『孤軍奮闘』『勇戦敢闘』『獅子奮迅』

「……そいつはまた……」「……隻影」


 俺は完全に言葉を喪い、白玲も不安そうに袖を握ってくる。

 ――皇帝自らがこんな馬鹿げた戦後処理をしやがったとっ⁉

 じ、じゃあ、徐家と宇家はもう。

 親父殿が必死に激情を押し込まれながら、重苦しい口調で吐き出される。


「……老宰相閣下は会談を急遽中座され臨京に戻られた。『両家への処罰は撤回させ、徐飛鷹の命が必ず救う』との言もいただいてはいるが、すぐには解放出来まい」


 不安で身体を震わす白玲と手を繋ぎ、考えを巡らす。

 飛鷹を救うのは難しい話ではない。皇帝は絶大な権力を行使出来るからだ。

だが、真印が捺された文書を数日で撤回すれば、世間からどう見られるか?

 俺は答えを導き出し、親父殿へ告げた。


「都に住まう民の評判を気にして、ですか?」

「……うむ。西冬侵攻の大失敗は都にも広まっておる」

「だからといってっ!」「悪手ですね」


 声を荒げかけた俺を小さな手で制し、瑠璃が一歩前へ進みでた。

 凛とした軍師としての態度だ。

 足下に纏わりついてきたハクを抱き上げ、金髪翠眼の少女が冷たく評する。


「とんでもない悪手です。大方、外戚である副宰相か、奇跡的に生きて帰ったという寵臣の禁軍元帥が入れ知恵をしたんでしょうが」


 卓上に目を落とし「はぁ……」憂いの溜め息。

 ハクを降ろし、細い指で地図をなぞっていく。


「……これで、栄帝国は北方の【玄】。西北の【西冬】だけでなく、国内の西方及び東方に二つの潜在的な『火薬樽』を抱えました。跡を継ぐべき長子を捕えられた徐家と、それを聞いた宇家は、たとえ侵攻が開始されたとしても増援を出すとは思えません。むしろ……混乱に乗じて独立する可能性すらあります。徐飛鷹が召喚に応じて捕縛された事に対し、宇家の人間が捕まっていないのは、宮中に対する不信が生じている証左でしょう」

「あ~……つまり、だ」


 必死に出来の良くない頭を働かせ、考えたくない想定状況を瑠璃へ確認しておく。

 蒼褪めた顔の白玲は一早く結論に辿り着いたようで、今や左腕に抱き着いている。


「俺達は侵攻が開始されても、一切の増援を望めない、ってことか?」

「そ――『孤軍奮闘』『勇戦敢闘』『獅子奮迅』。男の子が好きな言葉でしょう?」

「ハハハ」


 どうにもならなくなった時は笑いしか出てこない。

 ――……畜生っ。亡国の危機に孤軍だと? 最悪だ!

 深呼吸を繰り返した後、白玲が議論に加わってくる。


「父上、瑠璃さんとも戦局の想定をしたのですが……一点だけ懸念材料が」

「大河下流の渡河であろう?」

「「「っ!」」」


 事投げもなく応じられた親父殿に俺達は驚愕する。礼厳は誇らし気だ。

 いや……当たり前だな。


 【張護国】は栄の守護神。


 【白鬼】アダイ・ダダに対峙出来る唯一の漢なのだ。

 大きな手を左右に振られる。


「だが……分かっていてもどうにも出来ぬ。北に二十万の精鋭騎兵。西に十万の重装歩兵。対して我が方は、後先考えずの動員で五万弱。『攻者は最低でも三倍の兵を集めよ』――王英風が軍略を完全に満たしておる。アダイが将兵の多大な犠牲を許容するならば」


 瞳に浮かぶ諦念で理解した。親父殿は全てを理解されている。

 大きく息を吸われ、悲しそうに瞑目された。


「我等に勝ち目はあるまい」


 不敗の名将をしてそう言わしめる、か。前世でも経験した記憶はないな。

 白玲が俺から離れ、深々と頭を下げた。


「……申し訳ありません」

「良い。責めたわけではないのだ」


 泣きそうな愛娘に親父殿は頭を振られた。

 ――戦局は絶望的。

 瑠璃の予測通り、張家軍精鋭と謂えど全てを守ることは絶対に出来ない。つまり。


「親父殿」「東方戦線は捨てるのですね?」「……っ」


 俺と瑠璃は、ほぼ同時に核心情報へ辿り着いた。すぐ白玲も気づいたようで、少しだけ悔しそうだ。

 金髪の軍師と不敵に笑い合い、わざと乱暴な口調で考えを披露する。


「寡兵の俺達が兵力の分散を強いられればどうなるか……ただでさえ、勝ち目が乏しいのに防衛戦ですらままならなくなっちまう」

 地図上に置かれた駒を敬陽の北と西に分けつつ、金髪少女が後を引き取った。

 感情に呼応し花弁が舞い、白猫がはしゃぐ。


「よって、『東方防衛に張家軍は一切関与しない』――老宰相閣下との会談は、そのことをお伝えする為のものだったのではありませんか? 張将軍が直率されている騎兵も、彼の地では能力を最大限発揮出来ませんし」


 この国を守る将兵達の多くは蘭陽の地で斃れてしまった。

 残された張家軍は強大極まる敵の大軍を、孤軍で食い止めなければならないのだ。

 ない袖はどう足掻いても振れやしない。

 親父殿が美髭をしごかれ、爺に向かって肩を竦めた。


「うむ……その通りだ。お前の勝ちのようだな、礼厳」

「なに、歳の功でございましょう」


 俺達が気付くかどうか賭けていたらしい。この二人ときたら。

 白玲が隣に戻ると、親父殿が剣の鞘を叩かれた。


「我等はあくまでも敬陽防衛に徹する! たとえ相手が雲霞の如き大兵だとて、防衛戦ならば何とでもなろう。大河下流よりの渡河は懸念すべき事柄だが――アダイは無益な戦をする男ではない。加えて、彼奴等は騎兵であることに心底誇りを抱いておるからの。歩兵を主力とする軍編成はかなりの難事であろうよ。……隻影、白玲、良い軍師を得たな!」


 瑠璃が褒められ、自分のことのように嬉しくなる。

 白玲も同じだったようで、「ふふふ♪」「ち、ちょっと!」照れくさそうな仙娘に後ろから抱き着いた。

 仲の良い少女達に和みながら、俺は親父殿に同意した。


「頭を使うことが減って、気が楽になりましたよ」

「地方文官希望、っていう戯言は未だに言いますけどねー」

「は、白玲っ⁉」

「……文官、向いてないわよ?」

「る、瑠璃っ⁉」


 酷い。張家の御姫様とうちの軍師殿、酷いっ。

 細やかな俺の夢を協同して否定するなんて、本当に人のすることかっ⁉

 ……口にすると倍にして返されるので黙っているわけだが。


「若、諦めも肝心ですぞ?」

「はっはっはっ! 隻影、諦めよ。お前の負けだ」

「爺と親父殿までぇ……」


 味方と信じていた二人へ恨みを念じる中、ハクまでもがつまらなそうに欠伸をした。

 ――張泰嵐が左手を掲げられる。


「大運河の氷が溶け次第、奴等は北と北西よりやって来よう。白玲、隻影、瑠璃、準備を怠るなっ! 我等が破れれば――【栄】は滅ぶ」

「「はっ!」」「軍師として最善を尽くします」

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