作戦計画
「偉大なる【天狼】の御子――アダイ皇帝陛下! ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます。諸将、参集致しております。御命令をっ‼」
大陸を南北に貫く大運河。その結節点にある都市『敬陽』。
我が好敵手、張泰嵐が守護した地の郊外に、巨大な天幕を用いて築かれた仮宮に、老元帥の重々しい声が轟いた。
玉座に座る私――玄帝国皇帝アダイ・ダダは、左手を掲げる。
「皆、楽にせよ。今日は文官連中もおらぬからな」
『はっ!』
居並ぶ将達が失笑を漏らし、それぞれの席へついた。
従者を除き立っているのは、今や名実ともに『最強』と言ってよい、【黒刃】こと【黒狼】のギセン。
女ながら【白狼】の地位につく長い紫髪のルス。
両者共、私の護衛をする、といって頑なに座ろうとしないのだ。
肘をつき、ニヤリと笑う。
「集まってもらったのは他でもない。そろそろ戦が恋しかろう? と思ったのだ」
『! オオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
一瞬の静寂の後――諸将は雄叫びを上げ、胸甲や剣の鞘を叩き、互いに拳を合わせ、肩を叩く。中には歌い出すものまでいる有様だ。
従者に我が前世の畏友『皇英峰』こと張隻影が好んだという山桃の酒を、張家から接収させた奴の硝子杯につがせ飲む。美味い。
ククク……酒の趣味は前世同様なようだな。
落ち着かない様子の地味な礼服を着た優男と地味な将をからかう。
「ハショ、平安、おぬしのせいだぞ? 『湖洲』はともかくも、半年足らずで『安州』『平州』をも奪る鮮やかな手並み。それを見て、我が国の将で奮い立たぬ者がいようか?」
「は、はっ……汗顔の至り…………」「有難き幸せ」
西冬軍を任せている未熟な軍師は、吹き出した汗を拭い縮こまった。
対して末席に座る、大河以南の『子柳』を拠点に臨京へ圧迫を加えている魏平安は、堂々と受け答えした。泰嵐に敗れながらも、軍を立て直してみせた技量は貴重なものだ。
勝ち続けている我が軍内で、敗北の苦さを知る者は少数なのだから……。
「陛下! 発言してもよろしいでしょうか‼」
未だ喧騒が続く中、溌剌とした様子の若き武将が立ち上がった。
黒茶の瞳と髪。整った容姿に、戦陣で焼けた肌。
ギセンには至らぬまでも、鎧の上からでも肉体を鍛え上げているのが分かる。腰に提げている二振りの双剣は遥か西方で打たれた業物だ。
齢僅か二十と三で、武才と将才、統治に政治の才すらも持ち合わせた、我が皇帝家の次世代筆頭の下へ、酒杯を運ばせる。
「オリド、壮健なようで何よりだ。無論構わぬよ――我が従弟殿」
「ありがとうございます!」
従者から受け取った酒を一気に飲み干し、北西戦線で名を馳せ、
『私は陛下の【今皇英】を目指しまするっ!』
と、広言して憚らないオリド・ダダが仮宮内を歩き始めた。諸将も慣れっ子だが、副将の老ベルグは額を押している。兄である老元帥と同じで苦労人は変わらぬな。
「『燕京』にて聴いた話によれば――栄の【三将】既に亡く、前線の敵軍は極めて劣弱」
ハショが部下に手で指示し、皆に見えるよう、敬陽で接収した『大陸全図』を拡大した物を掲げさせた。現時点での敵兵力と主だった将が記されている。
皇宮内の『鼠』である田租に未だ気付かぬとは……栄の皇帝や宰相は愚物らしい。
オリドは絵図の前へ立ち止まり、拳で西と南を叩いた。
「西の宇家、南の徐家も離反したのなら、今や我が軍の攻勢に対抗し得る敵はありませぬ。ここは全軍を以て『臨京』を突き、一挙に天下の統一を!」
『天下の統一をっ!!!!!』
将達も一斉に拳を天に突き上げる。そこにあるのは高揚。
――理は将来が楽しみな従弟にあろう。今までの私であれば同意もした。
だが、容易く得られる天下よりも優先すべきは。
「オリド」
私が名を呼ぶと、天幕内は一瞬で静まり返った。
左手を掲げ、称揚する。
「その戦意や良し。しかし、事はそう単純でもない」
「……と、申されますと?」
従弟が怪訝そうな顔になり、私の言葉を待つ。諸将も同様だ。
視界の外れを長い白髪が掠めた。
「我が軍の力ならば、張泰嵐亡き【栄】なぞ踏み潰すことは容易であろう。奴等の力の源たる大運河を叩き続け、利水の益を干上がらせれば勝手に自壊していく」
