夜の日課 下

「? ……これは??」


 銀髪の美少女は布袋の紐を解き、中から螺鈿らでん細工の小箱を取り出した。

 各面に精緻極まる花や鳥が彫り込まれている。軽く手を振りながら説明。


「都で流行っている舶来品の小箱。東の島国の物らしい。髪紐や花飾りの保管用に、な。使わないなら、使わなくて――……」


 俺の言葉は尻すぼみになって消えた。

 部屋を別々にして以来、冷静さを増したように思う銀髪の美少女は、小箱を子供のように眺めながら、顔を綻ばせている。


「――綺麗」

「…………」


 不覚にも見惚れてしまう。……こういう所が敵わない。

 背を向け、照れ隠しに早口で回答する。


「親父殿の命令で行ってはみたが……俺にはこっちの方が合ってるなっ! 科挙に受かる気もしないし、目指せ! 地方勤めの文官だっ‼」


 栄帝国では、命を張る武官よりも、書類仕事をする文官の権限が強い。

 『科挙かきょ』と呼ばれる超難関の官僚登用試験に合格すれば、将来は約束されたも同然。

 国家中枢で働くなら合格は必須だが……人間業とは思えない程、勉学に励まなくてはならないのだ。そして、俺にそんな才覚はない。

 だからこそ――俺は地方文官になって、のんびりと生きるのだ!

 小箱を大事そうに布袋へ仕舞い、しっかりと紐を結んだ白玲が、くすくすと笑った。


「貴方が地方の文官? 似合っていない、くしゅん」


 可愛らしいくしゃみ。耳と首筋が赤くなっていく。俺は少女へ手を振る。


「部屋へ戻れよ。明日は、親父殿も前線から戻られるんだろ?」

「……貴方も寝るならそうします」

「もう少し読書を」「なら、私も寝ません」


 俺が『煌書とうしょ』を指差すと。白玲は即座に否定し、枕を抱え口元を隠した。

額に手をやり、顔を顰める。


「お前なぁ……分かった。俺も寝るって」

「よろしい、です」


 勝ち誇った顔になった白玲は両手でしっかりと布袋を持ち、立ち上がった。

 そして、軽やかな足取りで俺の傍へ。

 ――花の香り。

 あれ? 俺の寝台と同じ匂い、か?

 不思議に思いながらも、関係ない事を聞く。


「独りで戻れるよな?」

「子供扱いしないでください。蹴りますよ?」

「もう蹴ってるだろうが⁉」


 口よりも早く出て来た少女の足を躱し、部屋の外まで見送る。

 軽やかな足取りで白玲は廊下を歩き始め――すぐに立ち止まった。


「明日」

「ん?」


 聞き返し、言葉を待つ。

 夜風が吹き銀髪を靡かせる中、少女は振り向き提案してきた。


「明日、御父様が戻られたら、久しぶりに馬で遠駆けしませんか? ……三人で」

「? 別に良いけど……」「本当⁉」

「うおっ」


 いきなり白玲が、小さい頃のように俺の胸元へ飛び込んで来た。

 ――薄手の寝間着故に、柔らかい双丘の感触がしっかりと伝わってくる。

 俺の逡巡に気付かず、御姫様がはしゃぐ。


「ふふふ♪ 昼間見せましたよね? 私は馬術もかなり上達しました! 明日は絶対に負けませんよ? 競争です」

「……そうか。取り合えず、だ」

「? どうかしたんですか??」


 不思議そうな顔をしながら、白玲は俺を見つめてきた。未だに、自分がどういう体勢なのか気付いていないようだ。……どうして、頭が良いのに気づかないんだよ。

 頬を掻きながら、仕方なく状況を説明。


「離れてくれ。い、幾らお前に胸がそんなになくとも……な?」

「…………あ」


 見る見る内に少女の白い頬と肌が朱に染まっていく。

 殊更ゆっくりと離れ、手と足を同時に出しながら廊下へ。

 背をむけたまま深呼吸を繰り返し――そのまま口を開いた。


「――……おやすみなさい。明日は寝坊しないでくださいね?」

「ああ、おやすみ。しないしない」

「……ふん」


 不貞腐れたかのよう呟きを漏らし、少女は去って行った。

 気配が完全になくなった後――俺は部屋へと戻り、『煌書』を手に取ると、寝台へ寝ころんだ。わくわくしながら、書物を開く。

 英風がどうなったかを見届けてやらないとなっ!

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