第二章
大運河
「ん~……良い天気だ……。この分なら予定通り着きそうだな」
甲板に持ち込んだ椅子に腰かけ、上空を気持ちよさそうに飛ぶ鳥達を見上げながら、俺はそう独白した。心地よい風が吹いている。
現在、船は栄帝国の首府臨京に向け順調に航行中だ。
煌帝国末期に計画され、その後二十年をかけて造られたという、大陸を南北に貫く、竜のような大運河は巨大で、とても人工物とは思えない。
俺と白玲が、玄帝国の斥候部隊を退けて早半月。
事態を極めて重く見た親父殿は、かねてからの増援要請と報告の為、自ら都へ出向くことを決断。俺と白玲へ随伴を命じられたのだ。
――最精鋭の兵三千と一緒に。
部隊を前線から引き抜くことの懸念を、親父殿には勿論伝えたが……。
『老宰相殿の要望でな。皇帝陛下も、我が軍の視察と軍の演習を強く望まれているらしい。当初は一万との要求だったのだぞ? ……証拠は戦場に残された中古の武具だけだが、万が一を考え【西冬】の動きを探る話もせねばならぬ』
政治は今も昔も面倒だ。
ただ、三千もの兵を船で運べば敵に間違いなくバレる。
その為、部隊の大半は少数に分かれ先発。臨京の郊外で合流予定だ。
俺達も当初は騎馬での移動予定だったのだが……
「おっと!」
張られた巨大な帆が風に呷られ、船が大きく揺れた。
書かれているのは『王』の一文字。
昨今、臨京で存在感を増しつつある新興の大商人、王家の持ち船だ。敬陽への糧食供給をした帰路、とある人物の好意で俺達を乗船させてくれている。
本に挟んでおいた紙を取り出し、考え込む。
『臨京でお待ちしています。貴方の明鈴より』
……あいつ、どうやって、俺達が臨京へ行くことを知ったんだ?
大運河上の初陣でなし崩し的に命を救った少女の悪巧み顔を思い浮かべながら、俺は額を押した。有難い話ではあるけれど……貸しを作るのは、マズイ気もする。
まぁ、船に乗ったことがなかった白玲が瞳を輝かせて、
『私は馬でもかまいませんけど――……乗れるんですか?』
と、喜んでいたから良しとしよう!
小舟に乗って漁をしている人達を眺め、読書を再開する。
『皇帝崩御。英風、幼帝を補佐し十余年。その後去る。以後【天剣】を見た者おらず』
『老桃』の守備隊長によって王英が助け出された直後、二代皇帝は謎の死を遂げ――その後、幼い三代目皇帝が帝位に着いた。
それから約二十余年間。
天下の政務を執り行い、大運河の建造等、為すべきことを全て為した盟友は賢帝に成長した三代目に、地位、領土、金銭を返納。
真の意味で【天剣】と讃えられるようになった双剣と妻だけを伴って、何処ともなく去っていったようだ。……あいつらしい。
しんみりしていると、左袖を指で引っ張られる。
「――ね、ねぇ」
「ん? どうかしたか?」
さっきまで遠くの景色を無邪気に楽しんでいた白玲が、一転不安そうに話しかけてきた。
今日は淡い蒼基調の服装で剣も提げていない。
直後――細長い口を持つツルツルした灰色の海獣が幾度か跳ねた。船と並走して遊んでいるようだ。
俺を盾にするかのように舷から離れた少女が、深刻そうに問いかけてくる。
「……見ましたか?」
「? ……何をだ?」
質問の意味が理解出来ず、俺は言葉を繰り返し、白玲の蒼の瞳を見つめた。
すると、船員と此方を窺う朝霞の眼を気にしたのか、少女は自分の前髪を弄って目線を逸らし、耳元で囁いてくる。口調は真剣そのものだ。
「(い、今のは何ですか? あ、あんな変な魚、見たことがありません。ず、ずっと、着いて来ているみたいですし、も、もしかしたら、化生の類なんじゃ……?)」
俺のこういう時だけ鋭い頭は即座に答えを導き出した。
――生まれてこのかた、敬陽を離れたことがない張白玲は箱入り娘である!
