序章 下
優男――私の親友であり、現在は政敵とされている
「
「はっ……も、申し訳ありませんでした…………」
女将軍は身体を大きく震わせながら項垂れ、指揮棒を力なく振るった。
引き攣った顔をしていた指揮官達も兵と負傷兵をまとめ、山道を下って行く。
軍の隊列が見えなくなるまで英風は厳しい顔で眼前を見下ろしていたが――やがて、息を吐き、馬を転がるように降りると、深々と頭を下げてきた。
「………すまなかった。今回の件……全て私の失態だっ……」
「気にするな。良い娘だ。お前を想ってのことだろう。呑め」
背嚢から酒杯を二つ取り出し、酒を注ぎ盟友に差し出す。
先帝亡き後、私と英風の立場は大きく変わった。
しかし――私達が幼き頃より共に歩んで来た事実は疑いようもない。私達は盟友なのだ。
英風は酒杯を受け取ると、一気に飲み干した。白髪が微かな朝陽で光り、目の下の隈がより目立つ。
「老けたな。三十五には到底見えんぞ、大丞相閣下?」
からかいながら酒を注ぎ直すと、英風は苦々し気に吐き捨てた。
「……元大将軍殿と違い、面倒な仕事をしているからなっ!」
「政は専門外だ。所詮、私は『剣』に過ぎん」
「……ふんっ」
英風は酒杯を半分程飲み干すと、酒瓶を荒々しくひったくった。
「……貴様は変わらんな。真っすぐで、自らを貫くことを躊躇わぬ。だからこそ……」
風が吹き、無数の桃の花が夜と朝の光を浴び舞った。
あの時と――……二十年前と同じように。
直後、がばっ、と顔を上げた友の瞳には大粒の涙。
杯が手から零れ落ち、音を立てて割れた。私の両肩を痛いくらいに握りしめてくる。
「英峰よ。我が友よ。逃げよっ……! 貴様が……貴様のように、誰よりも、国を、民を想い戦い続けて来た人間が、このような冤罪で
その必死な顔を見て瞬時に理解する。
嗚呼……この男は、心優しく誰よりも賢い友は、皇帝に私を暗殺するよう命じられた後、夜も眠れない程、悩みに悩み続けていたのだ。
巨樹を見上げ――昔の口調に戻し、素直な想いを口にする。
「陛下が…………あの坊が、それ程までに俺を憎んでいるとは思わなかった」
先帝の一人息子である二代目皇帝が凡庸なのは分かっていた。
それでも、英風さえいれば帝国を発展させるのには十分だとも思っていたのだ。
友が顔を伏せる。
「……貴様は眩し過ぎたのだ。数多の戦場に出向き、傷一つ負わず不敗。先帝の『剣』として積み上げたその武勲は古今に比類無きもの。陛下に対しても意見を曲げず、自ら官位と領土を返上。兵権すら手放しながら、【
「【天剣】っていう呼び方は相応しくないな。未だ天下は統一されていないぞ?」
茶化すも返答は無く、英風が拳を近くの岩に叩きつける。
「正直に言おう。私とて――……貴様に嫉妬していたっ。『どうして、天は同時代に、皇英峰と王英風を生かしたのだ』と、……笑ってくれ。『大丞相』なぞと世に謳われようとも、先帝亡き後の七年、私を突き動かしていたのは貴様への嫉妬だったのだっ! 結果が……この様っ。唯一人の友を表立って救うことすら出来ぬっ…………」
「……そうか」
本当は俺も、味方をどうしたって死なせる武将ではなく、味方を救う英風のような文官になりたかったんだが……口にする雰囲気ではないな。
目を閉じ、腰から双剣をゆっくりと抜き放ち、俺は巨岩の前へと進んだ。
純白の剣の銘は『
漆黒の剣の銘は『
俺と英風の親友、今は亡き
何でも天より落ちてきた星を用い、神代に打たれたものらしい。
盟友が目を瞬かせる。
「英峰? 何を――」「はっ!」
問いを無視し、俺は双剣をかつて暁明が腰かけた巨岩へ無造作に振り下ろした。
――刃が岩に滑り込む感覚。
両断された巨岩が転がり、滝へと呑み込まれ、大水柱が立ち上がった。
水滴を受けながら、俺は双剣を鞘へ納め腰から引き抜く。
「英風!」
呆然としている友へ【天剣】とならなければならない双剣を放り投げ、告げる。
「そいつにはまだ役割が残っているようだ。後は――お前が引き継げ!」
「え、英峰? 何を……何を言っているのだ…………?」
友が声を震わせる中、俺は崖の際に立ち片目を瞑った。
「なに――お前なら出来るさ。ああ、そうだ。いい加減、嫁は持てよ?」
「わ、分かった。分かったから! 馬鹿なことを考えるなっ!」
真っ白な朝陽が差し込んできた。夜が明け、星々が消えていく。
英風が必死な形相で訴えてくるも、俺は頭を振った。
「これからの帝国に必要なのは『剣』じゃなく――」
初めて戦場に立った二十年前と同じく、今にも泣きそうな顔をしている友へ微笑む。
「お前なんだよ、王英風。俺の、俺達の夢を――天下を統一し、民が安心して飯を食える国をどうか作ってくれ。色々あったが楽しかったぜ――……じゃあなっ!」
「英峰っ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
親友の叫びを耳朶に感じながら、俺は思いっきり地面を蹴る。
空中に身体を投げ出し、頭上を眺めると――双星の一方が落ちた。
直後、滝に呑み込まれ、冷たい水に包まれていく。
――悪くない人生だった。
仮に次の生が与えられるならば……今度は戦場で人を討つ武官ではなく、英風みたいな政治で人を救う文官になりたいもんだ。
まぁ、俺じゃあ、精々地方文官が限界だろうが。
そんなことを思いながら、俺――皇英峰の意識は暗い水底に飲み込まれていった。
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