謎の少女

 敬陽は大陸を南北に貫いている大運河の要地にある。

 その為、各地から様々な物が持ち込まれ――市場は常に活況。

 雲一つない空の下、今日も数えきれない露店が出ていて、そこかしこで威勢の良いやり取りが聴こえてくる。

 大量の新鮮な肉な魚、野菜といった生鮮品。美味そうな料理や菓子。布や服、獣の毛皮。磁器や陶器、珍しい舶来品。


 ……最前線じゃなければ、もっと発展すると思うんだがなぁ。


 俺が内心で慨嘆しつつ、白玲と他愛のない会話をしながら市場を見て回っていると、人通りが途切れた。何時の間にか小路に入り込んでしまったらしい。

 そこには十代前半だろうか? 頭まで外套を羽織った『少年』が竹製の椅子に腰かけ、淡い白い花を手に取り、鋏を動かしていた。


「へぇ……」「珍しい花ですね」


 俺と白玲は立ち止まり、ござの上に置かれた桶の中の花束を覗き込んだ。

 ……こんな花、敬陽周辺に生えてたか?

 若干疑問を覚えながらも俺は、小柄な店主に話しかける。


「坊主、ちょっといいか? これ何処から採ってきたんだ?」


 すると、少年はほんの少しだけ顔を上げ、パチン! 鋏で白い花を断ち切った。

 ――敬陽でも滅多に見ない金色の髪と翡翠の瞳。

 どうやら、西冬の西部『白骨砂漠』を越えた先にあるときく諸国家出身のようだ。


「……言えない。商売にならなくなるから。あと」


 声色に微かな怒気が混じる。

 隣の白玲が「……馬鹿」と小さく零すのが聴こえた。

 椅子からゆっくりと立ち上がり、小柄な店主が長い金髪を露わにし鋭く睨んでくる。


「私は女よ。買わないならどいてくれない? 戦をする人は嫌いなの」


 ……や・ら・か・し・た。


 こうして立ち上がってくれれば分かるものの……肢体に凹凸も殆どないし、青い紐で軽結わえている髪も隠れていたから気付かなかった。

 ばつが悪くなり俺は両手を合わせ、素直に謝る。


「すまん! 花を買うから許してくれ」

「…………」


 少女は重く沈黙し、ただただ冷たい空気を発散させている。

 くっ! く、空気が、空気が重いっ‼ 

 白玲が呆れたように溜め息を吐いた。


「はぁ……まったくもう。ごめんなさい。この人はとっても鈍感なんです。どうか許してください。本当に綺麗なお花ですね」


 金色の瞳を瞬かせ「……銀髪蒼眼の美少女……じゃあ、そっちの黒剣は……」と呟いた。

 目を伏せ、店主が答える。


「……貴女の髪と瞳も綺麗だと思う、張家の御姫様」

「ありがとうございます」


 その容姿から、敬陽でも名の知られている白玲はふんわりと笑みを浮かべ、丁寧に御礼を口にした。空気も和らぎ、俺は安堵する。

 ……前世の記憶も、こういう時は役立たずだな。

 苦笑していると、少女の視線が俺と白玲の腰に注がれた。そこにあるのは好奇?

 金髪を弄りながら口を開く。


「――……その剣」

「ん? ああ、俺の愛剣だ。良く斬れるし、頑丈なんだぞ?」

 煌帝国の初代皇帝曰く――


『天より降りし星を用いて打たれた。この世に斬れないものはなし』


 その言に偽りはなく、既存の武器では耐えられない俺自身の力にも平然と耐え、先の戦では『赤狼』が纏う鋼鉄製の鎧すらも両断した。

 金髪の少女が鋏を仕舞い静かに問うてきた。


「――……抜けた、の?」

「? 抜けない剣を提げやしないだろ。面白いことを言う奴、むぐっ」

「貴方は黙っていてください」


 何故か白玲が少しだけ慌てた様子で、俺の口を手で塞いてきた。

 少女はその反動で揺れた【白星】を見つめている。

 こいつ……【天剣】を知って? 玄もしくは西冬の密偵か??

 腕を軽く叩きつつ銀髪少女に目配せし、手を外させる。


「へーへー。黙りますよーだ。よっと」


 桶から花を一輪取り 、水を袖で拭い白玲の前髪に俺は挿した。


「! せ、隻影⁉ に、にゃにを……」

 冷静沈着な張家の御嬢様は激しく動揺し、その場であたふたし始めた。

 俺は懐から財布を取り出し、翠眼を丸くしている少女へ銅銭を多めに手渡した。


「うん、似合うな。お前さんもそう思うだろ? 一束包んでくれ」

「…………」

 代金を小さな手で受け取った少女は首を縦に振り、両頬を抑え悶えている白玲に呆れた口調で問うた。


「ねぇ……この人は何時もこうなの?」

「――……はい」

「大変ね」

「ありがとうございます。知っているかもしれませんが改めて――張白玲です。名前を教えてもらってもいいですか?」

瑠璃ルリ


 短く名乗った金髪の少女は「……少しは考えなさい」と小言を言いながら花束を俺へ押し付けてきた。今、俺が責められる場面あったか⁉

 理不尽を覚えながら花束を受け取ると、大声が耳朶を打った。


掏摸すりだっ!!!!! だ、誰かそいつらを捕まえてくれっ‼」

「「「!」」」

 