――大河以北より逃れし、当時の栄皇帝は優秀な男だったのであろう。
そうでなければ当時寒村であった臨京の地に都を開きはしまい。
先々代、先代の侵攻を跳ねのけたのは、張泰嵐のような名将の力だけでなく、交易で得た圧倒的な財力でもあるのだ。
酒杯を下げさせ、一同へ冷たく告げる。
「が――それだけでは足りぬ」
『?』
オリドや諸将が困惑した。我が陣中の数少ない欠点よの。
戦場の狼達に不満は一切ないのだが、内政の才持つ者は乏しい。
――故に容易に騙せもする。
私はさも当然であるかのように続けた。
「皆、よくよく考えよ。我等は『統治』を行わなくてはならぬのだ。一時的な『収奪』『占領』ではなくな。ハショ」
「は、はっ!」
名を呼ばれ、【王英】の軍略研究に余念のない未熟な軍師が立ち上がった。
分かり易い位に緊張している優男へ問う。
「『安州』と『平州』の統治、苦労しておるようだな?」
「! …………仰る通りです」
顔を強張らせたハショは、すぐに気を取り直す。
才は乏しく、戦場で英峰に勝てるとも思わぬが……勤勉さは認めても良い。
額の汗を布で拭いつつ、優男が状況を口にする。
「根本的な問題なのですが……我等と【栄】とでは、そもそもの人口が違い過ぎます。おそらくは桁が一つ……いえ、下手すると二つ程は差が。加えて、栄人は我等を『馬人』と強く蔑んでおります。武力で圧倒してもなお、心から服従したわけではないのです。大河以北の統治事例を鑑みても、占領地の安定には相当な刻がかかるものと愚考致します」
「なんとっ!」「まだ、そのような戯言をっ」「自分達の立場を理解出来ていないのではないか?」「あり得る。何しろ……張泰嵐を弑するような愚かな連中だからな」
諸将が憤慨し、机や椅子を叩く。
玉座を立ち、手で制す。
「静まれ」
再び天幕内に静寂が帰還した。
この場にいる者達の忠義に疑いは微塵もなし。
同時に、『狼』の暴威に物を言わせた天下が脆いのも事実。
――私の、【王英】の決断に瑕疵はない。偶々私情が重なっただけのこと。
自分自身を納得させ、小さな女子の如き手を心の臓を押し付ける。
「皆の言うことも尤もだ。私とて腸が煮えくりかえるが……ハショの進言も正しい。だからこそ、我等の父祖は大河以北しか呑み込めなかった」
北方の大草原で勃興し馬と共にあった我等は、武力という点で常に栄を圧倒していた。経済力で勝る奴等を大河以北より追ったのは、懸絶した差があったことの証明だ。
それから五十余年。
私の代で大河を越えられたのは、先代、先々代の才に致命的な不足があったのではなく、潜在的な『敵』であった旧栄人達の統治にそれだけの刻が必要だった裏返しなのだ。
文官の人材に乏しい玄を率い、果たして栄全土の統治能うや否や?
『味方の前で不安は出すな。内に秘めとけ』
嗚呼……英峰、英峰よ。お前の言葉は皇帝なぞになった今世でも私を導いてくれる。
だからこそ――だからこそだっ! どうして、お前は今この場にいないっ‼
【武】はお前が。【政】は私が。
さすれば天下なぞたちまちの内に治まる。
……やはり、お前を誑かしている災厄を齎す張白玲は必ず除かねばな。
目を開け、心にもないことを口にする。
「栄人共を従わせる為には、『証』が必要なのだ。私が天下を統治する『証』がな」
ふむ、もっともらしい理由だ。統治に困難があるのは事実なのだから。
「よって――軍略からすれば愚策は承知の上で、軍を二分し」
内なる声が、これが最後とばかりに私を激しく罵倒する。
絶対的優位下にありながら、軍を自ら分けるだと⁉ 王英風! 遂におかしくなったかっ‼ 今ならば間に合うっ。思い留まれ!!!
――……黙れっ。信じ難き愚策をしても、私には為さねばならぬことがある。
私は内なる自分を消し去り、腰の短剣を抜き放ち、
「『西域』攻めと南征を一挙に行う」
詔を発した。
歓呼の声は上がらず、天幕内が静まり返る。
さもあらん。歴戦の諸将は戦力分散の愚を知り抜いている。
老元帥が皆を代表して、訴えてきた。
「陛下! 主力軍を二分するのは些か……」「爺、無論分かっている」
短剣を鞘へ納め、意識して困った表情を作る。
「だがな……どうやら、西域には煌帝国由来の【玉璽】があるようなのだ」
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