夜の日課 上
『
その日の晩。
俺は張家の屋敷にある自室の窓際で独り椅子に腰かけ、『
屋敷内で湧き出す温泉に入ったお陰か、昼間の心労も和らいだように感じる。時折吹く夜風も最高に気持ちがいい。
お茶の入った碗に映り込んだ満月を覗き込みながら、小さく独白する。
「……随分と劇的に書かれているもんだなぁ。自分のことが後世にまでこうやって残っているのは、変てこな気分だが……」
立ち上がり、置かれている姿見に自分を映す。
黒髪紅眼。まだ、成長仕切っていない細い身体。着ているのは黒基調の浴衣。
俺が親父殿に戦場で拾われて十年。
つまり、高熱で死にかけ、前世の記憶を取り戻してから早十年が経った。
と……言っても大半は朧気だし、『
大半は『ああ、そうだったな~』と思い出す程度で、受け継いでいるのは武才くらいだ。
拾われた際の記憶もぽっかりと抜け落ちていて、覚えているのは今世の両親が商人だったことと、その二人に連れられて旅をしていたことくらい。
……両親は
俺は史書を手に取り、再び椅子に腰かけた。
「にしても……まさか、
前世の俺が死んだ後、盟友は皇帝を説得し、瞬く間に【
『【天剣】を帯び、常に陣頭で指揮を執るも、一度たりとも抜くことなし』
変に義理堅いのはあいつらしい。
……が、二代皇帝は、天下統一後も暗君振りが収まらず。
自らの遊興の為、民に重税を課し遊んでばかりだったようだ。
そんな皇帝を窘めた英風すらも、あろうことか叛乱容疑で投獄。
処刑される直前の英風を助けたのは、死ぬ前の皇英峰を助けてくれた『老桃』の守備隊長で――廊下を規則正しく歩く音が聞こえてきた。
「来ました」
銀髪をおろし、風呂上りの白玲が姿を見せる。
やや濡れた銀髪と、薄蒼の寝間着に身を包んだ未成熟な肢体。胸はなくとも、微かな色気は隠しようがない。
……夜、男の部屋に来るのは駄目なことだと、一度説教した方が良いんだろうか。
思い悩む俺に気付かず、白玲はさも『当然』といった様子で部屋へ入り、長椅子へと腰かける。
――俺達は十三まで一緒の部屋で寝ていた。
そのせいもあって、夜寝る前はこうしてやって来て、少し話をするのが未だに習慣になっているのだ。
俺はこめかみを押し、机の上の布を少女へ投げつけた。
「……髪拭かないと風邪ひくぞ? お茶飲むか?」
細い手を伸ばし、布を取り頭に載せた白玲が口を開いた。
「少しだけ。眠れなくなるので」
「寝坊してくれると、早朝に起こされなくて俺は嬉しいんだが?」
苦笑しながら、珍しい硝子の杯に茶を注ぎ、近づいて差し出す。
白玲が小さく「……ありがとう」と呟き、杯を手にした。
俺は灯りがかけられている近くの柱に背を預け、円窓から外を見た。
無数の星が瞬き、満月が浮かんでいるが――北天に『
お茶を飲んでいると、白玲が口を開いた。
「……あっちの方が」
「ん~?」
視線を銀髪少女へ向けると、顔を伏せている。
小首を傾げ、続きの言葉を待っていると……静かな問いかけ。
「
――
五十余年前。【
都から見て北西部に位置する敬陽とは大運河で繋がっており、無数の水路と橋が張り巡らされた大都市だ。人口も軽く百万を超えているらしい。
俺は外の満月を眺めながら、素直に感想を述べた。
「大陸中から、人と物と銭が集まっているのは確かだったなー。
「…………答えになっていません」
ムスッとした表情の白玲が俺を見た。
茶碗を置いて考え込み――わざとらしく手を叩く。
「ああ! そうか、白玲様は俺に置いて行かれたのを、未だに拗ね――」
「今すぐに死んでください。いえ、私が殺します。覚悟はいいですか?」
極寒の反応。こ、心なしか、銀髪も浮かびあがっているような……。
俺は途端に怯み、しどろもどろになる。
「そ、そんなに怒るなよ。張家の跡取り娘がそういう言葉を使うのは……」
「貴方に対してだけです。……拗ねてなんかいません。初陣は一緒に、っていう約束を破られたのも全然気にしていませんし、手紙が全然来なかったのも、嘘吐き、だなんて思っていません。本当です。…………本当に、拗ねてなんかいません」
「………」
白玲はそう言うと、頬を少し膨らまし顔を背けた。
……折を見て、と思ってたんだがなぁ。
頬を掻き、部屋の隅に避けておいた革製の鞄から布袋を取り出した。白玲へ手渡す。
「ほい」
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