敬陽へ

「――隻影殿。出てください」

「…………う、ん?」

 

 牢の外から、壮年の士官に呼ばれたのは夜明けだった。窓からぼんやりとした朝陽が差し込んでいるが……遠くで鶏が鳴いている。

 俺は欠伸をしながら立ち上がり、尋ねた。


「……ふぁぁぁ……早いな。こんな時間に沙汰が出るのか?」

「お急ぎを」


 士官は問いに答えず、ただ俺を促すだけだ。状況に困惑しながらも入り口を潜って後を追い、地下道を進んで行く。長い間使われた様子がない。……秘密通路か?

 途中「顔をお拭きください」と水筒と布を渡されたので、遠慮なく使う。

 そのまま下へ、上へと歩いて行き――やがて、出口が見えてきた。

 促されて外へ出ると、


「はっはっはっ! 来たな、隻影っ! 地下牢は寒かったろう?」

「⁉ お、親父殿? ど、どうして此処に? それに、白玲??」


 朝日の下、俺を待っていたのは張泰嵐とお澄まし顔の白玲、そして楽しそうな朝霞だった。後方には静さんまで控えている。

 親父殿は普段の服装だが、白玲と朝霞は旅支度を整え、三頭の馬の手綱を持っていた。

 周囲を見渡すと眼下には朝靄に包まれている臨京。北の丘のようだ。

 壮年の士官が見事な敬礼を親父殿にした。


「では――本官はこれにて失礼致します。張将軍」

「御苦労。助かった!」

「勿体ない御言葉です。貴方様の頼みを断れる前線帰りはおりません」


 会話を交わすと俺にも敬礼して、今来た地下通路を戻っていく。何が何だが……。

 親父殿がニヤリ、とし、豪奢な紙を差し出してきた。


「お前の沙汰が下った。心して読め」

「――……はい」


 多少緊張しながら受け取り、目を走らす。


『張家育み 隻影


宮中における乱暴狼藉、如何なる理由があろうとも許し難し。

なれど、自らへのいわれなき侮蔑に耐え、養父と妹への侮蔑に対し、その拳を振る孝であり、義なり。

よって、以下の処分を下す                         』


 ……何だと?

 俺は顔を上げ、親父殿と視線を合わせる。


「『退牢後、即時臨京退去を命ず。武勲によって失態を挽回せよ』――老宰相閣下の真印付だぞ? お前を褒めておられた。何時会ったのだ?」

「い、いえ。会ったことなんて――……あ」


 昨日の爺さん……やられた。俺は深々と頭を下げる。


「――……謹んで、罰を御受けします」

「うむ。儂が戻るまで敬陽を頼む。それと、だ」


 親父殿が、歴戦の名将の顔になり俺へ告げた。


「お前の進言通り、急ぎ探らせた――……西で不穏な動きがあるのは事実のようだ」

「……ではやはり、【西冬】が?」


 張泰嵐は情報を重視し、小さな進言すらもおろそかにしない。

 彼の国が【玄】に降っているとしたら……。


「いや、仔細は不明だ。しかし、儂は和平派との話し合いを纏めるまで敬陽に戻れぬ。そこで、だ。お前は白玲と共に」

「……待ってください」


 言葉を遮り、馬の頭を優しく撫でている紛れもない美少女を見やる。

 ……こういう時だけは本当に綺麗なんだが。


「白玲も一緒に戻るんですか?」

「? 当然であろう?? 儂にこれ以上娘に嫌われろ、と言うのか、お前はっ⁉」

「いや、そうじゃなくてですね――ぶふっ」

「貴方にです。本人は朝が極端に弱いらしいので。……昨晩の借りは返しました」


 いきなり、不機嫌そうな白玲が書簡を俺の顔面に叩きつけてきた。

 静さんへ目配せすると頷いてくれたので、恐々書簡を開く。


『誰よりも凛々しい隻影様へ


御義父上様と義妹様の名誉を守っての名誉の入牢、おめでとうございますっ! 

流石は私の旦那様です。

細やかですが、馬と旅支度を整えました。存分にお使いを。

……お見送りにいけないだろう、私をどうか、どうか! 御許しください。

昨日、当家の者が【西冬】より戻りました。都に【玄】の軍はなかったようです。

ただ、御義父様へもお伝えしましたが、各物品の取引は異常な程活発であり、新兵器の試射も極秘裏に行われた模様です。御留意ください。


追伸

例の約束、努々御お忘れなきよう。

次、御目にかかる時を楽しみにしています。剣と弓は見つけ次第、お届けします。

                      

                         貴方の未来の正妻 王明鈴』


 一気に疲労感を覚え、肩を落とす。……あいつ、無駄な才能の使い方を。

 白玲が俺の剣と短剣を差し出してきた。


「さ、出発しますよ。行きと違って帰りは馬。時間がかかるでしょう。……あの娘、一々癇に障りますが目は確かなようです。良い子達を選んでくれました。遅れないでくださいね? 競争に負けた方は、相手の言うことを何でも聞く、で」


 状況の急転に俺は憮然とし、剣を腰に差した。楽し気な少女へ細やかな要求。


「……手加減を」「御断りします」

「はっはっはっ! 道中気を付けるのだぞ? 朝霞、二人を頼む。ああ――肝心なことを忘れていた。隻影」

「……何でしょう?」


 背嚢を静さんから受け取り、鞍にくくりつけながら親父殿へ返す。

 すると、満面の笑みになり、両肩を思いっきり叩かれた。


「よくぞ、よくぞ、白玲を守ってくれたっ! 儂はお前を心から誇りに思う! それでこそ――儂の息子だ」


「…………っ」


 不覚にも言葉がなくなり、熱いものがこみ上げて来る。

 そうだった。この人は、今世の俺を拾ってくれた張泰嵐は、こういう漢だった。

 白玲に茶化される。


「顔――真っ赤ですよ?」

「……う、うっせぇっ!」


 目を手で覆い、馬に跨り、首を撫でる。

 臨京から敬陽までは、名馬を使っても一週間はかかるだろう。

 俺は白玲と目を合わせ、別れの挨拶をする。


「では、親父殿」「父上」

「「敬陽でお帰りをお待ちしますっ‼」」


 美髭をしごきながら、親父殿は鷹揚に頷いた。


「うむ。白玲、隻影が無理無茶をせぬよう、監視を怠るな」

「お、親父殿⁉」「心得ています――やぁっ!」


 俺が情けない声を発する中、白玲はいきなり馬を走らせた。朝霞もその後を追う。

 汚い。張白玲、汚いっ! ついでに、朝霞もズルいっ!

 俺もみんなに頭を下げ、馬を走らせ、銀髪の少女の背を追った。


 ――西か。本当に何もなければ良いんだが。

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