麒麟児 下

「…………」


 若干の照れくささを覚え、俺は頬を掻きながら顔を屋敷の方へ。未だ静さんが戻って来る気配はない。目線を戻し、頭を振る。


「俺は地方文官志望だ。田舎であれば田舎であるほどいい。そして、気立ての良い嫁と一緒に子供を育て、雨の日は書物を読んで過ごす。これ以上、何も望みようがない!」

「無・理です! 貴方様は、【玄】の誇る四人の猛将の一角――『赤狼』を退けられたんですよ? そんな人を地方文官にする程、この国に余裕はないと思います★ 最近は、手土産として【西冬】の品を持つ、商人に化けた『鼠さん達』の数も増えているみたいですし」


 からかうような口調だが、内容は剣呑そのもの。

襲撃の情報は極秘事項だし……玄の密偵の数が増えている、と。

 俺は声を低くし、少女の名前を呼ぶ。


「……明鈴」

「誰にも話していません。我が国と【西冬】との間を割くあからさまな離間策だと思っています。戦争に興味もありませんし。私が知りたいのは――」


 少女の真摯な視線が俺を貫く。これを躱す程――男を止めていない。


「貴方様のことだけです。でも、戦乱が続く限り、何れ誰しもが知るようになります。平穏を望まれるのであれば、早めに張家を出られた方が良いのでは?」

「…………」


 俺は三杯目のお茶を飲み干した。さっきよりも茶が渋く感じられる。

 綺麗な所作で椀を手にした才女の問いかけ。


「貴方様が気にかけておられるのは――よく話をされていた、張白玲様ですね?」

「……まぁ、な」

「どうしてです? どうして、そこまで気にかけて??」


 妙な圧に屈し、俺は椀を机に置いた。屋敷の中が騒がしい。それ程の客人か?

 明鈴の視線を受け止め、告白する。


「端的に言えば……あいつには恩があるんだ。命を救われた大恩が、な」


 強い北風が吹き、俺と少女の間を駆け抜けた。……風の方向が変わったか?

 明鈴が目を瞬かせる。


「命……ですか?」


 鷹揚に頷き、俺は何となく空を見上げた。


「新進気鋭の大商人たる王家だ。俺の出自も調べてるだろ? 俺は孤児だ。商人だった両親や使用人達と旅をしている途中、敬陽郊外で盗賊に襲われ、唯一の生き残りだった俺を偶々巡回に出ていた親父殿が救ってくれた。……と、言っても、殆ど覚えちゃいないが」


 ――微かに覚えているのは荒野の風の冷たさと濃い血の臭い。

 次気付いた時には寝台に寝かされていて、隣の椅子には幼い白玲が船を漕いでいた。

 上半身を起こそうとして、頭と身体に激痛が走り――その瞬間唐突に思い出したのだ。


『俺は皇英峰の生まれ変わり』だ、と。


 目の前の少女が静かに問いかけてくる。


「……張将軍に救われたことを、恩義に思われているのは理解出来ます。ですが、答

えになっていません。私が聞きたいのは」

「そう急くなよ、王明鈴――話の続きだ」


 軽く左手を振り、俺は片目を瞑った。

 才女が子供のように頬を膨らまし、黙り込む。


「親父殿によって救われたらしい俺はその直後から十日間余り高熱を出し……生死を彷徨った。意識は朦朧としていたし、夢かもしれない」


 少女と視線を合わせる。

 普段の快活さはそこになく、純粋な真摯さだけがそこにはあった。


「けどな? 天幕の外で大人達が俺を『不吉な子』と呼んで――始末すべき、と強硬に主張していたのはずっと聞こえてた。そして、あいつが……白玲が泣きながら、反対する声もな。『一度助けたのにっ! もう一度、殺そうとしないでっ‼』――昔から冷静な奴なんだが、感情が高ぶると大声になんだよなぁ」


 胡麻団子を口に放り込み、苦笑する。

 けれど、明鈴の表情は変わらず、真剣そのもの。


「つまり……それが、それこそが張白玲様への」

「恩義、ってやつだ。あいつは覚えていないかもしれないし、俺の幻聴だったかもしれない。直接聞いたことはないしな。……けど」


 静さんが誰かと話しているのがはっきりと聞こえた。こっちへ来るようだ。


「俺にはお前程の学もなければ、知恵もない。だが、人として、返すべきものが何なのかは理解しているつもりだ。俺はあいつが幸せになるのを見届けるまで、張家を離れるわけにはいかないんだよ。……今の話、秘密だぞ?」

 一気に語り終え、俺は照れ隠しにお茶を一気に飲み干した。

 独特な風味でやっぱり美味い。土産として少し分けてもらうか?

 そんなことを考えながら、少女へ通告する。


「と――いうわけだ。俺を婿にするのは諦めろ。闘茶にも負け通しだろ? お前には溢れんばかりの商才があるし、幾らでも男は見つかるさ」


 最後だけ茶化し、俺は話を止めた。

 万を超える軍の糧食搬入をつつがなくこなせる人物は、そうそういない。

まして、それを成し遂げたのは、家の権力を使えるとはいっても、十七歳の少女。


 王明鈴の才は前世の我が畏友――王英風にも届き得る。


 暫くして、才女は胸に自分の左手を置き、静かに口を開いた。


「――……条件を」

「ん?」


 明鈴の瞳には、初めて見る決意の炎。

 ……あ、あれ? あ、諦める場面じゃ⁉

 俺がおたおたしていると、少女は荒々しく立ち上がり、叫んだ。


「条件を仰ってくださいっ! 隻影様の御気持は理解しました。ですが――……だからといって、この王明鈴! 引き下がるわけには参りませんっ‼ 私も――私だってっ! 貴方様に、この命を救われたのをお忘れですか?」

「え、えーっと、だな……」

「――今の話、どういう意味ですか?」

「「!」」


 怜悧な声が耳朶を打つ。

 俺と明鈴は慌てて視線を向けると、池の畔に佇んでいたのは……


「は、白玲⁉ ど、どうして、お前が此処にいるんだよっ⁉」

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