分岐点

『!?!!!』


 天幕が激しくどよめいた。

 ――【伝国の玉璽】

 史上初の皇帝である飛暁明が作り、使いし代物。

 一般的に、天の化身たる【龍】より賜った神聖な印として知られ、歴代王朝に引き継がれてきたとされる。

 【双星の天剣】よりも、遥かに分かり易い『天下を担う皇帝が持つべき物』だ。

 前世で作成を指揮した私にとっては単なる印に過ぎぬし、贋作でも事足りるのだが……皆の表情を見るに、その影響力は絶大のようだな。

 歴戦の老元帥ですら慄き、零す。


「! な、何と……。で、では、栄の偽帝が持つ物は…………」

「どちらが本物だろうと構わぬ」


 未だ内なる声は反対を叫ぶが……賽はもう投げた。前へ進むのみ。

 短剣の鞘を自信満々に叩く。


「民が信じる『絵物語』こそ必要なのだ。『天はアダイ・ダダを選んだ』というな」

『偉大なる【天狼】の御子! アダイ皇帝陛下、万歳っ‼ 万々歳っ!!!』

 諸将が今度こそ歓呼を叫び、互いに拳を突き合わせる。ハショですら納得したようだ。

 ――後は。

「南征の指揮は爺とハショに任せよう。私は一軍を率い」

「陛下! 臣に『西域』攻めを御命じください‼」


 普段通りの快活さで、従弟が我が眼前へと進むや片膝を立て、両手を合せた。

 ――……よもや、ここで進言してこようとは。


「オリド」「何卒、お願い致しますっ!」


 黒茶の瞳には不退転の炎。

 私が直接、鄙の地へ赴くことだけは何が何でも避ける腹か。

 爺、そして老ベルグまでもが微かに首を振る。

 ……私は銀髪蒼眼を持ち、災厄を齎す張家の娘から英峰を救い出さなくてはならぬっ。下がらせようと口を開き駆け、


『賭けに出てもいい。だが――退き時は誤るなよ?』


 盟友の声が耳朶に響いた。スッと思考が冷める。

 ……ふむ。確かにお前と再会するにしては、些か矮小に過ぎる地かもしれぬな。

 我等の再会に相応しい戦場を用意せねばっ!

 自然と笑みが零れ落ちそうになるのを意識して抑え込み、私はオリドへ命じた。


「分かった。では従弟殿に任せるとしよう。だが――強攻を厳に禁ずる。『鷹閣』の路は狭く、周囲一帯は峻険。私が指揮するのであれば児戯だが、まともに攻めれば損耗は免れぬ。当面の間、宇家に『臨京』救援の兵を出させなければそれでよい。【玉璽】は追々差し出させよう。――ああ、そうであった。彼の地に逃れたと伝え聞く張隻影に気を付けよ。あの者の武勇は侮れぬ。まともに戦わぬようにせよ」

「黒剣を振るうという張家の……策の教授、ありがとうございますっ!」


 オリドは微かに疑念を滲ませるも、すぐさまそれを消し去った。

 ……何かしらを勘づかれたかもしれぬな。

 従弟は、公言するだけあって【皇英】の故事についてよく学んでいる。当然、【天剣】を振るう張隻影についても調べている筈だ。ベリグに釘を刺しておかねば。

 意識を切り替え飾られた老桃の花に触れ、惜別の想いを吐き出す。


「……我等の宿敵たる張泰嵐はもうこの世にはおらぬ。此度の戦、歯応えには欠けるかもしれぬが」

 背筋を伸ばし、凛として命じる。

「全てを喰らい尽くせ」

『御意っ!』



 深夜、私は仮宮の玉座に座り、人を待っていた。

 灯りの炎が、護衛についている【黒狼】の影を揺らめかせる。

 大剣の柄に手をかけた忠臣を制す。


「ギセン、良い。少し外せ」

「……はっ」


 玄最強の勇士が天幕を出ると何の音もなく、狐面を被り、ボロボロの外套を羽織った密偵が姿を現した。

 ――天下統一を是とする謎の組織『千狐』の蓮だ。

 半年前、臨京で隻影達と交戦したという密偵が苛立たしそうに報告する。


「……張隻影と張白玲はやはり山州だ。僅か数ヶ月で『武徳』周辺の賊共を張家と宇家の合同軍にて一掃した」

「さもあらん。当然だ」


 賊如きが英峰の相手になるわけもなし。

 煌帝国建国の砌――【双星の天剣】を振るう我が畏友の武威は天下に轟き、万どころか十万余の兵を凌駕する、とさえ謳われた。張家の小娘なぞに【白星】を渡していなければ『敬陽会戦』で我が細首は、あ奴に飛ばされていただろう。

 蓮がやや不思議そうに零す。


「……お前はあの手の者達をそこまで買っていない、と思っていたが。特に張隻影などは」


 返答はせず、ただ酒杯を傾ける。

 ……買ってなどやるものか。

 だが、前世でも、今世でも、どうしようもない程に惹かれてしまう。

 自分では到底出来ぬ、あの『剣』のような生き様に。宿痾か業か。不快ではない。

 蓮が踵を返し、入口へ歩いて行き――立ち止まった。


「彼の地に【伝国の玉璽】の伝承はあったが、実物は祠になかった。私の手で直接奴等を殺しに出向きたいが……何人にも斬れぬ【龍玉】を斬った報を聴きつけ、【御方】が色めき立っていてな、監視を怠る訳にもいかぬ」

「……ほぉ」


 西冬を影から操る、仙術狂いの妖女も隻影の価値に気付いたか。厄介な。

 蓮が仮面の位置を直す。


「彼奴は山州に配下の者を送り込んでいる。気を付けよ。そして、貴様は一刻も早く【栄】を滅ぼし、天下を統一せよ。さすれば張隻影と張白玲の首、私が上げてくれよう」


 風が吹き、狐面の密偵の姿は消えた。

 ……あ奴も英峰の『毒』に当てられたか。憐れよの。

 私は酒杯を掲げ、独りごちる。


「皇帝なぞになるものではないな、英峰。私は今すぐにでも、お前を張家の忌々しい娘の呪縛から救い出さなければならないというのに。……紅玉め、私が死んだ後、【天剣】と【玉璽】を隠すとは」


 前世において、私の補佐役として長く仕え後事を頼んだ女将は、西域の廟に収めた【天剣】と【玉璽】を何処かに隠匿したらしい。

 忠臣のあ奴が何故、そのような行動をしたのかは分からぬが……。 

 設けられた窓に輝く北天の『双星』へ左手を伸ばす。


「まぁ良い。私はお前と再会するに相応しい戦場を用意しよう。……その時こそ」


 最後の言葉は、外で吹き荒ぶ風によって掻き消える。

 花瓶に挿された、老桃の花だけが聞いていた。

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双星の天剣使い 七野りく @yukinagi

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