【白鬼】

「偉大なる【天狼てんろう】の御子、アダイ皇帝陛下! ご尊顔を拝し、恐悦至極に存知奉ります。『灰狼かいろう』セウル・バト、北の蛮族共を討滅し、ただいま帰還致しました!!!!!」


 玄帝国首府『燕京エンケイ』。

 臨京と並ぶ巨大都市の北に建設された皇宮。その最奥に造られた私的な小庭に溌剌とした声が響き渡った。小鳥達が驚き飛び立っていく。

 私――玄帝国皇帝アダイ・ダダは、齢二十四でありながら『四狼』の一人に任じた青年武将を窘める。


「セウル、そう畏まってくれるな。此処には私とお前達しかおらぬ。無事の帰還を喜ばしく思う。座れ」

「はっ!」


 灰髪長身で世の女が放ってはおかない美形でもあるセウルは、きびきびとした様子で私の前の椅子に腰かけた。灰色基調の軍装が音を立てる。

 長い白髪に華奢肢体である、女子の如き容姿の私とは正反対だな。

 内々にそんな考えを弄びつつ、セウルの後ろで直立不動している、無骨な大剣を背負う黒髪で眼光鋭き巨躯の男――玄帝国最強の勇士【黒刃こくじん】ギセンにも座るよう指示を出す。

が、感謝の意を目で示され固辞してきた。

 たとえ皇帝の命であろうとも、亡き上官の忘れ形見であるセウル・バトの副将兼後見人として『護衛』の任は譲れぬ、というわけか。

 私は皇宮であっても帯剣を許可している、左頬に深い刀傷を持つ頑固な勇士を好ましく思いつつ、青年武将へと向き直った。


「グエンのこと、聞いているな?」

 名を出すと、胸が微かに痛む。

 ……敗死したとはいえ『赤狼』グエン・ギュイは真の忠臣であった。【西冬】を短期間に属国化出来たのはあ奴の功だ。

 沈んだ声をセウルが発する。


「……はい。未だ信じられません。よもや、あの男が戦場で敗れるなぞと」

「私も同じ想いだ。忠義一途が災いしたのかもしれぬ。……惜しい者を亡くした」


 グエンは猛将と喧伝されていたが、大局を見る目を持っていた。


『敬陽に固執せず、大河沿いの敵軍後方を突くべし』


 我が命の意味を違えたわけではあるまい。

 ――それを違えたとしても、討つべき相手がいたのだ。

 青年武将が畏怖混じりの呟きを零す。


「やはり、討ったのは張泰嵐なのでしょうか……?」

「いや」


 頭を振り、闇に潜む密偵組織『千狐せんこ』より得た情報を告げる。


「相手は張泰嵐の娘と息子だったそうだ。名は張白玲と張隻影。歳は十六」


 セウルが目を見開き、壮年の男はほんの微かに目を細めた。

 信じられないのであろう。当初は私とて信じられなかったのだ、さもありなん。

 グエンを兄のように慕っていた青年武将がその場で片膝をつき、両拳を合わせた。後方のギセンもすぐさま追随する。


「陛下! お願いがございます。臣に敬陽攻略をお命じ下さいっ! 我が大剣をもって、難敵を打ち破って御覧にいれます‼」

「セウルよ。お前のその心根は何時も清々しく、好ましい。――が」

 私は今朝方届いた密書の内容を思い出し、ほくそ笑んだ。

「南の『鼠』から報せが届いた。彼奴等は西冬侵攻を正式に決定したそうだ」

「なんと! では、張泰嵐も……」


 七年前、戦場で鬼神の如き奮戦を見せた敵将の姿を思い出す。

 栄帝国で真に恐るべき者はあの男と張家軍のみ。

 で、あるならば、まともに戦う必要はない。『虎』は弱らせて狩るに限る。

 私は席を立ち、女子のように細い手を伸ばす。


「奴は敬陽に留まる。そのように『工作』した。戦場へやって来るのは【鳳翼】と【虎牙】の二将とその軍。そして――」


 陽光の中、小鳥が舞い降り、私の手に停まった。

 セウルが感動した面持ちで私を見つめている。


「数だけは多いが、大半は戦を知らぬ『羊』共だ。我等の敵ではない。それでも張泰嵐という『虎』に率いられれば厄介な存在に変わろう。――……数少ない栄の良将ごと、ここで悉く刈り取っておくとしよう」


 嗚呼……張泰嵐。張泰嵐よ。

 お前は強い。英峰程でないにせよ強過ぎる。英傑と言っても良かろう。

 だが、人とは敵だけでなく、強大な味方に対しても恐怖を感じる愚かな生き物なのだ。

 勝てば勝つ程、私が南の偽帝の宮中に忍ばせた『毒』が回っていこう。

 進退窮まった時、英峰と異なり【天剣】を持たぬお前は……どうするのだろうな?

 私は瞑目し、平伏している黒装の青年武将へと向き直った。


「『灰狼』セウル・バト」

「はっ!」


 天下は必ず統一されねばならぬ。

 それこそが――千年後の世界に再び生を受けた私の天命なのだから。


「汝に命ずる。『灰槍騎』を率いて【西冬】へと向かい『千算せんさん』軍師ハショの指揮に入り、不遜にも我が友邦を蹂躙せんとする賊軍を殲滅せよっ! グエンは艱難辛苦に耐え彼の国への路を整備し、遺してくれた。大森林と七曲山脈は最早妨げにはならぬ」

「御意っ!!!!! 誓って戦果をっ!!!!!」


 頬を紅潮させ、セウルは新型の胸甲を叩いた。

 グエンの部下が齎した戦訓によれば、西冬製金属鎧は防御性能に優れるも、機動性を大きく損なうという。そこで、まずは各将向けとして新たに試作させたのだ。並の 武具ならば十分な抗堪性を期待出来よう。


 ――全てを断ち切る【天剣】は未だ見つかっていないのだから。


 ふと、グエンを討ったという張泰嵐の娘と息子の件が脳裏をよぎった。丁度良い。

小鳥を空へ放ち、私は訓告した。


「その意気や良し。だが、決して油断はしてくれるなよ? 『戦場で何が起こるかは、天帝だって分からない』。煌帝国大将軍皇英峰の言葉を忘れることなかれ。私は天下を統一するその日まで、二度と『狼』を喪いたくはないのだ。それと――ギセンよ、もし張家軍が参陣した場合、張泰嵐の娘と息子も姿を現すかもしれぬ。その場合、奴等の力量を見極め、討て。虎の子は幼い内に殺すに限る」

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