河に住む珍しい『海豚』がいて『見たら幸運になれる』という伝承を知らないのだ。
俺も半年前に同じ質問をして、物知りな明鈴付き従者さんに教えてもらった。
だが、しかしっ! この隻影――容赦はしないっ‼
俺は殊更悲しそうな表情を浮かべ、幼馴染の美少女と視線を合せた。
「……残念だ。今、お前が見たのは、それはそれは恐ろしい化生……俺は都で呪い除けをしているから大丈夫だが、お前は……気にするな。嫁に行けなくなったりするだけだ」
「っ⁉」
思わず悲鳴をあげそうになり、白玲は口元を押さえた。
普段、冷静な銀髪少女が半泣きになりながら、袖を強く引っ張ってくる。
「……そ、それは困ります……とても困ります。な、何とか、してください」
「え~。どうしようかなぁ。やっぱり、普段の行いが――」
調子に乗ってあしらっていると、船尾の方で船員達が騒ぎ始めた。「お、河海豚が跳ねたぞ」「縁起が良いな」「御客人を案内してくれているのだろう」
…………まずい。
俺は、そっと少女の様子を窺った。
白玲はゆっくりと立ち上がり、美しく微笑む。強風が銀髪と紅い髪紐を靡かせた。
「――……隻影? 何か、申し開きがありますか?」
背筋が震え、視線を逸らす。日除け帽子を被った女官服姿の朝霞と目が合うも、瞬時に状況を察し、
『あらあら♪』
……駄目だ。助けにはなりそうにない。
俺は必死に考えるも、上手い言い訳は見つからず――跳躍して距離を取り、叫んだ。
「また一つ賢くなって良かったな! 箱入り娘の張白玲殿‼」
「今すぐ死んでください。いいえ、私が殺してあげます。大体、私が嫁に行けなくなったら、困るのは――……」
「? どうした??」
白玲は吹雪の如き視線を俺に叩き込みながら、突然言い淀み、沈黙。背を向けた。
……そ、そこまで怒らせたか?
恐る恐る近づいて覗きこむと、顔を両手で隠し、つっけんどんに言い放った。
「……何でもありません」
「いや……顔、真っ赤だぞ? ――うわっ。凄い熱じゃねぇか! 慣れない船旅ではしゃいで、風邪ひいたんじゃ……」
手を伸ばし額に手をやると、明らかに熱がある。
しかも、どんどん上がっているような……?
「ひ、ひいていません。――大丈夫ですから、離れて、きゃっ」
白玲が俺の手を振りほどいた途端――再びの強風で船が大きく揺れた。
咄嗟に少女を抱きかかえ、衝撃を殺す。
――花の香りと、男とは明らかに違う柔らかさ。
若干照れくさくなるも、今は白玲の安全が最優先だ。
腕の中に収まっていると少女へ確認する。
「……大丈夫、か?」
「…………は、はい」
しおらしくなっている白玲の姿に、動揺していると――後方から笑い声がした。
「はっはっはっ! 隻影、からかい過ぎると後が怖いぞ? 儂も散々、生前の妻に小言を言われたものだ」
「はぁ」「……大部分は父上に責任があると思います。」
やって来たのは、船長と何やら話し込んでいた親父殿だった。濃い緑の服装が鮮やかだ。
――次の瞬間、自分達が抱き合っている事実に気付き、
「「っ!」」
俺と白玲は慌てて三歩程離れ、
「「…………」」
何となく、二歩近づいた。
陽光に光り輝く美髭をしごきながら、親父殿はそんな俺達の様子には触れず、前方へ目を細める。朝霞は両手を合わせ、満面の笑みだ。……妙に気恥ずかしい。
「ふむ? どうやら、見えて来たようだぞ」
俺達も釣られて視線を向けると、遥か先にぼんやりと塔らしき影が見えてきた。
白玲が唖然とした様子で零す。
「こんな距離でも認識出来るなんて……」
「都手前の大水塞だな。敬陽と臨京は大運河で繋がっているし、守りも考えておかないとな。都自体も水路と橋だらけだぜ? 騎兵対策らしい」
「……詳しいんですね。昨晩話していた『都の子供達は親に叱られる時、玄の白鬼皇帝が来る! と脅されるんだ』というのも……誰に聞いたんですか?」
白玲が俺へ猜疑の双眸を向けてきた。
……この話も明鈴の従者さんに教えてもらった、とは言わない方が良さそうだ。
両手で防ぎつつ、答える。
「じ、自分で気づいたんだってっ! 半年もいたんだぞ⁉」
「……そうですか」
納得のいってない様子ながら、少女は長い銀髪を押さえた。前世の故事を思い出す。
『銀髪蒼眼の女は国家に禍を齎す』
今更、そんな古い話が持ち出されることはないだろう。
親父殿も特段気にしていないし、船員達に到っては白玲に見惚れてもいる。
けど……万が一、こいつが嫌な目に合いそうになったら助けないとな!
視線に気づいた白玲が「……変な顔」と呟き、風で乱れた俺の髪を直す。
「……まったく。何時まで経っても、私がいないと駄目なんですから」
「なっ! そ、それは俺の台詞――」「いいえ、私の台詞です」
生意気な御姫様に歯噛みしていると、親父殿が呵々大笑された。
「はっはっはっ! 仲が良くて結構だ。向こうに着いた後、少々面倒事もあろうが、お前達は、よく学び、よく遊べっ! 張泰嵐の命であるっ‼」
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