繁栄の都 下
威勢良く応じ、少年が蒸籠の蓋を開けた。白い湯気が噴き出し、手早く葛紙に大きな饅頭を詰めてくれる。代金の銅貨を多めに渡しながら、問う。
「景気はどうだ? 儲かってるか??」
「ぼちぼち、ですね。異国の方がたくさん入って来ているみたいで、またご贔屓に」
「おう」
異国の人間、ねぇ……。
臨京には様々な国の人間が日々出入りするが、末端の露店まで実感する程、人流が活発化している理由が思いつかない。
頭の片隅に留めながら饅頭を受け取り、三人の下へ、熱々の饅頭を差し出す。
「ほらよ。親父殿と朝霞も熱い内に」
「……物で懐柔ですか。古いですね」
「ありがとうございます♪」「美味そうだなっ!」
文句を零しながらも受け取った白玲は、小さな口で大きな饅頭を食べた。
口元を押さえ、目をパチクリ。
俺は葛紙を朝霞へ託しながら、少女へ聞く。
「美味いだろ?」
「――美味しい、です」
「あの小僧の露店は美味いんだ。お前にも食べさせたかった。手紙にも書いよな?」
「…………はい」
不承不承、と言った様子で白玲は二口目。美味しさには勝てないらしく、表情が綻ぶ。
俺は満足感を覚えながら、饅頭にかぶりついた。
肉汁が溢れるのと同時に、複雑な味が食欲をそそる。隠し味は海鮮だろうと睨んでいるが……また材料を変えたな?
俺と白玲が半分以上残す中、あっという間に食べ終えた親父殿が感想を口にした。朝霞は早くも二つ目を食べ始めている。
「美味いなっ! このような物が何時でも食える――良い事だ」
「俺もそう思います」
温かい飯を腹いっぱい食えるのなら、人はそこまで死にはしない。
現皇帝と老宰相は悪い政治をしていないのだ。……軍関係以外は。
饅頭を食べつつ小さな橋を渡る。
「親父殿、この後は? やはり、叔母上に挨拶を??」
懐から布の端切れを二枚取り出し、一生懸命食べている白玲へ。
汚れた指を拭いていると、親父殿が顔を顰めた。
「義姉上は南部へ小旅行中だそうだ。お前達に会えないのを残念がっておられた」
「……そうですか。俺も残念です」
良しっ! 良しっ‼ よ~しっ!!!
俺は、天下にそこまで怖いものはない、と自負している。
だが、しかし――臨京で張家の諸般を司っている叔母上殿だけは別なのだ。
悪い人ではないのだが、俺を引き揚げ、
『何れ、必ず貴方を張家の長に!』
という過激思想を持っているのは……。今回の滞在は心安らかに過ごせそうだ。
ほっ、としていると、親父殿が今後の予定を教えてくれる。
「明日は宮中に参内し、皇帝陛下へ内々に前線の戦況を御報告せねばならぬ。その打ち合わせの為、老宰相閣下から『到着次第、必ず屋敷へ顔を出すように』と、書簡を受け取っておるのだ。白玲の顔を見てみたいとのことだった。……隻影、お前は」
「お気になさらず」
俺は布を仕舞い、軽く手を振った。
老宰相は皇帝陛下を輔弼し、栄帝国を事実上動かしている最高権力者。
張泰嵐は、小さな子供から老人まで、誰しもが知っている救国の英雄。
この二人の会談に拾われ子が立ち会うのは場違いだ。親父殿へ快活に返答する。
「俺は居候の身ですからね。『張家』は軍の要。無用な噂が立つのは避けるべきです。大人しく都見物をしておきますよ」
「……うむ」「…………」「……隻影様」
親父殿は沈痛な面持ちになり、白玲は物言いたげに黙り込み、朝霞も憂い顔だ。
こういう時、気の利いたことを言えれば――視界の陰に橙色の帽子が掠めた。
気取られぬよう観察すると、露店の陰に隠れながら、俺をちらちら。
……あいつ、もしかしてまた屋敷を抜け出しやがったのか?
