名将 下

 すると英雄は即座に振り返った。


「? どうした?? 何か――……はっ! もしや、お前も白玲と同じようにしてほしかったのか⁉ ……すまぬ。儂としたことが気付かなんだ。許せ! さぁ、この父の胸に飛び込んで――」

「違います。違います。何処ぞのお姫様と違って、そういう趣味は持ってない、っ!」

「…………」


 慌てて否定すると、白玲に左手の甲をつねられた。

 美少女へ抗議の視線を向けつつ、提案する。


「落ち着かれた後で構わないので、遠駆けに行きませんか? 昔みたいに三人で」


 名将は目を大きくし、驚いた様子を見せ――次いで破顔。


「良かろうっ! この張泰嵐!! 少々歳を喰ったとはいえ、未だ未だ子等には負けぬ。遅れず、着いてこい!」


            *


 白玲と親父殿の馬に俺が追いついたのは、敬陽北方の名も無き丘だった。


「隻影! こっちだ」


 親父殿が鍛え上げられた左腕を振って来たので頷き、馬を労わりながら走らせる。

 見事な白馬に乗っている白玲の横に止めると、不満そうに一言。


「……遅い。体調でも悪いんですか?」

「目一杯だって」


 肩を竦めながら応じ、俺は目を細めた。

 護衛の騎兵達が着いて来て居るのは言わない方がいいだろう。

 遥か前方に灰色の城砦線が見える。

 ――あそこが栄帝国の北限。

 高所に登れば【玄】だけでなく、敬陽ケイヨウから見て北西に位置する交易国家【西冬セイトウ】も望めるらしい。我が国にとっては百年来の友邦だ。

 親父殿が馬を撫でながら、愛娘を褒め称える。


「白玲、見事だ! ははは。よもや娘に負けようとは」

「鍛えていますので。手紙で御報せした野盗討伐の件、これで御納得いただけますね?」

「うむ。今宵、礼厳と話をして決めるとしよう。お前も十六。そろそろ初陣を、と思ってはいたのだ」

「⁉ 初陣で野盗退治って……なら、俺も」

「問題ありません。貴方の手も借りません」


 口調と視線で察する。説得は無理そうだ。

 ……でもなぁ、まだ少し早いと思う。

 俺がもやもやしていると、親父殿は視線を遥か北方の空へ向けた。


「今より五十余年前――我等の祖父母、父母は【玄】の雲霞の如き大騎兵軍団に敗れ、北方を喪った。以来、大河の畔に城砦線を築き、奴等を防ぎ続けているが……それだけでは足りぬ。何れ、機を見て北伐を敢行せねばならぬ」


 『北伐ほくばつ』――喪われた大河以北奪還は栄帝国の悲願だ。

 けど、一度都で暮らしたからこそ分かる。

 最前線で戦い続ける将兵や、実際に敵国の脅威に曝されている湖洲の民と、都で繁栄を謳歌する者達の間には大きな意識の乖離がある。

 ――まるで、かつてのトウ帝国のように。

 白玲が静かに問うた。


「父上、前線の諸将はどのようにお考えなのでしょうか?」

「儂と同意見よ。だが……資金も物資も、兵も我等だけでは到底足りぬ。最後は皇帝陛下の御決断次第となろう。宮中の意見も、『北伐派』と『維持派』に割れているようだ」


 ……割れているだけなら良いんだが。

 問題は『戦いを一切望まない。その為ならば、屈辱的な講和でも構わない』という連中の数が少なくないことだ。親父殿が、厳めしい顔を更に険しくされている。


「帝位を戦場で継いだ【玄】の皇帝アダイは、我等と大河で対峙する一方で、大陸の遥か北方に広がる大草原の諸部族を自ら討ち不敗。この七年で領土を大きく広げた。また、天下の統一に執着しているとも聞く。我等の隙をつき、必ずや侵攻して来よう」


 都でその名前は何度も聞いた。


『言うことを聞かないと、白鬼しろおにアダイが来るよっ!』


 親が子供達への脅し文句に使う程、異国の皇帝は恐れられているのだ。

 親父殿が戦意を漲らせ、咆哮。


「だが――我等の築き上げた城砦群もまた鉄壁! 当面の間、戦線は動くまい」

「アダイはそうでも、指揮下の将が動くのでは? 『四狼よんろう』なる猛将達が各地で猛威を奮っていると聞いています。【西冬】も警戒していると……」


 俺は思わず口を挟むも、横顔を凝視してきた白玲に気付き、口籠った。

 親父殿が髭をしごきながら、鞘を叩く。


「ほぉ……隻影、詳しいではないか。やはり武官向きだな!」

「み、都で少しばかり耳にしただけですって」

「はっはっはっ。何時転向しても構わぬぞ? ――奴の配下に四人の猛将がおるのは事実だ。内、儂が七年前に戦場で直接干戈かんかを交えたは『赤狼せきろう』のグエン。げきの鋭さは我が眼に焼き付いている、果敢な突撃を繰り返してくる厄介な相手であった」

「……っ」


 白玲が唇を噛み締めた。

 軍を軽視し、慢性的な兵数不足に喘いでいる栄帝国と違い、玄帝国の軍は強大だ。

 『四狼』の一将配下の部隊ですら、『張家ちょうか軍』の全兵力に匹敵しかねない。親父殿が馬を返した。


「だが、グエンはアダイの逆鱗に触れたとも聞く。既に奴等の故地である【えん】――北の大草原へ去っておる。心配はいらぬ」


 俺もその話を、都の明鈴メイリンから聞いた。

 だが……【玄】国内において神聖視すら受けていると聞くアダイという男は、それ程狭量なのだろうか? ふと後方を振り返ると、護衛の騎兵が遠目に見えた。

 親父殿も気づかれたのだろう、俺達へ指示される。


「陽が落ちる前に戻るとしよう。白玲、盗賊討伐の件は許可する。ただし、焦るな! 数日かけて部隊を編成し、隻影を連れて――」

「やっ!」


 だが、白玲は親父殿に答えず手綱を引き、馬を走らせた。

 銀髪を靡かせながら、あっという間に小さくなっていく。

 珍しく溜め息を吐き、親父殿が苦笑。


「困ったものだ。ああいう頑な所はあれの母そっくりだが……義姉上の提言で、お前だけを都に行かせたのがまずかったかもしれぬ。よもや、新進気鋭の大商人である王家の愛娘をお前が海賊から救い、初陣を果たしてしまうとは……。『遅れまい、遅れまい』と気が急いているのだろう。白玲はお前に置いていかれるのを病的に恐れておる」

「……そんなことは」

「ある。儂とてそれなりにその手の経験は重ねておるのだぞ?」


 大恩人の重い言葉に俺は何も言えなくなる。

 ……一応、盗賊退治の時は助けられるようにしておかないとな。

 俺の沈黙をどう受け取ったのか、親父殿はニヤリ、と笑われた。


「まぁ良い。とにかく戻ろうぞっ! 都の土産話、楽しみにしておるのだ」

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