皇宮へ

「な、なぁ……白玲………」

「駄目です。いい加減諦めて下さい。男でしょう?」

「うぅ……」


 姿見に映った、白玲に黒い礼服を直されている俺の顔は悲愴感に溢れている。

窓の外からは小鳥達の囀り。嗚呼……俺も飛んで行ってしまいたい。

 そんな間も、白と翠の礼服を身に纏い、前髪に花盛りを着けた銀髪少女は、てきぱきと俺の服装を整えていく。思わず、ポツリ。


「お前はともかくとして……俺が皇宮になぁ…………」


 俺の立場は対外的に見れば微妙だ。

 親父殿や叔母上は『言うまでもなく、張家の一員であるっ!』と言ってくれるし、


「? 何ですか? 変な顔して。はい、もういいですよ」


 目の前の少女だってそうだと思う。

 ――だけど、世間は違う。

 張泰嵐の異名【護国】は、幾度となく陣帝国の侵攻を防ぎ続けたが故に、民衆の間から自然発生的に生まれたもの。皇帝の耳にも届いている程。

 そんな家の異分子が俺なのだ。

 親父殿は幾度とななく、俺へ正式に『張』の姓を与えたい、と宮中に働きかけてくれたらしいのだが……悉く頓挫。

『北伐派』筆頭である張家の勢力がほんの少しでも強まることを良しとしない勢力が、都では力を持っている。後背の味方こそ真の敵……何時の時代も人は変わらない。

 黄昏ていると、白玲が先程の俺の呟きに答えてきた。


「老宰相閣下の御配慮です。昨日の面談の際、次回は是非貴方も、と仰られていました。良かったですね。興味を持たれたみたいですよ?」

「うへぇ」

 肌がざわざわし、俺は身体を震わせた。宮中で腹芸なんて、出来る気がしない。

 白玲が前に回り込み、手を伸ばしてきた。

「……襟、曲がってます」

「いや、自分で直すって」

「動くな」

「……ハイ」


 降参して格子窓の外を見ると、朝霞や女官達と目線があった。唇を動かしてくる。


「(隻影様、お似合いです!)『白玲御嬢様をよろしくお願いします♪)』


 ……南方に商談へ出向かれているらしい、叔母上の教育の賜物なんだろうか。

 内心で嘆息していると、廊下からドカドカ、という大きな足音が響き、濃い緑の軍 装姿の親父殿が部屋へ入って来た。


「白玲、隻影! 準備は出来たかっ‼」

「はい、父上」「……親父殿、本当に俺も行くんですか?」


 俺は情けない声を発し、哀願する。

 白玲にジト目を向けられるのを自覚していると、名将は凛とした表情になった。


「隻影、今日ばかりは諦めよ。皇宮入り口近くの待合場所にいてくれれば良いのだ。他の貴族の子息達もいるやもしれぬ」

「はぁ」


 いてもいなくても関係ないんじゃ――親父殿が俺を見て微かに頷かれた。


『銀髪蒼眼の女は災厄を呼ぶ』。


 かつて、大陸西方出身者が少なかった時代に広まった、黴の生えている迷信。

けれど、宮中内で権力争いに勤しむ貴族の中には、未だ信じる物もいるのだろう。

 ……白玲を一人させず、俺が盾になればいい、ってことか。

 気分が軽くなり、親父殿と拳を合わせる。


「万事、了解しました。夜は美味い飯を食わせてください」

「うむっ! 任せておけっ‼」

「……二人で分かり合わないでください。刻限のようです」


 白玲が庭の水時計を指差した。そろそろ出発しないと間に合わない。

 ――いざ、皇宮へっ!



「お疲れ様です、張将軍! 御案内致します。御連れの方々は此方でお待ちください」

 

