見送り 下

「……隻影? 人前で何をしているんですか??」

「何時ものことなんだろうけど、目立ってるわよ?」


 次いで瑠璃も口を挟んでくる。

 ただし、半ば本気で怒っている白玲と違い、瑠璃の方は状況を掻き回して面白がっているだけだ。こ、この悪戯好きの軍師めっ。

 俺は怒れる張家の御姫様に仕方なく弁明を試みた。


「あ~……俺の意思じゃ」

「来ましたね、お邪魔虫さんっ! 隻影様と私の間を引き裂こうとするなんて……少しは、空気を読んでくださいっ‼ 瑠璃さんもそう思いますよね? ねっ!」


 言い終える前に明鈴が食って掛かる。

 ……おや? こいつは好機なんじゃないか??


「聞き捨てなりません。……誰と誰の仲ですか?」「私を巻き込まないでよ」


 案の定、白玲が明鈴の挑発にのり、瑠璃の取り合いが始まった。しめしめ。

 気配を殺して、三人娘の傍を離れると「――隻影様、隻影様」静さんが木箱の陰から声をかけてくれた。気が利くお姉さんだ!


「隻影様、明鈴御嬢様の御世話ありがとうございました。今朝方は随分と沈んでおられたのですが……大丈夫そうです」


 そそくさと隠れると、黒髪の従者さんに御礼を言われてしまった。慌てて返礼する。


「あ、頭を上げてください。お安い御用……とは言い切れませんが、明鈴と静さんには、この数ヶ月助けられました。礼を言うのは俺達の方ですよ。有難うございました」


 どういう経緯で明鈴の従者になったかは聞いていないが、この異国生まれの美女は広範な知識を持っていて、しばしば悩む俺や白玲、瑠璃に幾度も助言をくれた。

 お互いに頭を上げ「「……ふふ」」と笑いあう。

 そんな中、白玲と明鈴は依然として口喧嘩中。仲が良いのか悪いのか。

 銀髪の美少女がジト目。


「まったく、人前で抱き着くなんて少しは慎みを持ってください。何度言えば理解を?」

「あらあらぁ? 今の言い方だと、人前じゃなければ隻影様に抱き着くのは良い、ってことになりませんかぁ? ……うふふ~♪ 張家の御姫様もようやく、状況を理解されたようですねっ! 私と隻影様が夫婦になったら貴女は義妹になるわけですし、むぐっ」


 調子に乗った年上少女の口を白玲が手で覆う。

 そして、木箱の陰にいて見えない筈の俺へ拗ねた視線。……いや、どうしろと。

 沈黙していると、白玲がわざと大声で言い放つ。


「……黙ってください。ここ数日『臨京に帰りたくないんです』と夜になる度、私と瑠璃さんに泣きついてきたことを、隻影に全部バラしますよ!」

「むぐっ~⁉」「そんな大声で喋ったら筒抜けなんじゃない?」


 明鈴の頬は真っ赤に染まり、瑠璃が呆れながら帽子を被り直した。

 拘束から抜け出し、勇敢にも白玲へ挑みかかる自らの主へ慈愛の目線を向けつつ、静さんが零される。


「明鈴御嬢様は幼き頃から才を内外に示されました。結果、同年代の御友人は皆無でございましたが」


 黒髪の美女が居ずまいを正された。黒真珠のような目を俺と合わせる。

 そこにあるのは強い危惧。


「この地に来て以降は毎日大変楽しそうに過ごされておられました。従者として、これ程の喜びはございません。――……隻影様」

「分かっています。白玲と瑠璃を死なせやしません」


 戦況は七年前、【玄】の前皇帝が南進を試みた時よりもずっと悪い。

 愚かな副宰相の我欲と、功を焦った禁軍元帥によって引き起こされた西冬侵攻の結果、軍は数多の将兵を喪った。

 今や、この国を守れるのは親父殿と都の老宰相だけだ。

 俺は【白星】と対になる腰の【黒星】に触れ、明鈴とじゃれ合う白玲と二人に巻き込まれている瑠璃を見つめる。

 ……俺が救えるのは精々あいつ等くらいだろうな。名前を呼ぶ。


「空燕、春燕。いるな?」

「「は、はいっ!」」


 旅支度を整えた異国出身の少年と少女がすぐに姿を現した。西冬侵攻戦前に軍へ志願した双子の義勇兵だ。歳は十三。

 俺の副将役を務めている庭破の話だと、軍内最年少らしいが……こうして見ても幼い。

 もしかしたら、もっと。

 何かに耐えきれなくなるも顔には出さず、緊張した面持ちの兄妹へ語り掛ける。


「庭破から話は聞いているな? お前達には明鈴と朝霞さんの護衛を頼みたい。先の戦を生き残り、それだけでなく、俺と白玲の騎馬に追随し矢を供給し続けてくれたお前達を手放すのは、正直言って心底痛いんだが……」

