらさらと文字や記号を書き入れていく。
主に敬陽の西側だ。
「明鈴が陣頭指揮を執ってくれたことと、張将軍が許可を出してくださったお陰で、一冬で防衛態勢構築は飛躍的に進んだわ。今まで無防備だった西方は特にね。鹵獲した投石器を用いて、音に慣れる訓練も逐次行っている」
大河という天然の堀と、そこを越えられても『白鳳城』という防壁を持つ北方はともかく、西方に広がっているのは平原。友邦だった【西冬】が敵に回ったことで、張家軍は西に対する備えを強いられている。
玄の誇る『四狼』の一角、猛将『赤狼』の強襲を受け苦闘したのは記憶に新しい。
その為、敬陽帰還後、瑠璃は地図を手に現地を騎馬で巡り、西方の防衛態勢強化を強く具申した。俺と白玲の言があったとはいえ、親父殿はそれを全面的に受け入れられたのだ。
『お前達が信を置いたのだろう? ならば、儂も信ずる』
正しく名将の器量! そうそう出来ることじゃない。
瑠璃が硯に筆をおいた。近くの長椅子に座り、祈るかのように両手を組む。
「でも……良い話はそれだけよ」
白玲が碗を並べ、暖かいお茶を丁寧に注ぎ始めた。
俺はその隣で小皿の上に茶菓子を並べていく。
お茶を淹れ終えた白玲が冷静に後を引き継いだ。
「無謀な西冬侵攻戦で栄は多くの将兵を喪いました。【鳳翼】徐秀鳳様、【虎牙】宇常虎様、数多の精兵達。瑠璃さんの策で【亡狼峡】で敵の『灰狼』を討ち取ったとはいえ、全体を見ればまるで釣り合っていません。従花です」
蘭陽の地で俺達や息子の飛鷹を庇い散った徐将軍と、奮戦されたという宇将軍を思い出す。決戦場で指揮を執らなかった副宰相と無謀な突撃を行った禁軍元帥への怒りも。
忠勇な名将達が死に、戦わずに逃げた卑怯者と真っ先に敗走した将が奇跡的な生還を遂げ……それだけでなく御咎めはほぼ無し。この世は余りにも非情だ。
卓上近くの椅子に腰かけた。
白玲が瑠璃へ「どうぞ」と碗と小皿を渡し、俺の隣に座る。
帽子を力なく外した瑠璃がお茶を一口飲んだ。
「侵攻が再開された場合、北方からは玄軍、西方からは西冬軍が押し寄せてくるわ。私達は寡兵で二正面同時作戦を強いられる……」
「敵の想定兵力は?」
質問を投げかけながらお茶を飲み干すと、白玲が極々自然に新しく注いでくれた。
冬の間、明鈴と闘茶を繰り返したせいか、すっかり手慣れたようだ。
俺が手をつけていない砂糖菓子を幼馴染の小皿へ移していると、瑠璃は憂鬱そうに顔を顰めた。
「玄軍が最低でも騎兵二十万。西冬軍は重装歩兵を主力に約十万。どちらも、攻城戦用に投石器を持ち込んでくるでしょうね」
西冬は交易国家であり、異国の優れた情報を手にしている。その技術は侮り難い。
金属鎧を装備した騎兵の群れは大きな脅威だし、多数の投石器から、石弾や焼いた金属弾が敬陽に叩きこまれれば……。
「「…………」」
俺と白玲は背筋を震わせた。考えたくもない。
瑠璃が砂糖菓子を口に放り込む。
「対して味方は主力の張家軍、徴募した義勇兵、撤退戦で合流して敬陽に留まっている兵を含めても約六万。侵攻が始まればもう少し増えるかもしれないけれど……」
ゆっくりと首を振る。そもそもの数が違い過ぎる、か。
俺と白玲は素直な感想を呟く。
「勝負にならないな。北と西に軍を分かなきゃならないとなると、万が一大河の渡河を許し、『白鳳城』を抜かれた場合……決戦すら難しい」
「臨京はともかく、徐家か宇家から増援を得られれば良いんですが……」
先の戦で徐家軍と宇家軍は主将を喪い、軍も壊滅的な被害を受けた。
律儀な飛鷹の奴が増援を送ろうとしても、この短期間で軍を再建するのは不可能だ。
……撤退戦の時、俺がもっと強く一緒に『来いっ!』と言っていれば、あいつが恐るべき【黒刃】に捕捉されることもなかったかもしれない。
「隻影」
白玲が俺の袖を摘んだ。双眸には慰めと叱責。
『自分だけを責めないでください。……私にも罪はあります』
……こいつには敵わない。銀髪少女の白い指を優しく叩き、感謝を示す。
俺達の様子を見守っていた瑠璃が立ち上がり、碗へ自分でお茶を注ぐ。
「北方は大河を渡河さえさせなければ、時間を稼ぐことは容易よ。『白鳳城』は私も見学させてもらったけれど、そう簡単に落ちる城じゃない」
「だろうな。と、なると……問題はやっぱり西方か」
七年前の大侵攻後、親父殿と歴戦の老将である礼厳が築き上げた大河沿いの城砦は難攻不落だ。少数の奇襲的な渡河はともかく、未だ一度たりとも突破されたことはない。
瑠璃が行儀悪く卓上に座った。金髪が揺らし、悪い顔になる。
「ええ。一先ず例の――円匙? だったかしら。あの便利な工具のお陰で予定以上に防塁と壕は造れているわ。そう簡単に騎兵の運用はさせないし、投石器も使わせないっ! 西冬の重装歩兵も同様よ。攻めてきたら目にもの見せてあげる」
遥か西方、砂漠の地で開発された例の工具は軍師殿もお気に入りのようだ。
白玲が俺の小皿から小さな饅頭を奪い取った。
あーあー! の、残しておいたのにっ‼
「新兵の訓練や部隊の編制業務で忙しいのは分かっていますが、偶には貴方も現場に来てください。士気に関わります」
「……明日は顔を出すって」
「怪しいです」
「ぐぬぬ」
銀髪の少女に頬を突かれ呻く。
ここ数日、親父殿が老宰相との極秘会談で敬陽を留守にされている為、俺は軍関係の業務を押し付け……こっほん。任され、多忙を極めていた。
その間、西方の防衛準備は白玲と瑠璃に任せきりだったのだ。
何時の間にか寝台から抜けだしていたハクが卓上に跳び乗った。
すっかり懐いた白猫を撫でつつ、瑠璃が悪戯を思いついた幼子の顔になる。
「白玲は単にあんたと過ごす時間が減って寂しがっているだけよ。少しは女心も学んだ方がいいんじゃない、張隻影様?」
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