習慣

「おい、瑠璃、そこで寝るな。寝るなら、自分の部屋へ行けっ!」

「……ん~……わかって――…………」


 目の前の長椅子に座る寝間着姿で髪をおろした瑠璃が、俺の枕を抱えてパタリ。

 すぐ健やかな寝息が聞こえてくる。

 ……手に握り締めた賽子を落とさないのは誉めるべきか。


『私が勝つまでやるわっ! あんたに負け続けるなんて……あり得ないんだからっ』


 いや! ここ連日、夜になると双六を挑んでは負け、挑んでは負け……寝るまで諦めない仙娘な軍師は今度、お説教だな、うん。


「オト、朝霞」

「はい」「はい♪」


 すぐさま、こちらも寝間着姿になったオトと、遥々この地まで白玲に付き従ってきた女官の朝霞が、部屋の入り口から顔を覗かせた。


「今晩も任せた」

「任されました」「お任せください」


 まずオトが瑠璃を、朝霞は近づいて来た黒猫のユイを抱き上げる。熟練の動きだ。

 二人を見送り、冷水で出したお茶を碗へ注いでいると、頭に布をかけたまま、白玲が入浴から戻って来た。勿論、寝間着だ。


「……戻りました」「おー」


 普段通りの受け答え。

 銀髪の美少女はそのまま自分の寝台に寝転がった。

 ――その隣には俺の寝台がある。

 幼い頃、俺達は同じ部屋だったし、別の部屋になっても夜話をする習慣は続いていた。

 しかし、臨京を脱出して以降、白玲は夜も俺と同じ部屋で寝るようになった。

 理由は聞いていないが、黙認している。今後も聞くつもりはない。

 親父殿との別れで心に深い傷を負ったのは、俺も同じだからだ。

 瑠璃の残していった双六の駒を仕舞っていると、白玲が寝転んだままこちらを見た。


「隻影」

「ん?」


 手を止めると、幼馴染の少女は自分の寝台を軽く手で叩く。

 不満気で『拒否は許しません』と宝石のような蒼眼が言っている。

 ……仕方ねぇなぁ。

 碗を片手に寝台へ座ると、白玲はもぞもぞと俺の膝へ自分の頭を載せた。

 頬を膨らませ、拗ねた口調。


「……昼間、単騎で賊の前に立ち塞がったこと、私はまだ怒っています」

「お、おう。す、すまん」

「謝ってもゆるしません。……髪を梳いてください」


 顔を背けながら甘えてきたので、脇机にある櫛で白玲の長い銀髪を丁寧に梳いていく。

 丸窓の外に浮かぶ満月を眺め、蛙や虫の鳴く声や水の流れる音に耳を澄ませていると、何とも言えない穏やかな気持ちになってくる。

 ――願わくば、こんな平穏な日々が出来る限り長く続くように。

 神なぞ信じていないので、北方の『老桃』へ心中で祈る。

 身体を動かし、俺を見上げながら白玲が聞いてきた。


「瑠璃さんと今日は何の話をしていたんですか?」

「オトに渡された小箱と【天剣】についてだなー」


 俺は脇机上の小箱と、寝台傍に立てかけられている【黒星】と【白星】を見やった。

 夜な夜な俺の部屋へやって来ては、兵棋やら双六やらに興じる瑠璃だが、別に遊んでいるわけでもなく、常に二人きりなわけでもない。

 気になったことや、調査すべきこと、訓練について等々話し合う時間でもあるのだ。

 ……最近はむきになった瑠璃をあしらう時間も増えてきてるが。

 白玲の髪を梳き終わり、櫛を仕舞う。


「明鈴の依頼であいつ、こっちへ来たことがあるって前に言ってたろ? 賊退治も終わったし、【天剣】を見つけた廃廟へもう一度行ってみたいんだと。『武徳』と『鷹閣』の、深い森の中にあるらしい。地勢調査も兼ねてな」