「あ……」「わ、若様……?」


 異国の地で健気に生きようとしている兄妹の肩を俺は叩いた。


「頼んだ。張家の大恩人に事あらば――そいつは恥だ。責任は重大だぞ?」

「は、はいっ!」「命に懸けてっ!」


 幼い二人は頬を紅潮させ、胸に手を押し付けた。

 前世の記憶が蘇る。

 ……こういう顔をした奴等は戦場で生き残れなかった。

 俺は大きく頭を振る。


「阿呆。死んだら仕舞いだ。生きて、生きて――生き延びて、己が責務を果たせ。季節が良くなったら明鈴のことだ、どうせこっちに来るさ。その時には便乗させてもらえ。よーし! 時間がないぞ。お前等も船に乗れっ」

「「はいっ! 張隻影様っ‼」」


 高揚を隠そうともせず、双子が船へと行進していく。

 前世も今世でも俺は神なんざ信じていないが……千年を生き、かつて盟友達と共に天下統一を約した『老桃』に祈る。

 どうか、あの双子が二度と戦場になぞ出ずとも生きていける世を。

 瞑目を終え、黒髪の美女に頼み込む。


「静さん、あいつ等をどうか……」

「分かっております。静に万事お任せください」

「ありがとうございます」


 分かっている。分かっているのだ。……こいつは偽善なのだろう。

 今回の船に乗れない女、子供も数多い。

 冬季期間中、張家は出来うる限り疎開を推し進めたが、北方の氷が融け【玄】の侵攻が始まってしまえばもう。

 ――けたたましい半鐘の音。出航時刻だ。

 手荷物を持った静さんが、拳をぶつけ合う白玲、明鈴、瑠璃を見つめられた後、口を開く。冷気を帯びた風が黒髪を靡かせた。


「隻影様、敢えて御言葉を繰り返させていただきます。人は生き延びてこそ、でございます。死んだら全て御破算。どうか、そのことを努々お忘れなきよう。私にも……同じような経験があるのです」


 おそらく、静さんの母国はもうないのだろう。俺がいざとなれば命を懸けるのを理解されている。


「御助言、肝に銘じて。地方文官になるまで死ねませんよ」

「ふふふ……夢とは儚いものでございます。御武運を」


 静さんは表情を崩されると、船へと向かって行く。

 ――武運、か。

 確かに必要だな。しかも、七曲山脈程の。

 入れ替わりで白玲がこっちにやって来た。

 当たり前のように俺の隣に立ち、【王】の旗がたなびく外輪船を見つめる。丁度、明鈴と静さんが合流し、双子が緊張した面持ちで挨拶しているのが見えた。瑠璃は船の近くで見送るようだ。


「はぁ、まったく明鈴ときたら……静さんと何を話されていたんですか?」

 口調には僅かな拗ね。俺が黒髪の従者さんと二人きりで会話していたことが気に食わなかったらしい。

 かと言って……話せる内容でもないので煙に巻く。


「人生において大事なことを、ちょっと、な」

「……ふ~ん。そうなんですね。その割には鼻の下が伸びてましたけど」

「うなっ⁉ お、お前なぁ」

「冗談です」

「…………」


 嫌な奴だ。張白玲はとっても嫌な奴だ。

 俺がお澄まし顔の幼馴染を横目で睨んでいると、再び半鐘が鳴った。

 船が小舟に引っ張られ、少しずつ動き始める。


「白玲」「隻影」


 同時に名前を呼び合い、頷き合う。

 駆け出し、


「瑠璃!」「瑠璃さんっ!」「え? ち、ちょっと、あんた達っ⁉」


 瑠璃の手を二人して取って、船に近づく。

 手や布を振る人々の中を掻き分けていると、静さんに抱えられ明鈴が顔を出した。

 目を真っ赤にして泣いている。

 すぐ俺達を見つけ、帽子を、ブンブンと振り回し、叫んだ。


「白玲さん! 瑠璃さん! 隻影様っ!!! また……また、敬陽でっ!!!!!」

「「「敬陽でっ!!!」」」


 俺達も叫び返し、歩みを止める。

 ちらりと二人の様子を確認すると、目元を拭っていた。

 一つの季節を共にし、白玲、明鈴、瑠璃は友情を育んでいたようだ。

 俺も前世の畏友、煌帝国【初代皇帝】飛暁明と【大丞相】王英風を思い出す。

 ……少しだけ羨ましい。あいつ等がここにいてくれたら。

 俺は妄想を振り払い、白玲達を促した。


「さて、と――俺達も屋敷へ戻ろうぜ。親父殿が戻られる前に、戦局と防衛態勢の現状について詳しく話を聞かせてくれ、百戦錬磨の軍師殿?」

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