通りに目線を向けると、野卑た二人の男が猛全と此方へ走っている。着ている物は薄汚れていて明らかに敬陽の民ではない。警邏の兵士達から逃げているようだ。


「白玲、頼んだっ!」「……仕方ないですね」


 銀髪少女へ花束を投げ渡すと俺は駆けだし、路地の中央で両手を広げた。


「どけどけどけっ!!!!!」「ぶっ殺されてぇのかっ!!!!!」


 男達は腰の短剣を抜き放ち、怒声を発する。

 ……仕方ねぇなぁ。

 俺が拳を軽く握っていると、若い溌剌とした声が近くの屋根から降って来た。


「左は僕が! 右の男をっ!」


 止める間もなく、外套を靡かせた茶髪の青年が屋根から飛び降り、男を蹴り飛ばす。

 肌がよく焼けている。南方人?


「! がっ⁉」


 奇襲を喰らった男が地面に伏し、動かなくなる。失神したようだ。


「て、てめぇっ! な、舐めやがってっ‼」


 仲間を倒された坊主頭の男が青年へ短剣を振り下ろそうとし――


「~~~っ⁉」

「そこまでだ」


 俺に手首を捻じられ、両膝をついて悲鳴を発した。

 零れ落ちた片刃の短剣を拾い、クルクルと回しながら掏摸の男に呆れる。


「お前なぁ、此処は【護国】張泰嵐が守護する敬陽だぞ? 白昼堂々掏摸なんかしても捕まるに決まってるだろう? 何処から流れて来た?」

「ひぃっ! …………」

「? おーい?? ……失神したか。悪いな、助かった」


 男は顔を真っ青にして気絶してしまった。そんなに脅したつもりはないんだが。

目線を移し、もう一人の掏摸を制圧した外套を羽織った青年へ礼を言う。

 ……こいつ、やたら顔が整ってやがるな。

 俺の感想には気づかず、青年は幼さを感じさせる笑みを浮かべ応じてきた。


「いえ! 当然のことをしたまでで――……黒髪紅眼。もしや、貴方は」


 突然、甲高い指笛の音が響いた。戦場で指示を出す際に使うものだ。

 青年は、はっ! とし、深々と頭を下げてきた。


「申し訳ありません。僕は先を急がねばなりません。今日の所は失礼しますっ!」

「お、おいっ」


 呼び止める間もなく、青年が走り去っていく。

 通りの人混みの中に、青年と同じ外套を羽織った偉丈夫が見えた。

 ……何者だ?

 考え込んでいると、警邏けいらの兵士達が現場に駆けこんで来た。


「せ、隻影様っ⁉ どうしてこのような場所に……」

 先頭の実直そうな若い士官は――張泰嵐を長きに亘って支えている老将、礼厳ライゲンの遠縁である庭破テイハだ。


 掏摸が持っていた短剣を差し出し、肩を叩く。


「庭破、後は任せる。こいつ等が何処から来たかだけ報告してくれ。多分……『北西』だ」

「――……はっ!」


 庭破は強張った表情で見事な敬礼し、兵達の指揮を再開した。


 ――敬陽から北西。


 あの掏摸達が持っていた特徴的な片刃の短剣……【西冬】から逃げてきたか。

 黙考しながら、白玲の下へと戻る。

 手には花束も持っておらず、前髪の花もない。……うん?

 疑問を覚えていると、俺にだけは厳しい銀髪の御姫様が端的に評してきた。


「随分と鈍っているようですね」

「本格的な鍛錬をさせてくれなかったのは誰だと⁉ 花束はどうしたんだ? それと」


 周囲を見渡すも、先程の少女の姿はない。


「店主は?」

「瑠璃さんは行く所があると。銅貨も返してこられて。不思議な話なんですが花束と花も消えてしまいました。……あと、さっきの青年」

「かなり出来る奴だったなー。敬陽人じゃなかった」


 不思議な金髪少女と南方人だと思しき明らかに鍛えられた青年。

 妙な連中に会う日だ。


「ええ。それに――」

「? どうした??」


 黙り込んだ白玲の顔を覗き込む。


「いえ、気のせいだと思います。……あの御方が敬陽にいる訳ありませんし」


 自分に言い聞かせるように言葉を漏らし、白玲は俺に銅貨を握らせた。

次いで左腕に自分の腕を絡めてくる。少しだけ不安になったらしい。


「さ、屋敷に帰りましょう。貴方を一人にしておくのは危険だと、今日の件で立証されました。今後も私と一緒の行動を義務付けます。反論は許しません。……花束、帰りの途中で買い直してくださいね?」

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