俺が黙り込んだのを気にし、親父殿が話しかけてきた。
「隻影? どうかしたか??」
「いえ――代わりと言ってはなんですが」
片目を瞑り、提案する。
「俺は『王』の家に顔を出して来ようとは思います。糧食の件では、骨を折ってもらいました。頭を下げるだけならタダです」
「……ふむ?」「……王の家、って、商人の?」
「ああ。大陸上を駆け回っている本物の商人だ。毎回面白い話をしてくれる」
白玲が丁寧に布を畳みながら聞いて来たので答える。
橙帽子に気付かれないよう後方に佇む、長い黒髪を後ろで結っている若い女性と視線が交錯した。微かに頷き合う。
――間違いない。王家の御嬢様はまたしても屋敷を抜け出してきたようだ。
顔には出さず答え、親父殿には素直な気持ちも吐露した。
「恥ずかしながら――礼儀作法はさっぱり分かりません。そちらは親父殿と白玲にお任せします。朝霞、二人を頼む。ではっ!」
「夜までには屋敷へ戻れ」「――……あ」「お任せ下さい」
そう告げ、俺は通りを駆け出した。
白玲が何か物言いたげな様子だったが、気にしたら負けだろう。
人々の間をすり抜け、橙帽子の人物を追って路地へ。俺はすぐさま命令した。
「いるんだろ? 出てこい!」
すると、嬉しそうな笑い声と共に、小柄な少女が姿を現した。
「フフフ……よくぞ、あんな人混みの中から、私を見つけ出してくれましたっ!」
橙色の帽子から覗いているのは二つ結びにした栗茶髪。外套から覗かせている服は橙色基調に赤をあしらった服で、見るからに上質だ。
背は低く、顔の造形は整っているもののあどけない。胸以外は体形も子供そのもの。とても十七歳だとは思えない。
印象的な煌めく星を思わせる好奇の光を瞳に湛え、少女は手を合わせた。
「それでこそ、私の旦那様ですっ! さぁ、今日にでも婚礼を――」
「しないって。俺にも分別はある。あと、旦那様って言うな、明鈴」
「なぁっ⁉」
栗茶髪の少女――王家の跡取り娘にして、天才的な商才を持つ王明鈴は大袈裟に驚き、豊かな胸に右手を押し付け、俺に訴えてきた。
「ど、どうしてですかっ! 自分でも言うのもなんですが、容姿は整っていますっ! お金もたくさんありますし、性格だって悪くありません。貴方様に尽くします。しかも――王家の女は代々子沢山なんですよ? 他に何を望まれるとっ⁉」
「……と、言ってますが、どう思われますか? 静さん」
俺はげんなりしながら、明鈴の後方に気配なく忍び寄って来ていた長身の女性に話を振った。腰には異国の刀を提げ、黒白基調の動き易い装束だ。
長い黒髪と黒真珠のような瞳。明鈴とお揃いの外套を羽織っている従者さんは頬へ上品に嘆息。主である少女を隙の無い動作で拘束した。
「……大変嘆かわしく。私の力不足です。真に申し訳ありません」
「! し、静⁉ ど、どうして、此処にっ⁉ は、離してっ! わ、私は、隻影様と、大事な話をしているのっ‼ は~な~し~てぇぇぇ!!!」
ジタバタするも、明鈴はあっさりと抱きかかえられる。
こうして見ると幼女だ。誰がどう見ても駄々をこねる幼女だ。胸以外は。
船で臨京へ向かう途中、水賊に襲われていたこの少女が乗る船を助け――その後、広大な都の屋敷に招待された際、豪語された内容を思い出す。
明鈴の鼻先に人差し指を突き付け、俺は手を軽く振った。
「『私、大陸中のお金を臨京に集めたいんですっ!』――なんて野望を高らかに叫ぶ女は、俺の器じゃ受け止めきれん。……あと」
「? 何ですか??」
ほぼ幼女といっていい明鈴と俺との背丈の差は相当なものだ。嫁に貰ったりしたら……。
『……変態……』
極寒の視線を向けて来る白玲が脳裏に浮かび、俺は身震いした。
片手で主を抱えながら、静さんも溜め息を零す。
「……御嬢様は大変賢いのですが、少々……」「……御察しします」
「ふ、二人で分かり合わないでくださいっ‼ 怒りますよ? 幾ら私でも怒っちゃうんですよっ⁉ 静、降ろしてっ! 私、隻影様に大事な用があるのっ!!!!!」
「……仕方ありませんね」
黒髪の従者さんによって、地面に降ろされると――王家の御嬢様は、服装を整え不敵な笑みを浮かべ、胸を張った。
そして、俺へ左手の人差し指を突き付けて来る。
「勝負です、隻影様っ! 今日こそ、その帝国で一番整った御顔を――敗北の屈辱で歪めて差し上げますっ‼」
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