 臨京南部に鎮座する巨大な皇宮。

 龍と鳳凰が描かれた朱色の大正門を潜り抜け、宮殿内に足を踏み入れた俺達は、禁軍の若い士官に呼び止められた。

 示された部屋の中には、幾つかの長机と椅子。既に数名が待っているようだ。 

親父殿が俺達の肩を叩いてきた。


「白玲、隻影、では後程な。そこまで時間はかからん」

「行ってらっしゃいませ」「御健闘を!」


 挨拶をすると、満足気な様子で士官を伴い、石廊の先へと進んで行った。

 俺は白玲に目配せし、待合室へ。近くの椅子に腰かけると、椀と茶器が置いてあった。

普段、こういう場では向かい側に座る銀髪の少女は珍しく隣へ。目で白玲に『飲むか?』と確認するも、頭を振った。……緊張しているようだ。

 茶を飲み、顔を顰める。


「……まじぃ」


 昨日、最高級品を飲んだのもあるが……にしたって酷い。

 いざ、という時、前線に出張らないといけない皇帝直轄の禁軍でこれだと、他の軍じゃ。

 俺が暗澹たる想いを抱いていると、部屋にいた若い貴族らしい優男が叫んだ。


「おい、そこのお前!」

「?」


 年齢は俺達よりも少し上。二十代前半に見える。腰には金や宝飾で飾られた儀礼用の剣。俺や白玲は勿論、親父殿ですら帯剣は許されていない。宮中でそれを許される身分……。

 優男はニヤニヤしながら近づいて来た。まるで鍛えていないな。

 後方に数名の若い男達を引き連れ、俺を見下ろす。


「見ぬ顔だ。名を聞こうか」


 ……親父殿や明鈴の懸念が的中してしまったようだ。

 白玲が不安そうにしているのは見ないでも分かった。何でもないように名乗る。


「張家居候の隻影だ。あんたは?」


 すると、若い男は名乗らないまま指を突きつけ、蔑みの視線。


「……知らぬ名だ。しかも、張家の居候とはっ! 貴族ですらないではないかっ! 此処は皇帝陛下のおわす皇宮であるっ! 下賤な者は去れっ‼」

『去れっ!』


 同時に後方の男達も唱和。虎の威ならぬ父親の威を、ってやつだな。

 苦笑を表に出さないようにしつつ、頭を下げる。親父殿と白玲の顔に泥は濡れない。


「確かにその通りだ。すぐ出ていくから、少しの間だけ許してほしい。この通りだ」

「…………っ」


 白玲が怒りの言葉を飲み込むのが分かった。

 俺をいたぶってやろう、という当てが外れたのだろう、優男は鼻白む。


「……ふんっ!」


 そして、視線を映し白玲を見た。口元を歪め、叫ぶ。


「そっちの女っ! 貴様の名はっ‼」


 白玲は少しの間答えなかったが――やがて、口を開いた。声が少し震えている。


「……張泰嵐が長女、白玲です」

「張泰嵐? ――ふっはっはっはっ」


 哄笑が室内に響き渡り、先頭の優男はニヤニヤしながら、大袈裟に肩を竦めた。


「何とまぁ……北の田舎で『北伐』『北伐』と始終叫び続け、軍事費と称して金をせびる田舎将軍の娘かっ! そちらの下賤な者といい、皇宮によく来られたものだっ‼」

「…………っ」「…………」


 白玲は唇を噛み締め、俺は冷たく思考した。

 張泰嵐を罵倒出来る貴族は限られる。この阿呆の身内は相当な実力者なのだろう。

 ……栄帝国も、そんなに長くはないかもな。

 冷厳たる事実を俺が考えていると、男は儀礼剣を抜き放ち、白玲へ向けてきた。


「しかも、貴様のその髪と瞳……災厄を呼ぶ銀髪蒼眼ではないか。とっとと失せよっ‼ お前のような者がいると都に禍が及びかねんっ‼ 御祖父様の手を煩わせるなっ!!!」

「御祖父様?」


 身体を震わす白玲から注意を逸らす為、優男へ問い返す。

 すると、予想通り嘲ってきた。


「そんなことも知らぬのか? 我が祖父こそは、栄帝国の柱石たる大丞相である!」

「……大丞相じゃなく、宰相でしょう。歴史上、『大丞相』と呼ばれたのは【双星】の一人。王英風だけの筈です」


 俺が言葉の意味を考える前に、少女が冷たく呟く。

 優男の眉が釣り上がり――突然、白玲の花飾りを強奪した。


「あっ!」

「こんな安物を皇宮に身に着けて来るとは――慮外者めがっ!」

「止めてっ!!!!!」


 悲鳴と椅子の倒れる音。床に叩きつけられた花飾りを優男が踏みにじる。

 立ち上がっていた白玲は呆然とし、その場にへたり込んだ。頬を一筋の涙が伝っていく。

 宰相の孫らしい優男はニヤニヤしながら、白玲の前髪を掠めるように剣を振るい、


「ぎゃっ!」『⁉』


 その瞬間――俺は跳躍し、男の顔面に拳を叩きこんでいた。剣が宙を舞う。

 気絶した男は受け身すら取れず、血の泡を吹きその場に倒れ込んだ。


「……弱っ」


 吐き捨てながら、降って来た剣を蹴りで叩き折る。

 状況についていけず呆然としていた取り巻き達が騒然。


「き、貴様っ!」「な、何を、何をっ⁉」「我等を誰だと思っているのだっ!」

「……あのなぁ……」


 俺は視線を取り巻き共へ向けた。男達の腰が引け、見る見るうちに蒼褪める。


「俺を侮辱するのは許そう。皇宮なんて来る立場じゃない。……だけどな?」

『~~~っ!!!』


 取り巻き達がガタガタと震え始めた。警護の兵士達も激しく動揺している。


「親父殿を侮辱し、白玲を罵っておいて……まさか、無事でいられると思っていないよな?

 俺は恩人を馬鹿にされて黙っている程、お人好しじゃない。……覚悟はいいな?」

 そう言い捨て、俺は顔面を引き攣らせている男達の制圧を開始した。


 視界の外れに、ボロボロな髪飾りを礼服が汚れるのも気にせず抱きかかえ、今にも泣き出しそうな白玲の姿が映った。

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