憂国の名将
「おお、白玲、隻影、軍師殿。呼びつけてすまぬな。先程帰った」
離れの一室で俺達を出迎えてくれたのは、厳めしい顔と美髭の偉丈夫――【護国】張泰嵐だった。後方には前線にいる筈の白髪白髭の老将、
卓上に広げられた地図を見つめられていた親父殿の髪と髭には、今やその一身に国を背負う重圧故か白いものが混じり、表情にも疲労が滲んでいる。
このただならない様子で、しかも爺まで呼び寄せた。
老宰相との秘密会談は……。
白玲と俺は示し合わし一礼した。
「お帰りなさいませ、父上」「御無事で何よりです」
すると、親父殿が固い表情を崩された。
帽子を外した瑠璃がおずおずと訴える。
「張将軍、『軍師殿』はその……」
「軍師殿は軍師殿であろうが? うん?」
「…………」
顎鬚をしごかれながら、親父殿がニヤリ。……うわ、わざとだ。
銀髪少女が瑠璃を背中に隠し、俺は悪戯好きな栄帝国最高の名将を窘める。
「親父殿、うちの仙娘をあまり虐めないでください。傲岸不遜は見せかけで、やたらと人見知りも激しいし、白玲と白猫にべったりだし、やたら負けず嫌いなお子様なので」
「なっ⁉ ……張隻影様?」
「事実だろ?」
「ぐぅ~……」
白玲を盾にする瑠璃が唸る。こういう所は年下なんだよな。
直後、室内が豪快な笑い声で満ちた。
「わっはっはっは! すまんすまん。そういうつもりはないのだ。許してくれ」
親父殿が軽く頭を下げられた、
慌てた様子で瑠璃も姿を現し、両手を動かす。
「い、いえ。だ、大丈夫です。お、お気になさらず……」
「有難い。軍師殿の貢献は白玲と隻影からよく聞いておるよ」
「父上、瑠璃さんは凄い人です」「は、白玲⁉ ……もうっ」
張家親子に翻弄された仙娘は帽子を深く被り直した。
生み出した白花を弄り、ジト目。
『……後で覚えておきなさい……』
矛先をこっちに向けてきたか。軍師殿は状況判断が速い速い。
曖昧に笑いつつ、俺は礼厳に話しかける。
「爺、久しいな。前線は大丈夫なのか?」
「庭破に任せておりますれば」
礼厳の血縁と聞く青年は、『赤狼』との戦い、西冬侵攻と苛烈な撤退戦、【亡狼峡】での火槍と火薬を用いた戦闘を経て――今や張家軍を支える若き将となっている。
正しく好々爺、といった様子で歴戦の老将が嬉しそうに目元を緩ませた。
「あ奴も若と白玲様に付き従ったことで、一人前になりもうした。もう暫くすれば、この爺もお役御免でございましょう」
「【鬼礼厳】が、か? そいつは冗談がキツイな」
「年寄りは労わるべし。かの【王英】もそう言を遺しておりますれば」
「史上唯一の大丞相殿にも困ったんもんだ」
……英風はそんなこと言っていただろうか? 酷使する方だったような。
爺とのやり取りを楽しみつつ、かつての記憶を探っていると白玲が咳払い。
「こほん――父上、それでお話とは? 老宰相閣下は何と?」
俺達三人は名将に目線を集める。
何処から入り込んだのか、白猫のハクがやって来て卓の上に登った。
「……そうであったな。ああ、予め言っておく。良い話は少ない」
親父殿が窓の傍へ歩いていかれる。
室内の空気が緊張をはらんだ。……嫌な予感しかしねぇ。
背を向けたまま、栄随一の名将は淡々とした口調で説明を開始した。
「まず――老宰相閣下は、今春以降に再開されるであろう【玄】の南進に酷い憂慮を示された。同時に……いざ侵攻が開始された場合、禁軍残余を敬陽への増援としては望めない、ともな。先の敗戦を受け、主上の御心痛が甚だしく、都を無防備にされるのを恐れられているらしいのだ。……生き延びた者達の多くにも、林忠道と黄北雀の息がかかっている。動かしたくとも動かせまい。新編の軍編成も遅々として進んでおらんそうだ」
「「「…………っ」」」
想像していた以上の悪い話に俺達は顔を引き攣らせる。
禁軍の増援は望めないだろう、と思ってはいた。
だが『多少は……』と淡い期待を持っていなかった、と言うのも嘘だ。
何しろ敬陽と臨京は大運河で繋がっている。
張家軍が敗北すれば、【栄】は亡国の危機に曝されるのに、増援は望めない。
……正気なのか?
無謀極まる西冬侵攻を実行した時点で、そんな問いかけも無価値かもしれんが。
俺と白玲は頭を抱えたくなるのを堪え、言葉を絞り出した。
「親父殿、そいつは幾らなんでも」「……父上」
「急くな。悪い話はまだある」
「こ、これ以上の」「ですか?」「…………まさか」
絶句する俺達に対し、瑠璃は何かを察したようた。
親父殿が近くの椅子に身体を預けられる。
瞳の奥に垣間見えたのは強い失望。
「儂との会談中、都よりの使者が急報を齎した。内容は……」
出ていた陽が雲によって隠され、室内が薄暗くなる。
両手を組み、目を閉じられた【張護国】は怒りを堪えられているようだ。。
「徐家と宇家の処罰に関するものだ。『【西冬】征討の失敗はかかりて二将の敗北にあり。よって、両家の持つ権益の一部を剥奪す。弁明あらば当主は急ぎ臨京へ出頭すべし』――宇家の当主は現れなかったようだが、徐飛鷹は召喚に応じた結果捕えられ、宮中の地下牢に繋がれたと聞く」
「「「…………」」」
重い沈黙が室内を支配した。
徐家と宇家に敗戦の責任を被せ、飛鷹を捕えた?
老宰相が都を離れからこそ起こった異変なのだろうが……余りにも度が過ぎている。
俺は白玲へ目配せし苦言を呈した。
「親父殿、洒落にもなっていません」
「先の戦にて徐将軍と宇将軍、そして、飛鷹殿は勇敢に戦われました。撤退戦でもです。にも拘わらずその仕打ちとは……いったいどういう意味でしょうか?」
轟音。ハクが驚き、家具の隙間を求めて逃げて行く。
親父殿が砕いた机から拳を掲げ、顔を歪められた。
「分かっておるっ! 蘭陽の戦で敗北せしは秀鳳と常虎の責任に非ずっ! 無謀な遠征を企てるだけでなく、決戦場において指揮を放棄し、剰えっ‼」
見開かれた瞳に義憤の炎が躍る。
……無理もない。両将は親父殿にとって掛け替えのない戦友だった。
「指揮下にある軍だけを引き連れて退いた副宰相の林忠道と、功名に走り全軍潰走の発端となった禁軍元帥の北黄雀にこそ責があるっ。……だが。だがな」
【護国】と称される名将は悲痛さを露わにし、額へ手をやる。
こんな姿……初めてだ。瑠璃が「……最悪ね」と小さく呟いた。
「命を下されたのは主上なのだ」
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