呼び出し

「……へっ?」


 思わず変な声が出た。白玲が寂しがっているだと?

 隣の銀髪少女をまじまじと見つめると、あたふたしながら立ち上がる。


「る、瑠璃さんっ⁉ ……勘違いしないでください。私は別に寂しがってなんかいません。ただ、最近は貴方も忙しいので一緒に行動しないな、って思っているだけで……」

「え? 私はそれを『寂しがっている』って表現したんだけど??」

「~~~っ! る、瑠璃さんっ!」


 軍師殿は、白玲のからかい方も完全取得したようだ。

 ……人間、他者のことはよく観察出来る、というべきか。

 瑠璃が碗の代わりに筆を手にした。


「御約束はこのへんにおくとして――」

「いや、そういうのいいからな」「……瑠璃さんは意地悪です」


 俺は苦笑し、白玲は唇を尖らせた。

 仙娘は方術だというすぐに消えてしまう儚い白花を生みだし、猫を遊ばせる。

 ――瞳に深い知啓が浮かんでいく。


「認識の共有よ。現状、私達は北と西からの侵攻に備えているわ。兵力差は圧倒的。とてもじゃないけど野戦での勝利は望めない。幾ら張将軍でも……相手はあの軍略に長けた【白鬼】アダイ。『大兵に策無し』を実行されたら、死力を尽くす以外に打つ手はない」


 前世の俺も今世の俺も、所詮は戦場の武人。

 親父殿やアダイ、瑠璃のように大局を見渡す眼を持ってはいない。

……いない、が。席を立って地図を覗き込む。

瑠璃が筆でとある場所に線を引いた。


「そして、最大の懸念材料が――此処よ」


 白玲が口元を押さえ、俺は顔を歪ませる。


「そこは……」「大河下流……東方渡河策、か」


 今まで玄軍は大河の連結点たる敬陽を主目標としてきた。

 だが……大河下流から攻められれば。

 ハクに目を落としながら、瑠璃が淡々と言葉を零す。


「張家軍は精鋭よ。徐家軍、宇家軍が壊滅した今、栄軍最強と言ってもいい。でも、守れるのは敬陽とその周辺だけ。それ以上は手に余るわ。そして、玄軍は峻険な七曲山脈を踏破し【西冬】を降した実績を持っている……大河以南への侵出は排除出来ない」

「瑠璃さんの考えは理解出来ます。ただ臨京に到るまでの道中には、広大な湿地帯や無数の河川があります。騎兵を動かすに適した土地柄じゃありませんし、七曲山脈と異なってある程度の防衛部隊もいます。強攻すれば多大な損害が出ると思います。【白鬼】もそのことは理解しているのでは?」


 瑠璃の懸念も白玲の言葉も正しい。

 騎兵とは率いる将次第で恐ろしい衝撃力を出すことが出来る兵科だが、湿地や沼沢地ではその力を発揮出来ない。また、北方の大草原で故郷とする玄人は馬を愛し、戦場でも歩兵となるのを強く忌避する。

 無数の河川に守られた『臨京』が都に選ばれたのは、その点も大きかったのだろう。

 普通に考えれば、東方から攻勢は考え難い。

 ――だが、あのアダイならば。

 瑠璃が宝石のような翠眼を細め卓から跳び降りた。

 グルグル歩き回り思考を提示していく。


「【白鬼】は堅実な軍略家よ。『今の栄帝国において真の雄敵は張泰嵐唯一人』だと正確に認識しているわ。事実――七年前の侵攻時を除き戦場での直接対決を徹頭徹尾避けている。なら、わざわざ敬陽を攻略しなくても、大河東方を攻める可能性は十分考えられるんじゃないかしら? 今までは予備軍として徐家軍と宇家軍が控えていたのでしょうけど、両家軍が壊滅した今、私だったら助攻として一軍の渡河策を実行するわね」

「「…………」」


 俺と白玲は黙り込む。

 親父殿は紛れもない栄帝国最高の名将だ。

 だが、その両脇を支える【鳳翼】と【虎牙】はいない。もう……いないのだ。

 アダイならば、張泰嵐との直接対決を避ける大胆な手を打つ可能性は捨てきれない。そして、張家軍に大河全域を守る兵力がない。

 ……栄の全軍を親父殿がその指揮下に収めていればっ。

 瑠璃が今にも雨の降ってきそうな窓の外を見つめた。自分を納得させるように明るい声色を発する。


「勿論だけど――臨京の皇宮に籠っている偉い人達が焦らなければ、渡河されても対応は十分可能よ。白玲の言った通り彼の地は騎兵運用に適さないし、進軍速度は遅い。防衛隊と戦意に乏しく練度も低い禁軍だって、川や湿地を味方につければ防衛は容易だもの」


 俺は最後の茶菓子を放り込み、お茶で流し込んだ。【黒星】へ目をやる。

 ――思い悩んでも仕方ない。来るべき時が来たら、ただただ剣を振るうのみ!


「景気が悪いんだが、良いんだか分からねぇな」

「老宰相閣下を信じるしかないですね」


 白玲も割り切ったようで、【白星】を手にし――入り口の鈴が鳴った。俺達は一斉に目を向ける。


「失礼致します――白玲様、隻影様、瑠璃様」


 戸を開け中に入って来たのは肩までの鳶茶髪で細明な白玲付き女官――朝霞だった。普段は快活なのだが、妙に緊張している。

 【黒星】を俺へ手渡しながら、銀髪少女が尋ねた。


「どうかしたの、朝霞?」

 剣を受け取り、何気なく目線を絵巻に落とすと大河下流の地名が目についた。『子柳』

 鳶茶髪の女官が背筋を伸ばす。


「旦那様が御戻りでございます。急ぎ話したい議ありとのこと。どうか、御部屋へ御向かいください。……ただならぬ御様子でした」

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