第2巻
序章 上
「食料と資材の搬入手配はどうなってる? 昼には敬陽行きの船が出ちまうぞっ⁉」
「空いてる人足と荷馬車はとにかく港へ!」
「【張護国】様が勝たれるのは毎度のことだけれど、今回は大商いだわ~」
「明鈴御嬢様はどちらに? 御指示をいただかないと……」
栄帝国首府『臨京』。
その一等地に居を構えている、王家の御屋敷は喧騒に包まれていました。
自称仙娘様の見送りから戻って来た私――王明鈴様付従者である静に気付かず家人達は廊下を走り回り、荷物を港へ運ぶ威勢の良い掛け声を発しています。
帝国北辺の中心都市である『敬陽』が大河以北を領している【玄】の大軍に攻めら れるも、激戦の末、防衛に成功してから二ヶ月が経ちました。
彼の地を守っていたのは、この国最大の英雄である【護国】張泰嵐――ではなく、留守役を務められていた明鈴御嬢様の想い人でもあり、私と同じ黒髪の隻影様。
お会いした当初から只者ではない、と思っていましたが……よもや、敵の猛将『赤狼』を討ち取られ、張将軍が帰還されるまで敬陽を守り抜かれるとは!
まるで、絵物語に登場する英傑の如き御活躍と言えましょう。
ただ都市自体は『投石器』なる兵器により大きな被害を受けたと聞いています。
加えて、栄帝国にとり永年の友邦だった北西の交易国家【西冬】の寝返り。
今の所、二国に大きな動きはありませんが、大河以北と西方に前線を抱えることとなった
敬陽の防衛強化は必定です。
だからこそ、王家を始めとする臨京の商家は活況を呈しているわけですが……。
「隻影様と白玲御嬢様からすれば、一難去って、でございますね」
縁あって知り合った黒髪紅眼の青年と銀髪蒼眼の美少女を思い出し、私の口から独白が零れました。敵の猛将を退けても今後の戦はより一層厳しいものとなるでしょう。
敬陽にいる張家の御二人を思いながら、御嬢様の部屋へ歩を進めていると、
「し、静様!」
短い茶髪の女官見習いが駆け寄ってきました。随分と慌てている様子です。
私は少女の髪を手で直し、御土産の胡麻団子が入った紙袋を手渡しました。
「髪が乱れていますよ? 落ち着いて。明鈴御嬢様の御着替えはどうなりましたか?」
「あ、ありがとうございます。御着替えはその……」
恥ずかしそうに俯いた少女は紙袋を受け取り言い淀みました。失敗したようです。
普段の明鈴御嬢様は大変快活で、家中の者にも目配りを欠かさない方なのですが、ここ最近は自室に閉じこもりがちなのです。私は額に手をやりました。
「はぁ……仕方ない御嬢様ですね。後は任せてください」
「あ、ありがとうございますっ!」
女官見習いの少女と別れて廊下を進み、屋敷の奥へ。
大陸各地を渡り歩いておられる旦那様と奥様が集められた物珍しい品々を眺めながら、明鈴御嬢様の部屋へと向かいます。
丸窓から見える空には雲一つありません。良い天気です。
後程、御嬢様を散歩に連れ出すのはありかもしれません。
精緻な彫刻の施された入り口の扉をそっと開け、御部屋の中を覗き込みます。
すると、寝台上から寝言が聴こえてきました。
「う~……う~……隻影さまぁ……明鈴が看病しますぅ……」
……私がいないのを良い事に二度寝をされるとは。
旦那様と奥様が不在である間、家中を取り仕切っておられる御方とは到底思えません。
敬陽攻防戦後が終わった直後、張家の御令嬢である白玲様から文が届き、
『隻影は戦場で左腕に手傷を受けましたが、無事です。看病は私が』
と、伝えられたのを余程気にされているのでしょう。
私は溜め息を吐き、長卓の横を通り抜けました。
卓上には先だって仙娘様の伝手で【西冬】の亡命者により持ち込まれた、奇妙な対騎兵用兵器の入っている置かれた長細い木箱が置かれています。
寝台に近づき――
「明鈴御嬢様、もうお昼です! さ、起きてください」
「! きゃんっ」
上質な絹製の夜具を強引に引きはがしました。
淡い橙色の寝間着姿で、おろしたままの長い栗茶髪には寝癖がついています。
大きな瞳を瞬かせていた小柄な明鈴御嬢様は頬を膨らませ、上半身を起こすと両手をブンブン振り回してきました。
「ち、ちょっと、静っ! 部屋に入るなら一声かけてっ‼ 今の私は、愛しい愛しい
未来の旦那様がいる敬陽へ行きたいのに行けない状況に心を痛めてるのっ‼ しかも、あの憎たらしくて胸も小さい張白玲からしか手紙が――わぷっ」
私は近くの椅子に置いておいた着替えの服を手に取り、御嬢様の顔に押し付けました。
そして、左手の人差し指を立ててお小言を告げます。
「まずは御着替えを! 流石に午後から書類仕事をしませんと、皆も困ってしまいます」
「……はぁ~い」
不承不承と謂った様子で返事をし、明鈴御嬢様が服を着替えていかれます。
……何故胸だけ大きく。これが栄帝国に伝わる仙術乃至は方術なのでしょうか?
お仕えして以来の疑問を今日も覚えつつ、私はお茶の準備を始めました。
『起床し、身なりを整えた後は一杯のお茶』
奥様に教えていただいた王家の伝統です。
一人でてきぱきと着替えられ、部屋の片隅に準備されている冷水で顔と歯を洗われた明鈴御嬢様が椅子に腰かけられました。
幼い頃から御傍に仕えている私としては、御嬢様の成長を見ると嬉しくなり甘やかしたくなってしまいます。無論、すぐ調子に乗られるので億尾にも出しませんが。
私は平静を装い、お茶を丁寧に注いできます――仄かな果実の香り。
「本日の茶葉は南域産でございます。どうぞ」
「…………う~」
むくれる明鈴御嬢様の後ろに回り、髪を櫛で梳かして整えていきます。
お茶を一口飲まれた御嬢様が素直な感想を零されました。
「あ、美味しい。でも、この味だと隻影様にはバレちゃうかも……? う~ん」
さっきまでの不機嫌は何処へやら。本当に愛らしい。
私は微笑みながら想い人との次なる逢引に想いを馳せている御嬢様の髪を結び、丸机の上に港で受け取った書簡を置きました。
明鈴御嬢様は振り向かれ、大きな瞳をパチクリ。
「? これは??」
「敬陽からでございます。港へ寄りましたところ届いておりました」
「! もしかして、隻影様っ⁉」
ぱぁぁぁ、と表情を明るくされるのを見て私はますます笑みを深めました。
やはり、明鈴御嬢様には笑顔がよく似合います。隻影様には感謝しても仕切れません。
いそいそと書簡を読み始められた明鈴御嬢様の隣に腰かけ、私は自分の碗にお茶を注ぎました。
ゆっくりそれを味わっている中、御嬢様は「……えへへ」「ちっ! やっぱり、白玲さんは敵です……」「猫さん?」と呟かれています。見ているだけでほんわかします。
私がニニコニしていると、明鈴御嬢様の眉が釣り上がりました。
「…………む~」
「明鈴御嬢様? 隻影様がどうかされましたか??」
空になった碗へお代わりのお茶を注いでいると、書簡が徐に差し出されました。
「読んでもよろしいのですか?」
「……うん。静ならいいわぁ~」
「ありがとうございます。では」
私は『当然でしょ?』という御嬢様の返事を受け相好を崩し、目を通し始めました。
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