「瑠璃さんらしいですね」


 白玲が上半身を起こし、俺の肩と自分の肩をくっつけ、頭をぶつけてきた。

 不安そうにポツリ。


「……敬陽は……今頃どうなっているんでしょうか」


 兵達の前では絶対に見せない弱々しい姿。

 張白玲は麒麟児だが……この前十七になったばかりの少女なのだ。肩を抱く。


「アダイの統治は穏健だと聞いてる。講和を蹴ったのも、親父殿の――」

「分かっています。……分かって、います」


 子供のようにいやいやと首を振り、白玲が俺に抱き着いてきた。

 身体は震え、目元には涙。

 白玲は賢い。アダイが親父殿を高く評価し、その死に激高して講和を蹴った人物であることも理解している。

 ただ、半年で立ち直れる程、張泰嵐の死は軽くもない。


「……すまん」

「……いえ。私の方こそ、ごめんなさい」


 俺の胸に頭を押し付けたまま、白玲もすぐ謝ってきた。

 背中を擦ってやりながら、冗談めかす。


「庭破には悪いことをしたな。『敬陽』のあれやこれ、全部押し付けてきちまった。恨まれてるかもしれん」


 半年前、親父殿を救出する為、秘密裡に都を向かった際、礼厳唯一の縁者だった青年武将も同行を強く望んだ。それを俺が説き伏せた。

 ――『敬陽を頼む』と言って。

 誰かが残らなければならなかった。そして、信頼出来るのはあいつだけだったのだ。


「……そうですね。きっと恨まれています」


 銀髪の美少女が顔を上げた。目元には大粒の涙。白布を手にし、涙を拭う。


「いや、そこは否定してくれよ。お前も共犯――」「嫌です」


 最後まで言わせてもらえず、額と額を合わせてきた。

 ――囁くような、拗ね混じりの文句。


「私がいない所で敵に突撃する隻影なんて嫌いです。大嫌いです」

「俺はお前を嫌うことなんてないけどなー」

「――……嫌いです」


 そう言いながらも、自分から離れようとはしない。

 思い返してみると、幼い頃のこいつは寝る時、俺に抱き着いて寝ていたっけ。

 両手で少女を軽く押し、見ないようにしながら乱れた寝間着を整えてやる。

 ……自分が誰もが見惚れる程、容姿端麗なんだってことをもう少し自覚させないと。


「伯母上とも連絡を取らないとな。明鈴は探してくれていると思うんだが……」


 臨京をいち早く脱出された女傑は朝霞の妹と共に行方不明。無事であってほしい。

 頬を大きく膨らました白玲は俺を睨み、別の懸念を述べた。


「……あの子との関係も今後は考えないといけません。立場上、私達は逆賊です」

「だよなぁ。色々と手紙には書いちまってるが」


 かつて、俺は水賊に襲われていた王明鈴を救った。

 が、恩義があるとしてもとっくの昔に返済は終わり、持ち出しが続いている状況だ。


「まぁ、あいつは気にもしてないだろうけどな。そんな話をしたら、本気で怒ってきそうだ。お前もそう思うだろ?」

「……それは、そうですけど」


 白玲が渋々ながらも引き下がる。

 意外な反応……いやまぁ、うちのお姫様だものな。

 実は人見知りな少女の成長に俺が満足感を覚えていると、ジト目。


「……隻影? 何ですか、その顔は」

「ん~? 何でもねーよ」

「嘘です! 私が何年、貴方と一緒にいると思って? さ、素直に白状してください」

「本当に何でもねーって」

「また、そうやって、はぐらかし、きゃっ」

「おっと」


 その場に立ち上がって寝台をわざわざ降り、両手で殴ってこようとするも、体勢を崩しそうになった白玲を慌てて受け止める。


「「…………」」


 何となく、二人して外を眺めると大きな満月。

 北天には『双星』が寄り添って瞬いている。

 暫くそのままでいると、白玲が小さく呟いた。


「――……月、綺麗ですね」

「ああ。そうだな」


 ぽすん、と小さな頭が俺の胸に当てられる。

「白玲?」「隻影……」


 弱々しく名前を呼ばれ、そのまま続きを待つ。

 襟を掴み、泣きながら少女が訴える。


「貴方は……何処にも行かないでくださいね? 貴方までいなくなってしまったら、私は、私はもう…………」

「雪姫は阿呆だなぁ」「っ!」


 幼名を呼んで返答し、顔を上げた白玲の耳元で約する。


「(俺はお前の背中を守るよ、お前は俺の背中を守ってくれるんだろ?)」

「~~~っ」


 見る見る内に少女の耳と頬、首元が朱に染まっていき、悔しそうに袖を掴み上目遣い。


「……隻影は意地悪です」

「おっかない幼馴染と過ごしてきてるからな」

「…………意地悪です。バカ」

「はいはい。そろそろ寝ないと明日が辛いぞ」


 頭をぽんと叩き、両手で抱きかかえて寝台に寝かせる。

 夜具をかけると、銀髪の少女は俺の袖を摘まんだ。


「書物を読むなら、隣で読んでください。それが最大譲歩です」

「ここ毎晩そう言ってるだろうが⁉ はぁ……困ったお姫様め」


 白玲の寝台に腰かけ、書物を開く。

 すると、心底安堵した表情になった。


「よろしい、です」


 銀髪を手で梳いてやりながら、微笑む。


「おやすみ、白玲」

「おやすみなさい、隻影。……寝るまでこうしていてくださいね?」

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