繁栄の都 上

 栄帝国の首府【臨京】は水と共にある都市だ。


 今より五十余年前――玄帝国の大侵攻により、国号を冠した首府【栄京】を追われ、一族の大半と、国土の過半を喪った皇帝は、この地に臨時の首府を開いた。

古代【斉】の時代より船と富が集まる地で、財政再建を期したのだ。戦争には、今も昔も金がかかる。

 また大運河の帰結点にあり、外周部に土地を確保出来るこの地ならば、水路を拡充し、外洋から大型船の乗り入れも可能と判断した為……らしい。

 実際、今では首府手前まで大型船がやって来ている。

 軍事拠点には向かない為、都市周囲の壁こそ低いものの……無数ともいえる水路と橋。増設に増設を重ねられた空中回廊と小路だらけの街並みは、玄の騎兵が得意とする騎射と突進を許さないよう、敢えて造られた物だそうだ。

 隣を進む白玲が小さく囁いてきた。


「(貴方が話していた通り、さっき母親が小さな子に『良い子にしないと、白鬼アダイが来るよ』と叱っていました。……それで? 誰に教えてもらったんですか?)」

「(ま、まだ気にしてるのかよっ⁉ し、書物だって!)」

「(……そういうことにしておきます。今は)」


 一切信じていない顔で、白玲は細かい彫刻が施されている前方の石橋へと歩を進める。

 ……早い内に王家の屋敷へ顔を出して、口止めしておかないとな。

 都での予定を付け出しながら、俺も橋を渡って行くと、屋台通りが見えて来た。

 様々な国籍の人々が、食品や布の山、瓶に入った怪しげな薬などを売り買いしている。

 数えきれない看板とつるされている提灯。

 通りだけでなく空中回廊からも活気ある商談や世間話。

 ――当時の皇帝は正しかったんだな。

 此処まで活気に溢れている街は煌の時代にも見たことがない。

 臨京は古今絶後の大都市なのだ。

 人々の間を掻き分け、親父殿のでかい背中に着いて行くと――後ろにいた筈の白玲がいないことに気が付いた。


「隻影様♪」


 朝霞が俺の肩を指で叩く。

 視線を走らすと、少し離れた場所で所在なさげに周囲をキョロキョロさせている美少女を見つけた。長い銀髪と整った容姿故、非常に分かり易い。

 親父殿と朝霞へ手で合図をし、俺は白玲へ近づき――手を握った。

 抵抗されるか、と思ったもの双眸で鋭く睨まれるだけ。


「――……いきなり掴まないでください」

「何処かの誰かさんが迷子になりかけてたからな」

「な、なりません。子供扱いしないでください」

「分かった、分かった。嫌なら俺の袖か朝霞さんの袖を握っとけ。本当に迷うぞ?」

「……別に……このままで、いいです……」


 白玲は唇を尖らせ、俺の手をおずおずと握り返してきた。

 そのまま、屋台通りの入口で俺達を待ってくれていた親父殿と朝霞の傍へと戻る。

 群衆の中には、一緒に船でやって来た礼厳選抜の護衛兵達もいる筈だ。

黒々とした美髭に触れながら、親父殿が呟かれた。


「都に上るのは三年ぶりだが……また街並みが変わったな。そして、以前よりも更に賑わっている。皇帝陛下と老宰相閣下の御尽力の賜物であろう」

「御謙遜を。親父殿の御活躍によるものですよ」


 俺は苦笑し、張泰嵐の隣へ並び背筋を伸ばした。未だ背の差は大きい。

 ――前世の俺も、当世の俺も孤児だった。

 だから、父親の背中がどういうものなのかは、正直分からない。

 分からないが……武官が貶められる中、一切の弱音を吐かず、強大な異民族から故国を守り続けている張泰嵐に拾われたことは誇らしく思っているのだ。


「七年前、親父殿を始めとする北辺の諸将が、玄の先帝が企てた大侵攻を頓挫させたことで、都に人と物がどんどん集まっているんです。謂わば、この光景は――」


 白玲から手を離し、右手で自分の胸を叩き、行き交う人々を見やる。


「間違いなく親父殿が作り上げたものです。誇ってください。俺は誇ります!」


 大きな手が、ぬっ、と動き、俺の頭へ。

 乱暴に黒髪を搔き乱しながら、親父殿は破顔した。


「――中々嬉しいことを言ってくれる。どれ? ここは一つ抱きしめてっ!」

「そ、それは遠慮させていただきます」


 尊敬はしているのだ。命を救ってもらった大恩だってある。

 だが、髭面の大男に抱き着かれて喜ぶ趣味はないっ!

 明確に拒否すると、【護国】と謳われる名将は、よろよろと二、三歩後退した。


「な、ん、だ、と? ち、父の愛を受け取れぬ、とっ⁉ 義姉上には、都で毎日のように抱きしめられていたのにかっ⁉」

「! な、何故、その情報を⁉ い、いえ! そ、それは誤解――……は、白玲?」


 左側から明確な冷気を感じ、俺は銀髪の少女の名前を呼んだ。その横で朝霞はニコニコ。……しまったっ! 叔母上の懐刀を務めている朝霞の妹が密告したかっ⁉

 自らの油断に歯噛みしながら、恐々少女へ目線を向けると宝石のような瞳には猛吹雪。


「――……何か?」

「ご、誤解」「では、叔母上に確認しても?」

「~~~っ」


 俺は反論を封じられ、二の句を告げない。

 親父殿に目で救援を要請するも、清々しいまでの笑顔。


『頑張れ! 頑張るのだっ‼』


 酷い。ど、どうすれば、この危機を乗り越えて――良い匂いが鼻孔をくすぐった。


「隻影?」「…………何か?」「良い匂いですね~」


 二人の問いかけと朝霞の呟きに答えず、俺は目の前の露店へと進んだ。

 台の上では竹製の大きな蒸籠が湯気を上げ、『饅頭』と書かれた紙が貼られている。

 俺は十代前半に見える坊主頭の少年へ注文。


「もう食えるか?」

「へいっ! ――あ、隻影の兄貴。何時戻ったんで?」

「ついさっきだな。幾つかくれ」


 この露店は都にいた間、幾度か使ったことがある。名は知らないが顔馴染みだ。


「ほいよっ! 熱いから、気を付けてくれよな‼」

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