龍虎、邂逅す 下

 明鈴が瞳を輝かせて、胸を張った。


「隻影様だった、というわけですっ! その後も、次々から次へと水賊を射抜いていく勇姿! うふふ♪ 今でも時々夢で見てしまいます。劇的な出会いだと思いませんか?」


 ……え、えーっと。

 俺は気恥ずかしくなりながら、ゆっくり隣の白玲へ目線を泳がせた。

 すると、銀髪の少女はお茶を静かに飲んでいて、従者さんへ微笑んだ。


「このお茶……とても深い味がしますね。美味しいです、静さん」

「ありがとうございます、白玲御嬢様」


 白玲と静さんが二人して和んでいる。気が合うらしい。

 対して……再び明鈴を見ると、頬を大きく膨らました。


「ち、ちょっとぉ! 私の話を――」「理解しました」

 茶碗を置き、白玲は明鈴と視線を合わせた。稲妻の幻が走る。


「要は貴女の乗っていた船をうちの軍船が助け、その関係で臨京に行く理由――糧食問題の話をした。……そして」


 月餅を摘まんでいた俺を、銀髪の少女はギロリ、と睨んだ。

 下手に整っているせいか、妙な威圧感で腰が引ける。


「うちの居候が貴女の御両親に気に入られた――合っていますか?」

「……察しが良いですね。正解です」


 この間、俺は蛇に――いや、龍に睨まれた蛙のように、身を小さくするばかり。

 張白玲は怒ると怖いのだ。

 ――手を叩く音が響いた。


「「「!」」」


 俺達が一斉に視線を向けると、静さんが満面の笑みを浮かべていた。


「明鈴御嬢様、隻影様と白玲様は御用事があるようです。今日のところはこの辺にしたら如何でしょうか?」

「え? あ……そ、そうねっ! 隻影様、まだ都に滞在されますよね??」

「ん? お、おお」


 ぽかん、とした明鈴が気を取り直し、俺へ聞いてきたので頷く。親父殿が戻るまではいることになるだろう。

 次に黒髪のお姉さんは、銀髪の少女へにこやかに提案した。


「白玲御嬢様。手土産がございます。御屋敷の中へおいで下さい♪」

「――……でも」

「先に帰ったりしないって」


 ちらっと、俺を見て来たので、軽く左手を振って応じる。

 白玲は微かに表情を崩し、立ち上がった。

 そして――明鈴に会釈し、小橋を渡って行く。

 すぐさま、静さんも俺と主人へ目礼し後を追う。気を遣わせてしまったようだ。

 俺は最後の茶を飲み干し、消化不良な表情をしている少女へ不敵に笑う。


「あれが『張白玲』だ。どうだ? 大した奴だろ?」

「……頭が切れるのは理解しました」


 音を立てて椅子に座った明鈴は、不承不承と言った様子で俺の意見に同意した。

 行儀悪く茶菓子を手づかみで食べながら、子供っぽくむくれる。


「でも、私は絶対に負けませんっ! 必ず勝利しますっ‼」

「そもそも勝負なのか……?」


 最後の月餅をむしむしゃと頬張る才女は答えず、背筋を伸ばした。

 そして、俺の眼をしっかりと見ながら豊かな胸に自分の手を押し付け、訴えてくる。


「今日の闘茶も私の負けです。――しかしながら! 王家の書に『負けっ放し』と『恩を返さない』の文字はありませんっ! 隻影様、この王明鈴に命じて下さいっ‼ たとえ、無理難題であろうとも、私はそれを達成し、貴方様の妻になって見せますっ!!! あ、剣と弓は別ですよ? 探しておきますね♪ 外輪船の御礼もしないといけませんし!」

