「では、泰嵐。名残惜しいが」

「うむ、秀鳳。また、会おう」


 屋敷の正門前で、親父殿と徐将軍は固い握手を交わした。

 五日間の滞在を終え、勇将は本拠地である『南師』へ帰られるのだ。


 ――戦の準備を整える為に。


 将軍が先に通りを歩き出すと、徐飛鷹が勢いよく俺達へ敬礼した。

羽織った外套と緑の軍服、腰に提げている剣が嫌味なくらい似合っている。


「張将軍! 隻影殿! 白玲殿! 五日間、真に有難うございましたっ‼ 武芸には少しばかり自負もあったのですが……己の未熟さを痛感致しました。皆様の活躍を心に刻み、私も『徐家』の名を汚さぬよう、精進に努めていきたいと思います」

「秀鳳を頼むぞ」「お、おお」「頑張って下さい」


 親父殿と白玲は鷹揚に頷き 俺は戸惑いつつ美青年に応える。これを邪気無しで言ってのけるのが凄い。

 飛鷹が俺へ近づき、瞳を輝かせながら囁いてきた。


「(白玲殿との婚姻が決まりましたら、真っ先にお報せください。南方最高の酒を贈らせていただきます!)」

「(っ! お、お前なぁ……)」

「ではっ! お元気でっ‼」


 最後に幼い笑顔を残し、飛鷹は徐将軍の後を追った。……妙に懐かれちまったな。

 屋敷内に戻りながら素直に独白する。


「ちょっとばかり暑苦しいし、勘違いもするし、真面目だけれど……良い奴ではあるんだよな。あんまり気張らないでほしいんだが」

「ええ。……で? 最後に何を話していたんですか?」


 同意し白玲が目を細めてきた。俺は視線を泳がせる。

数ヶ月前から、屋敷に住み着いた白い子猫がやって来て、足に纏わりついてきた。


「……な、何でもねーよ」

「嘘です。今、言葉を飲みこみましたよね? さ、とっとと白状してください。碌でもない話だとは思いますけど」


 言えない。理由は自分でも分からないが、この話は言えない。

 足元の子猫を抱き上げ、前脚を動かす。


「き、気のせいだにゃー。白玲御嬢様は考え過ぎなのにゃー」

「…………隻影?」

「ひっ」


 怒気を感じ、俺は子猫を抱え直した。気持ち良いのか、ゴロゴロと喉を鳴らす。

 後方で控えていた鳶茶髪の女官が心底楽しそうに両手を合わせる。


「うふふ♪ 白玲御嬢様、徐飛鷹様はおそらく――」

「あ、朝霞っ⁉」「…………」


 慌てて言葉を遮ると、銀髪少女は無言のまま一歩俺へと詰め寄った。子猫だけが呑気にきょとん、とした。


「白玲、隻影」


 親父殿が厳かに俺達の名前を呼んだ。子猫を朝霞へ手渡し、背筋を伸ばす。

 門前に誰かが来たらしく、鳶茶髪の女官はそのまま外へと出て行った。


「昨晩、秀鳳と諸作戦を最終的に検討した。……が、打開策を見つけることは出来なかった。昨晩届いた老宰相閣下の書簡によれば、兵站維持も、大運河ではなく他の河川と陸路を使い、敬陽はあくまでも『補助』と決したそうだ。閣下は最後まで強硬に反対されたようだがな。表向きの理由は『大々的に船を用いては敵に作戦がバレてしまう』『最前線の将兵に過度な負担をかける』、ということだが……真の理由は儂を本作戦に出来うる限り関与させぬ、北伐反対派の策謀であろう」

「っ!」「そいつはまた……」


 ただでさえ成功するとは思えない侵攻作戦なのに、内部でそんなゴタゴタをしていたら、勝てるわけがない。

 たとえ――『戦場で何が起こるかは、天帝ですら分からない』だとしてもだ。

 しかも、大運河を使わないで兵站線を構築するだと? 

 どうやら、臨京にいるお偉いさん達は『船』と『馬』で運べる物資量の差を本気で理解出来ていないらしい。

 それとも、【西冬】国内で略奪でもする気なのか? 数十年に亘る友邦国を?

 ……酷い戦になりそうだ。

 俺だけでなく親父殿と白玲も同じ気持ちだったようで表情を暗くしている。

 【護国】張泰嵐は何かを振り払うかのように、手を大きく振った。


「幸い未だ正式な命令書は受け取っておらん。今は部隊編成と物資蓄積を急げ」

「「はいっ!」」

「苦労をかけるが、どうか頼む」


 そう告げられると親父殿は屋敷内へ。……少しだけ寂しい背中だ。

 白玲もやや不安そうに俺の左袖を摘まんでくる。


 ――想定される敵は未知。味方は数だけ多く、兵站線に不安あり。


 親父殿や徐将軍ならともかく、俺に万を超える軍を手足の如く指揮する能力はない。

 その点、隣にいる少女は将来有望だがあくまでも未来の話だ。

 大局を見通せる人材が……所謂『軍師』が張家にいてくれたら。


「隻影様」


 客人の対応に当たっていた朝霞が戻って来た。左手で子猫を、右手で書簡を持っている。

 ……嫌な予感。

 対して、鳶茶髪の女官はニコニコ顔で差し出しきた。


「臨京の王明鈴様からでございます」

「お、おう。あ、ありがとうな」「…………」


 隣から発せられる冷気に声が震える。白玲は明鈴とは犬猿の仲なのだ。

 受け取り、素早く目を走らせる。

 ――……何だって?


「隻影、どうかしましたか?」「隻影様?」


 俺の表情が変わったのを見咎め、白玲と朝霞が問うてきた。

 書簡を丁寧に畳み、端的に答える。


「静さんを連れて一度こっちへ来るってよ。名目は防備用物資搬入の視察と、俺に見せたい物があるらしい。あと、こいつは機密情報だが――廟堂での最終会議が終わったそうだ。皇帝陛下は『西冬侵攻』の詔を発した。もう何があっても止まらない」

「…………」「……剣呑でございますね」


 白玲は俺の左袖を強く握りしめ、普段飄々としている朝霞も顔を歪ませた。

 ……確かに剣呑だ。

 恐るべき敵皇帝【白鬼】アダイ・ダダがこの報を手に入れた時、いったいどう出るか。


 空を仰ぐと、北へ向け巨大な白鷲が飛んで行くのが見えた。

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