初陣 上
「では、行って来る。
「大丈夫です。無茶は致しません。何処かの自称文官志望さんとは違うので」
三人での遠駆けから数日後。早朝の張家屋敷前。
礼服に身を包み、諸将との会談へ向かう親父殿が馬の上から、何度目になるか分からない注意を軍装の愛娘に告げている。
昨日の晩、俺も遠回しに説得したのだが……決意は変えられず。
過保護なのかもしれないが、不安だ。
一見冷静に見える白玲の中に、熱い張家の血が流れているのを、俺は知っている。
親父殿も物憂げな様子で俺を見た。
「……
「すぐに御報せします」
「頼む」
重々しく頷かれ、親父殿は出立された。後には最精鋭の護衛が続いていく。
その隊列を見送ると、白玲はすぐさま踵を返した。
屋敷内に入るなり、淡々とした口調で告げてくる。
「私もすぐに出ます。夕刻までには終わるでしょう」
「――
俺は咄嗟に幼名を呼んでしまった。少女の足が止まり、視線が交錯。
蒼の双眸には強固な意志が見て取れた。
「何を言っても無駄です。張家の娘として、民に仇なす者を許してはおけません。着いて来ないでくださいね? ……自分が先に初陣を終えたからって、子供扱いしないで」
そう言い放ち、白玲は馬屋へと向かって行く。
俺は額を押さえ、入れ替わりでやって来た
「……
「護衛は精鋭騎兵が百程。野盗の数は事前偵察によれば精々二十足らず。若の御指示通り、万が一の為、後詰も控えさせております。御心配なされますよう」
「そうだな……そうだよな。ありがとう」
俺は雲一つない、蒼穹の広がる空を見上げた。天候も崩れまい。
出来る限りの手は打ったし、白玲自身の技量にも不足はなし。
きっと何事もなく初陣を済ませ、今晩は散々話をしに来る筈――。
異変が起きたのは、昼飯を食べ終えた直後だった。
外庭で史書を読んでいると、まず聞こえて来たのは『バキっ!』という、敷地内で木材が折れる音。その直後、
「あ、危ないっ!」「と、捕らえろっ!」「あれは、白玲様の?」
使用人達の悲鳴が響き渡った。
書物を机に置き、立ち上がった直後――
「わっ!」
俺目掛けて、駆けて来たのは美しい白馬だった。酷く興奮した様子だ。
「お前……白玲の『
白馬は何を訴えるように俺を見つめ、袖を噛んできた。尋常な様子じゃない。
まさか、あいつの身に何か――どたどた、と走る音がし、顔面蒼白の礼厳と左腕に血染めの布を巻いている男性兵士が姿を現した。先日、演習場では審判役だった青年隊長だ。
俺の顔を爺が見るなり、叫ぶ。
「若っ! 白玲様が……白玲様がっ‼」
「――礼厳、落ち着け」
「「っ!」」
静かに命じると、爺と兵士は息を呑んだ。その間に布を取って白馬の首筋を拭き、問う。
「何があった?」
「若へ手短かに報告せよ」
「は、はい」
青年隊長は身体を震わし、焦った様子で話し始めた。
「……なるほど。目的の廃砦に着くまでは順調。すぐさま突入したところ、賊が全て殺されていた。その直後、丘の陰に潜んでいた騎兵約二百に包囲され、馬の大半を倒された。そこで、お前を含め数名が増援を呼ぶ為、脱出して来た、と。合ってるか?」
「……はっ。申し訳ありませんっ」
叱責と勘違いしたのか、青年隊長が頭に地面を押し付ける。
張家の本拠地である敬陽近くに、謎の騎兵が二百――ただの賊じゃなさそうだ。
俺は膝を曲げ、泣いている青年隊長の肩を叩いた。
「よく報せてくれた。――爺、相手は間違いなく野盗の類じゃない。このままじゃ、あいつも兵達もヤバい」
「はっ! で、ですが、その連中は……」
「詳しいことは全部後だ。準備させておいた後詰の指揮を頼む。俺は先行する」
万が一に備え椅子に立てかけておいた剣を手にする。銘はないが、頑丈な造りだ。今の俺の体格じゃ、双剣で馬上戦闘はまだ難しい。
俺達が話している間に、鞍の用意された白馬に跨ると、歴戦の礼厳が顔を歪めた。
「若!」
「大丈夫だ。文官仕事よりかは、荒事の方が慣れてる。――あとな」
俺は手短に策を伝達。
「隻影様! 弓と矢筒です!」
白玲付きの若い女官――肩までの鳶茶髪で細身な
野盗退治に俺と共に反対した結果、討伐隊には加われなかったのだが、本人も軽鎧を身に着け、腰には無骨な剣。張家に仕える者達は、緊急時には男女関係なく戦場へ出る。
騒然としつつ屋敷内の中で、老将は俺を見つめ――胸を叩いた。
「万事畏まって候。この老人にお任せあれ!」
「頼んだ。親父殿にもすぐ早馬を。
「! わ、私の名を……?」
状況についていけず、呆然としていた青年隊長が目を見開く。
俺は苦笑し、片目を瞑った。
「身内の名前くらいは全員覚えるようにしている。爺の遠縁なら猶更だ。頼む!」
「は、はっ!」
「良しっ! ――皆、心配するなっ! 白玲は俺が必ず救ってみせるっ‼ 屋敷に残る者は湯と飯、それと治療の準備をしておいてくれ」
『! はいっ‼』
様子を窺っていた使用人達が、弾かれたように駆け出していく。
白馬の首筋を撫で「力を貸してくれ」と話しかけると甲高く嘶いた。
庭から屋敷前の通りへ。
「若っ!」
礼厳の声が背中に届いた。振り向くと、白髪を振り乱し必死な形相で訴えてくる。
「くれぐれも……くれぐれも御身を大切にっ! 貴方様の身に何かあらば……」
「大丈夫だ。俺は死ぬなら、寝台の上って決めている」
「隻影様っ!」
振り向かないまま左手を挙げ、足で白馬に指示を出すと、即座に疾走を開始した。
通りを歩いている住民が、慌てて逃げていくのを見ながら俺は独白する。
「困った姫さんめっ。お前が死んだら、誰が俺と夜話をするんだよっ!」
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