作戦計画
「偉大なる【天狼】の御子――アダイ皇帝陛下! ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます。文武百官、御前に参集致しましたっ! 御命令をっ‼」
玄帝国が首府『
皇宮中枢に設けられた大広間に、戦場で獅子吼するかの如き老元帥の重々しい声が響き渡った。場を支配する緊張と高揚。悪くない。
玉座に座る私――玄帝国皇帝アダイ・ダダは鷹揚に左を掲げ、命じる。
「皆、よく集まってくれた。面を上げ着席し、楽にせよ」
『はっ!』
一糸乱れぬ様子で将と文官が頭を上げ、用意された席に腰かける。
我が国の誇る『四狼』の内、北方で赫々たる戦果を挙げた『金狼』『銀狼』兄弟。
作戦計画を変更し呼び寄せた、玄最強の勇士【黒刃】こと『黒狼』ギセン。
他にも綺羅星の如き猛将、勇将、智将がずらり。
北東で蛮族を掃討している【白狼】と【西冬】を任せた軍師のハショを除き、主だった将の全員がこの場に集まっている。
前世の私――煌帝国【大丞相】王英風であっても、満足を覚える陣容と言えよう。
無論、【天剣】を持ちし畏友、煌帝国【大将軍】皇英峰一人に勝るものではないが。
私は片手を肘当てに乗せ、何でもないかのように告げた。
「此度、各地より皆を呼び寄せたは他でもない――南征の件だ」
炉の中で薪が割れ音を立てる中、ざわめきが起こる。
言わずもがな。全ては好意的なものだ。我が臣下に天下統一を疎む輩はいない。
従者から右手で酒杯を受け取る。
中身は桃の大樹が一年中咲き誇る『老桃』で造られた酒だ。
「ここ数日で寒気も緩んで来た。大運河の氷も融け始め、もう少しで船の航行にも支障はなくなろう。栄の良将と勇敢な兵共は西冬の地で土へと還り、最早我等を遮るものは――敬陽に籠る張泰嵐のみ」
七年前――戦場で先帝が崩御、私が即位した際、本営へ遮二無二に襲い掛かってきた黒髭の勇将と白髭の老将を思い出す。因縁は絶つべし。私は酒を一気に飲み干した。
立ち上がり、百官を見下ろす。
長い白髪をかき上げ、女子の如き細い手を翳す。
「いい加減、奴との戦いにも飽きた。決戦を覚悟せよ」
『オオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
皆が拳を突きあげ、雄叫びをあげた。
戦意頗る高し!
『将兵ってのは積極策を好むもんだ。兵は拙速を、ってやつだな』
……英峰、お前は何時だって正しいな。
私が畏友を想っていると、最前列にいた筋骨隆々でくすんだ銀色の軍装を身に纏った短躯の男――『銀狼』オーバ・ズソが床に拳をつきつけた。
「陛下! 先陣は是非とも臣にお任せくださいっ‼ グエンとセウルの仇、我が長斧にて必ずや取って御覧にいれますっ!!!」
「『銀狼』殿は北方戦線にて大功をあげられたばかり。陛下、どうぞ私めの蛇矛にも機会をお与えくだいますよう……」
長身細身で狐を思わせる、軍装に金を散らした将『金狼』ベテ・ズソも口を挟む。
対してオーバが食ってかかった。
「兄者っ! あれは俺の手柄じゃねぇよ。全部、兄者の策がうまくいったせいだろう? なのに、戦功を俺に押し付けてよぉ……」
「全てはお前の武故に成し遂げられたのだ。私は何もしていないよ」
「だけどよぉ」
「弟よ、兄はお前の栄達を常に望んでいるのだ。早く私よりも偉くなれ」
外見はまるで似ていない玄の名門、ズソ家の兄弟が武功を譲り合う。
兄は弟を。弟は兄を。
大草原で馬と共に生きてきた玄人にとって、血の繋がりは何よりも重要なのだ。
単純だ。しかし……少しだけ羨ましい。私は老元帥に目配せする。
「うっほん――両将共、陛下の御前であるぞ?」
「「……失礼致しましたっ‼」」
先々代にも付き従い、多くの将達を育て上げてきた老将の一喝を受け、二頭の『狼』が背筋を垂直に伸ばす。
北方蛮族達を震え上がらせたズソ兄弟の滅多に見ない姿に皆が失笑を漏らし、実直を持ってなるギセンですら目元を動かした。私は小さき左手を振る。
「良い良い。仲良きことは美しい」
全く持ってその通りだ。
嗚呼……英峰。英峰よ。
悔いなく逝っただろう暁明が今世にいないのは分かるが……お前が傍にいてくれれば、私は面倒な皇帝なぞせず、内政に専念出来るのだぞ? 薄情な奴め。
心中で愚痴を吐き終え――腰の短剣を抜き放つ。
「先陣は『金狼』『銀狼』」
「「はっ‼」」
犬歯を剥き出しにしたズソ兄弟が拳を打ち鳴らす。
張泰嵐と謂えど、『四狼』二人には敵うまい。
まともに戦わせるつもりもないが。強き者と戦えば味方は傷つく。
短剣を動かし、敬陽西方を西冬軍と共に攻める筈だった左頬に深い傷を持つ黒髪の勇士へ命じる。
「後詰は【黒狼】と新編された『黒槍騎』。――ギセン、西冬よりの長旅御苦労であった。出撃まで、まずはゆるりと疲れを癒すべし」
「……御意」
疑問もあるのだろうが、玄最強の勇士は感情を表に出さず頭を垂れた。
この者には、不遜にも【天剣】を持つという張家の息子と娘を討つか、もしくは捕えてもらわねばな。
「私は全軍が集結次第、大河の『三星城』へと入り、我が軍師ハショが率いし西冬軍十万と呼応――」
短剣を鞘へと納め、百官達に此度の作戦目的を示す。
「一挙に大河を渡り、敬陽を攻略せん。さすれば遠からず天下を統一出来よう」
『万事、我等にお任せあれっ!!!!!!!!!!!!!!!』
皆が唱和し、廟堂を震わせた。
やはり、悪くはない。充実している、と言ってもよかろう。
……だが、足りぬ。心の飢餓が満たされぬっ。
どうしても、【大将軍】皇英峰がいてくれれば、と思ってしまうのは宿痾であろう。難儀なことだ。
喧騒の中、オーバが手を挙げた。廟堂内が静まり返る。
「陛下、軍師殿に騎兵をお与えにはならないんで?」
敬陽西方は平原が広がり、我が軍の大半を占める騎兵が力を発揮出来る土地、質問はもっともなものだ。
私は従者に指示し、巻物をオーバへ下賜する。密偵が現在の敬陽を描いたものだ。
西方には無数の防塁と蛇の如き長大で複雑な壕。
「こいつは……」
「どうやら彼奴は小癪にも敬陽西方に対騎兵用の陣地を築いているようだ。強攻すれば、犠牲が増えよう? 勝ち戦で兵を無意味に殺す愚か者にはなりたくないものだ」
「おお……何て慈悲深き御言葉…………」
オーバが短躯を震わせ大粒の涙を零す。大草原生まれの者達は気質が純朴だ。
表だけでなく、裏にも理由が? とは思いもしない。
燕京で生まれたという、オーバの兄であるベテが申し訳なさそうに口を開いた。
「陛下、今一つ……」
「許す。申してみよ」
「有難きこと」
『金狼』は百官の末席を指し示した。
――三十前後の地味な顔の男。
「そこの末席に座りし栄人の将は何者でしょうや? 憚りながら……七年前の南征時、戦場で見た記憶がございます」
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