夜話

「ぐぬ……ぐぬぬ…………」


 その日の晩。

 劣勢極まる盤上を前に、俺は自室で黒髪を乱雑に掻き回して呻いていた。

 左翼と右翼は……駄目だ。完全に死んでいやがる。

 以前、一度だけ成功した中央からも相当厳しい。


『隻影様! これ、と~っても暖かいんですよっ! 使ってみてくださいっ‼』


 明鈴が持ち込んだ、屋敷内で湧き出ている温泉を入れてある西冬製の湯たんぽと、足下に置いてある大きな火鉢のお陰で寒さは感じないが……。

 風呂に入ったってのに、心が、心が冷てぇっ。

 嗚呼、天才軍師なんかと兵棋なんて打つんじゃなかった。まさか、ここまで負けず嫌いだったとは。窓の外から聞こえる雨の音も俺の集中力を大いに乱す。


「ほらほら~早く打ちなさいよ、張隻影様?」 


 俺が苦しむ様子を対面で眺めながら、薄青の寝間着姿の瑠璃がニヤニヤと煽ってきた。仕事が押してしまい、少し遅れて風呂に行った白玲とは色違いの服だ。

 髪をおろしているのと凹凸のない肢体のせいで普段よりもずっと幼く見えるが、怒られるので言わない。本人のいない場では白玲が結構な頻度で妹扱いしていることも同様だ。


「う、うっせえ。待ってろっ!」

「はいはい。でも、後十五手で詰み、ふわぁぁぁ……」


 瑠璃は余裕たっぷりに頬杖をつき、大きな欠伸をした。近くの長椅子にいる白猫のハクも釣られたように欠伸。うちの軍師様はお子様なので、あまり夜更かしが出来ないのだ。

 丸窓の外に浮かぶ三日月をちらり。今晩も定刻通りか。

もしかしたら、目を擦っている仙娘は話以上に由緒正しい御嬢様だったのかも?

 そんな想像をしながら、投了を告げる。


「参った。俺の負けだ」

「ふふ~ん♪ これで、わたしの七連勝ねぇ~」


 眠そうな瑠璃は湯たんぽを抱えたまま席を立ち、上機嫌な様子で白猫と共に寝転がった。とろんとした目つきで俺の夜具を被る。

 盤と駒を片付けながら、年下の少女を注意。


「おい、眠いなら部屋へ戻れよー? 白玲に怒られるぞー。俺はまだ命が惜しい」

「ん~……かってに、しねば~…………」


 舌足らずの悪態と健やかな寝息が聞こえてきた。寝つきが良すぎるっ。

 ただ……瑠璃は天涯孤独の身の上で、故郷だった『狐頭』という仙郷も既に無いという。

 安心して寝られるのは良い事だ、うん。

 俺は静かに近づき、「どかすぞー?」とハクに声をかけ、椅子へと移動させた。

 廊下に向って呼びかける。


「朝霞」「お任せくださいませ」


 白玲付きの女官が部屋へ入って来た。

 手慣れた様子で夜具ごと瑠璃を抱きかかえ、部屋から出ていく。


「毎晩すまん」

「白玲様の御命令ですのでお気になさらず。――……本当に軽うございますね」

 年齢の割に華奢な金髪の美少女へ、朝霞は慈しみの目を向けた。

 寝ている横顔は伝承で語られる仙女みたいな美貌なんだがなぁ……。


「食べる飯の量自体は増えている。気に懸けてやってくれ」

「はい♪」


 朝霞達を廊下で見送っていると――背中に冷気!

 振り返ると、薄桃色の寝間着を着た白玲が不満そうに佇んでいた。


「……来ました」

「お、おう」

 何時も通りのやり取りをし、幼馴染の少女は俺より先に部屋へと入った。

 幼い頃から、こうして寝る前に夜話をするのは俺達の習慣なのだ。

 卓上の盤を一瞥するや「…………」白玲は無言のまま、すたすたと寝台へ向かい倒れ込んだ。長い銀髪が大きく広がる。


「……今晩も瑠璃さんと兵棋を打ってたんですね。二人きり、で……」


 そして、俺の枕を抱え寝たまま詰ってきた。明らかに御機嫌斜めだ。

 明鈴と瑠璃は白玲にとって貴重な同年代の友人であり、冬の間ずっと一緒に過ごしたこともあって良好な関係性を築いたように思う。まるで、姉妹だった。

 が……夜話だけは違うらしく、どうにも独占したがるのだ。

 俺は盤と駒を引き出しに仕舞い、反論する。


「二人きりじゃない。ハクがいた」

「そんな言い訳は聞いていませんっ!」


 がばっと起き上がり、白玲が寝台を手でバンバン。

 以前は驚いていたハクも慣れたもので、夜具の上で丸くなっている。

 肩で息をし、銀髪を逆立てながら幼馴染の少女は暴れた。


「昼間はあーだこーだと言い争ってるくせに、どーして夜になると二人で仲良く対局をしているんですかっ⁉ おかしいですっ! 変ですっ!」

「お、俺に聞くなよ」

「う~……」


 不満も露わに大きく頬を膨らまし、白玲はそっぽを向いて寝台に座り直した。

 次いで、


「――ん」

「うん?」


 自分の隣を軽く叩いた。え、えーっと……。

 俺が頬を掻いていると、白玲が拗ねた目で睨み、繰り返す。


「んー!」

「分かった、分かったって。お、怒るなよ」


 我が儘な張家の御姫様に屈し、隣に腰かける。

 すぐさま、俺の膝上に頭を載せてきた。


「……まったく、隻影は酷い人です。昼間は明鈴に抱き着かれ、夜は幼気な瑠璃さんをたぶらかすなんて。何か申し開きはありますか?」


 春が近いとはいえ、夜になれば相応に冷える。湯たんぽがなく、火鉢も遠ければ猶更だ。

 俺は白玲の肩に夜具をかけ、再びの反論を試みる。


「……どっちも冤罪」「有罪です。私が決めました」

「ひ、ひでぇ」「酷くありません。酷いのは隻影です」


 普段もよくこうして不平不満を吐き出しはするものの、今晩は一層辛辣だ。

 乱れた少女の銀髪を手櫛で整え、ポツリ。


「明鈴はともかく、瑠璃はなぁ」

「……何ですか?」

 上半身を起こした白玲が肩をくっつけ、夜具を俺にかけてきた。「……風邪を引かれたら困るので」と早口で呟き、目で先を促してくる。


「いやな――多分だがあいつ、自分の色恋沙汰をまだ理解してないと思うぞ? 対局している時なんて完全に子供そのものだしな。歳よりも幼く感じるくらいだ。俺のことを同年代の餓鬼だと思っているんじゃねーか?」

 軍師としての瑠璃は本当に凄い奴だし、俺達は全幅の信頼を置いている。

 だが……早寝早起きで、負けず嫌いで、人見知りな少女こそ、瑠璃の本来の姿な気もするのだ。毎晩、眠くなるまで俺の部屋に入り浸っているのは単に寂しいからだろうし。


「……それは……そうかもしれませんが……。明鈴も同じようなことを……」


 白玲も思い当たる節があったのか、言い淀んだ。

 すかさず、俺は手をからかう。


「あ! やっぱり、お前もそう思っていたんだな? よしよし、これで同罪だ!」

「なっ! ひ、卑怯ですよ、隻影っ‼」

「ふっはっはっ! 勝てばよかろう、なのだぁぁぁ」

「……う~」


 唇を尖らせ、白玲が俺の腕をぽかぽか殴ってくる。

 ――風が窓枠を揺らし、ハクは耳を動かした。

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