因縁
「…………」
男は答えない。
玄国内において事実上、国を滅ぼされたかつての北栄出身者の地位は高いものではないのだ。事実、居並ぶ百官の視線は冷たい。
私の代となって以降、民族、身分に関係なく人材登用を推し進めてはいるが……。
路半ば、といったところか。
冷たい思考を億尾にも出さず、称賛する。
「我が『金狼』、見事ぞ! そ奴は栄の降将が一人、
「恐れ入り奉ります」
ベテは深々と頭を下げ、引き下がった。
智将として知られるだけあって、私の意図を理解しているのだろう。
「前年、我等は【西冬】を降し、不遜にも侵攻してきた栄の輩共を『蘭陽』にて大破した」
敬陽に対する二正面攻勢態勢の確立。
大局を鑑みるに――我等は既に勝利している。
張泰嵐とその娘と息子が如何に戦場で奮戦しようとも、何れ【栄】は我等の圧迫に屈してこよう。
老宰相楊文祥は少しばかり厄介だが、臨京の宮中に忍ばせている『鼠』も使える。
――それでも、私は油断なぞしない。
「だが、同時に『赤狼』グエン・ギュイと『灰狼』セウル・バトを喪った。このこと、痛恨なり」
この場にいただろう忠誠無比だった二頭の『狼』を想う。
ギセンと【白狼】を加え、『四狼』態勢には復しているが……将を喪う指揮官なぞ、愚かに過ぎる。英峰は指揮下にあった将を唯の一人も喪わなかった。
百官達に力強く通達する。
「よって、此度の南征においては石橋を叩くこととした。その一翼を担うのが平安だ。北東辺境の地での戦功は比類ない。以後、見知りおけ」
『……御意』
不承不承、といった様子で玄の狼達は頭を垂れた。
偏見を払拭するには時がかかりそうだ。
表情を意図的に崩す。
「では、皆も杯を取るよがよい。今宵は飽きるまで共に酒を酌み交わそうぞ」
静まり返った深夜の大広間で私は一人、酒を呑む。
宴はとうの昔に終わり、傍で護衛として控えているのはギセンだけ。
……明日は老元帥に諫言を受けるかもしれぬな。
質素な花瓶に飾られた『
「ギセン、良い。客だ」
「…………」
反応しかけた黒衣の勇士を制し、酒を飲み干す。
姿を現したのは狐面を被った小柄な人物。
『千狐』なる闇に潜む密偵組織の者だ。名は――蓮、であったか。
挨拶もせず、用件を告げてくる。
「貴様の計画通り――現在、憐れな徐家の長子に田租が『毒』を仕込んでいる。遠からず墜ちよう」
「そうか」
短く応じる。徐家の長子はそこまで憐れで愚か、か。
栄の老宰相、楊文祥……貴殿の命運もどうやら定まったようだな。残念だ。
蓮がギセンを一瞥し問うてくる。
「ハショを都へ呼び寄せなかったのは何故だ? 敬陽の防備が増強されているとはいえ、【黒刃】までも取り上げるとは」
「その方があ奴は奮起する。情を捨てきれぬ軍師には多少の冷遇が一番効くのだ」
『千狐』崩れであり、【王英】の軍略を修めたと自称する、未熟な軍師を思い出す。
稚気が面白きあの小人は誇り高く、また中途半端に良識を持っている。『灰狼』セウル・バトの死に責任を感じてもいよう。
功績を挙げようと智謀を振り絞れば良し。失敗しても……十分な助攻となる。
私は巻物を広げ、目を落とす。
敬陽を守る城壁の如く、大河沿いに築かれた『白鳳城』
「例の件――【御方】の見立てに間違いはなかろうな?」
「自信満々だった。戦後『褒美が欲しい』とも。仮に外れたとしても、貴様の勝ちは揺らがない」
あの仙術にかまける西冬の闇に蠢く紫髪の妖女がそうまで言うならば、信を置いてもよかろうな。
滑るように近づいてきた蓮が詠うように私の作戦を耳元で囁く。
「敵軍を圧する大兵。北と西からの同時侵攻。そこに加えて――」
気づかぬ内に大河下流部分に斬り込みが走っている。
狐面の奥に冷たい蒼眼が覗いた。
「厄介な張泰嵐を敬陽から引き離せば、栄軍に勝ち目はない。たとえ、【双星の天剣】を持つ者達がいようとも。――武運は祈らない。その必要が見いだせないから」
密偵は柱の陰に入り、消えた。
私を利用し、天下の統一を望む奇妙な連中ではあるが……【御方】と同じく、使いようであろう。
暗き天井を眺める。
「憐れな徐家の長子とやらを使わずに済めば良いのだが。如何な私でも、多少の憐憫は抱いている故な。……だが、それは別にしても」
私の策を英峰はどう思うであろうか……?
非道だと責めようか? それとも、納得してくれるだろうか?
答えはないまま、私は目元を手で覆い――決意を固めた。
炉の炎が風で激しく揺れる。
「張泰嵐――そして、【天剣】を持つ者達との因縁、此度で全て終わらすとしよう」
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