疑念

――『張』。

 

 金糸に縁どられた軍旗がはためき、騎兵が整列していた。凄まじい土埃が舞っている。

 俺はここぞ、とばかりに脅す。


「ほらほら? 怖い怖い張泰嵐チョウタイランがやって来たぞ? とっとと、自分達の国へ帰らないと、皆殺しにされちまう。此処で死んだら貴重な情報は持ち帰れない。さ……どうする??」

「…………」


 グエンは無表情のまま、馬に踵を返させた。

 戦場全体に角笛が響き渡り、騎兵達は見事な練度で北西へ撤退していく。

 ……何とかなった、か。

 全身の力が抜けていくのを感じながらも、油断せずにいると、自ら殿を務めていた敵将が丘の上で振り返った。


張隻影チョウセキエイっ!!!!!」


 俺も他人のことは言えないが、とんでもない大声だ。獣の咆哮に近い。

 深紅の紐が結ばれている槍を突き出した、勇壮な名乗り。


「その名――忘れぬっ! 次は我が戟でその首貰い受けんっ!!!!!」


 そう一方的に告げ、グエンの姿は丘の陰へと消えた。奴も本気じゃなかったようだ。


「……二度と御免だってのっ」


 折れた右手の剣に目をやり、顔を顰める。無銘とはいえ相当な業物だった。

 【天剣てんけん】とは言わないものの、折れない剣探しを、都の明鈴に頼む必要があるかもしれない。ああ、奴等の使っていた武器も確認しておかないと。【西冬セイトウ】の物だとしたら……。

 そんなことを思いながら、白馬の首を撫で「ありがとうな」と礼を言っていると、味方騎兵が猛然と近づいて来た。数は精々五十騎、といったところだ。

 先頭は――


「若っ!」

じい、絶好の良い機だった。お前等もありがとう」

『はっ!』


 味方の騎兵は後ろに枝を引き摺っていた。先程の砂煙の正体はこいつだったのだ。

 稚拙な策だが……親父殿の名声に感謝だな。

 恥ずかしさを紛らわすように、爺達へ命じる。


「俺達も白玲達の所へ合流するぞ。間に合えば――武勲の稼ぎ時だ」



 廃砦に到着すると、既に戦闘は終結していた。

 白馬を何故だか俺へ尊敬の視線を向けて来る庭破へと託し、奥へ。

すると――長い銀髪の少女が石に腰かけ、俯いていた。少し離れた場所では、朝霞アサカがオロオロしている。軽鎧が血で汚れているので、かなりの数を倒したようだ。

 俺は女官へ目配せして下がらせると、努めて普段通りの口調で白玲に話しかけた。


「よっ。怪我はないか?」

「……ありません。みんなが――……守ってくれたので」

「そっか」


 周囲には死体こそ転がっていないものの、壁や地面には血痕がこびりついている。

 初陣がこんな激戦じゃ、落ち込むのも当然だ。

 俺は片膝をつき、少女の手を固く握りしめられた手を握り、名を呼んだ。


白玲ハクレイ


 顔を上げた蒼の双眸には涙の痕。

 あれだけの激戦だったにも拘わらず、戦死者は数名に留まった。

成し遂げたのは兵達の奮戦。そして――この少女の力。

 こいつには武の才があるのだろう。指揮官としての才も。

 ――……だけど、少し優し過ぎる。


「暗い顔をしてたら、兵達が気を病んじまうぞ? お前はよくやったよ」


 途端、見る見る内に大粒の涙が溜まっていく。

 そして、俺の胸に両拳を叩きつけてきた。


「でもっ! ……でも、だったら、私はこの気持ちをどうすれば…………どうすれば、いいんですかっ!」

「……お前は本当に変な所で阿呆だなぁ」

「…………何ですって」


 涙を拭いながら、俺を睨んでくる。

 俺は懐から白布を取り出して少女の目元を拭ってやり、片目を瞑った。



「その為に俺がいるんだろ? 違うか?」



 白玲は大きな瞳を瞬かせ、


「……はぁ。貴方って本当に……」


 白布で顔を覆い、空を見上げた。陽は傾き、夜の足音が聞こえ始めている。

 早く戻らないと親父殿が心配するな――白玲が座ったまま、左手を伸ばして来た。


「――手」

「ん?」


 訳が分からないまま、立ち上がる。

 騒がしい音と共に白馬が廃城の中へとやって来た、主を見て、嬉しそうに尻尾を揺らす。

 少女は髪をおろすと、ほんの微かに甘えを潜ませた顔で俺に要求。


「……足が震えていて、馬に乗れそうにありません。敬陽まで貴方が送ってください。勝手に私の馬を乗り回したんですから、それくらいしてくれますよね?」

「……えーっと」

「貴方を武官に、と父上へ訴えても?」

「うぐっ!」


 急所中の急所をつかれ、俺は胸を押さえた。

 ほんの少しの間、懊悩し――俺は白玲を抱きかかえ、白馬に乗せ、後ろに跨った。


「…………これで、良いか?」

「よろしい、です。……隻影」

「?」

「…………来てくれて、ありがとう…………」

 胸に顔を埋め、小さく呟くと、銀髪の少女は安心しきった様子で寝息を零し始めた。


 俺は白玲の顔についた汚れを優しく拭きとってやりながら、考え込む。

 ――あり得ないゲン帝国の先行偵察。率いていたのはいる筈のない『赤狼せきろう』。

 これを知った親父殿はどうするのか。


「近い内に臨京へ戻ることになるかもな……」


 俺は眠っている少女は落ちないよう抱きかかえ、南方の空を見上げたのだった。

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