「…………」


 王明鈴は才女であり、諦めを知らない。これは短い付き合いの中で、痛い程理解している。俺が以前冗談で口にした『風がなくても動ける高速船』も建造してしまったようだ。

 加えて……世知辛いことに、大概の問題は堆く積まれる銀貨の前には無力。

 諦めさせるには絶対不可能な題を出す他なし! が……難しいな。

 ふと、椅子に立てかけてある俺の剣が目に入った。

 ――……剣、か。

 俺は返答を待っている明鈴へ何気なく、こう告げた。


「じゃあ――かつて、煌帝国の【双星】が使ったという、【天剣】を探し出して、持って来てくれ。それが俺の手元に届いたのなら、お前との婚姻を真剣に考えよう」


 明鈴は大きな瞳を瞬かせ「【双星の天剣】……千年前の英雄が振るった伝説の双剣……」言葉を繰り返し、探るような問いかけ。


「……今の言葉は本当、ですか?」「ああ」

「二言は」「ない」


 臨京に来る間に『煌書』とそれに続く史書はあらかた読み終えた。

 英風が去って以降の約千年。【天剣】は見つかっていないようだ。

幾ら、明鈴でもこの世になければ見つけることは出来ないだろう。


「なるほど。了解しました。――では」


 才女は立ち上がって、その場でクルリ、と一回転。

 髪を靡かせながら停止すると、右手を自分の左胸に押し付けた。高らかな宣誓。


「この王明鈴! 全身全霊を以て、【天剣】を探し出し、王隻影様へ捧げることを誓いましょうっ! そして、その暁には、わ、私の御婿さんに――うふふ~♪」

「……勝手に婿にすんな」


 俺はかつて共に数多の戦場を駆けた愛剣を思いながら、言葉の間違いを指摘する。

 けれど、明鈴は意気軒高な様子で両手を握り締め、


「いいえっ! 近い将来そうなるので、無問題です♪ ……最大の恋敵も、想定以上にヘタレみたいですし……恐れるに足らずっ!」


 途中背中を向け、小声で何かを呟いた。俺は白玲の剣を手に取り、苦笑。


「……危ない真似は禁止だぞー?」

「大丈夫です! 私には静がいますしっ‼ ――何より」


 明鈴は年相応な少女の顔になり、俺の近くへ寄って来ると控え目に抱き着いてきた。


「いざっ! という時は、未来の旦那様に助けてもらいますから‼ ……宮中内では戦況の楽観論と張将軍を軽んじる声が大きくなりつつあるようです。また、先程の鼠さん達の話も、ほんの少し違和感が……。どうかお気をつけて」

「……程々にな? 情報感謝する。何か分かったらすぐに報せてくれ」



 白玲は屋敷の正門近くで俺を待っていた。手には見慣れぬ布袋。静さんが持たせてくれた土産だろう。

 近づき、何も言わずに手を伸ばす。


「…………」


 銀髪の少女は無言で布袋を俺に渡し、踵を返した。

 正門を潜り抜ける際、後ろを振り返ると明鈴と静さんの姿が見えたので、手を振る。

 白玲も静かに会釈。あの黒髪の従者さんとは随分打ち解けたようだ。内弁慶なところのあるこいつにしては珍しい。

 屋敷を出て二人して通りを歩き出す。気づけば、陽は傾きかけ夜が迫って来ていた。

 張家の屋敷は一般庶民が暮らす北部にある為、少々歩かなくてはならないが……臨京の治安は安定している。大丈夫だろう。朝霞も迎えに来てないくらいだし。

 次々と灯りがついていく店の提灯や灯篭、家路を急いでいる水路の小舟を眺めつつ、人気のあまりない橋にさしかかる。


「……さっき」

「うん?」

「私達がいなくなった後、あの子とどんな話をしていたんですか?」


 白玲が突然立ち止まり、背中を向けたまま聞いてきた。

 俺は頭に両手をつけ素直に返答。


「無理難題な探し物を、な。あ~……初陣の件は」

「……別に全然気にしていません。静さんからお茶をいただきました。珍しい西冬の物です。屋敷で淹れてみます」

「俺にも?」

「当然――父上と私、朝霞の分だけです」

「ひっでぇ」


 普段通り軽口を叩き合いながら、俺達は歩みを再開する。

 白玲も幾分機嫌も回復したらしく、足取りが先程よりも軽やかだ。

 にしても、


「西冬、か……」


 俺は幼馴染のキラキラ光る銀髪を眺めながら、独白した。

 嘘か誠か――数百年前、仙娘が建国して以来、我が国とは友好関係にある交易国家。

 国内の大鉱山から産出される鉄鉱石を用いた金属製品が有名で、西方と我が国との交易で蓄えられた財は、異国から齎された新技術開発に投下されている、と聞く。

 国土自体は我が国の数分の一。

 【玄】と接している国土の北東部は峻険な七曲山脈が列なり、北西部は白骨砂漠。

 過酷な地形は奴等の主力である騎兵の通過を許さず……今まで、戦わずして領土を守ってきた。

 他地域も平野なのは、敬陽へと繋がっている西南部のみであり、だからこそ、その物品は稀少性を持っていたのだ。

 幾ら大商人たる王家であっても、特級茶葉は入手困難な程に。

 ――けれど、それが今、俺の手元にある。

 つまり、想像以上に多くの商人に扮した『鼠』達が入り込んで……臨京でこうなら、敬陽でもきっと。

 明鈴は離間策と判断していたが違和感も覚えているようだった。

 仮に……本気で彼の国が裏切っていたら。


「隻影? どうかしましたか?」


 立ち止まり考え込んでいると、白玲が心配そうに覗き込んで来た。


「――ん? ああ、悪い悪い。ぼーっとしてた。行こうぜ」


 片目を瞑って少女を促しつつ、決意を固める。

 万が一を考え、親父殿には改めて進言しておくべきなのだろう。


『【西冬】に叛意の恐れあり』と。


 人の世では何が起こるか分からないのだから。

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