第一章
見送り 上
「よーし! これで、船の積み荷は終わりだな。他に忘れ物はないか?」
俺――【栄】帝国
大陸を南北に貫く大運河沿いに築かれた、敬陽東部の停泊所には多くの人々が集まって会話を交わし、兵達が忙しなく動き回っている。
冬の間天候が悪かったこともあり、栄帝国首府『臨京』行きの船は久しぶりなのだ。
停泊している両舷に数個の輪が付いた外輪船を物珍しく思い、見学人が多いのもあるのだろう。今から三ヶ月前の惨憺たる敗戦――かつての友邦国【西冬】への侵攻失敗を受け、女、子供を最前線である敬陽から逃す機会を窺っていたのかもしれないが。
大河以北を支配する騎馬民族国家【玄】の脅威は、誰しもが感じているわけで……。
「む~。隻影様ぁ?」
「お、おお?」
そんなことを俺が考えていると、橙色基調の服を着た小柄な少女が不満も露わに詰め寄ってきた。帽子脇から覗く栗茶髪が逆立っている。
豊かな胸以外は子供にしか見えない年上の少女――臨京で急速に名を知られるようになってきている大商人、王家の跡取り娘である
「隻影様は天下で一番可愛い将来の妻と離れ離れになって、寂しくないんですかぁぁ⁉ 私は、とっても寂しくて……辛くて……今にも泣いてしまいそうなのにっ。嗚呼! こんなことなら、冬の間、敬陽に留まるんじゃなかった……ぐすんぐすん~」
「天下で一番可愛い……将来の妻…………?」
下手な泣き真似を無視し、わざとらしく問い返す。
この俺に求婚しがちな麒麟児様はもっと早く都へ帰る予定だったのが、天候不順と陣地用資材提供の監督を理由にして、約三ヶ月も居残ってくれていた。結果、敬陽の防衛態勢が飛躍的に進んだことには感謝している。この恩義は必ず返さねばならないだろう。
ま、目の前に駄々をこねている年上少女には内緒なんだが。
「う~! 疑問に思わないでくださいっ‼ ……もうっ」
俺の謝意に気付いていない明鈴は怒りながら腕を組んだ。
その後方を見やると、白黒基調の服装で異国の短刀を腰に提げた若い女性――明鈴の従者である静さんが『申し訳ありません』と両手を合わせてくれていた。結った長い黒髪が初春の陽光を反射して美しい。
……俺の黒髪なんて硬いだけだからなぁ。
鼻先に明鈴の人差し指が突き立てられた。背伸びをしているようだ。
「と・に・か・く、ですっ! 自分で言うのもなんですが……私は頑張りましたっ‼ 敬陽の防衛態勢を整える為、身を粉にして働き、隻影様に抱き着くのも一日三回までで我慢したんですよっ⁉ なのに……なのにぃぃ~」
「あ~……」
俺は年上少女が駄々をこねる様子に往生する。
取りあえず、三回は多い。絶対に多い。
結果……幼馴染の銀髪蒼眼を持つ御姫様は御機嫌よろしからず!
助言を求めた金髪翠眼の軍師様に到っては『あんたが悪いんでしょ?』の一言。酷い。
かといって、目の前でむくれる少女を軽く扱う気にもなれない。
千年前、煌帝国の時代にあって不敗を誇った大将軍『皇英峰』の朧気に残る記憶を思い返しても、我が儘言う身内にはとことん甘かった。
……俺の甘さは前世も今世も変わらずか。成長がねぇなぁ。
内心で苦笑しつつ、帽子に手を置く。
「うん、確かにお前は頑張ってくれた。感謝してる、有難う。特に……あ~、名前が出てこないな。ほら? 地面を掘る」
俺は道具の名前が出て来ず、両手を動かした。
自称仙娘な軍師殿の指示にて敬陽西方では現在、延々と防塁と壕造りが行われているのだが、従来の鋤や鍬ではとてもじゃないが対応しきれず……。
幾度か話し合いを行った後、明鈴が伝手を用いて大量に持ち込んだ異国の道具が導入され、作業が一気に進んだのだ。
何でも――遥か西方、大砂漠が広がる国で考案された代物らしい。
明鈴が目を瞬かせ、顎に指をつけ小首を傾げた。
「えーっと……
「そいつだっ! 俺も巡察の時に使ってみたんだが、あれは良いもんだな。兵達も『壕を掘るのも、土を積むのも、鋤や鍬より格段に楽です』と喜んでた。……今まで思いつかなかったのが恥ずかしくもあるが。本当に、王明鈴は必要な物を必要な時に届けてくれる、とんでもない才媛だと俺は思っている。感謝しても仕切れないっ! お前は凄い奴だっ‼」
本心なのですらすらと言葉出てくる。
明鈴の的確な資材提供がなければ、防衛工事は半分も終わらなかっただろう。
「えへ、えへへ~♪ そ、そんな風に褒められると、照れちゃい――……はっ! ふ、ふんだっ! そ、そんな風に褒められても、簡単に絆されたりなんかしませんっ! 私は安い女じゃ、くしゅん」
頬に両手をつけ、照れくさそうに身体を揺らしていた少女がくしゃみをした。
暦の上では春となり暖かい日も増えてきたがまだまだ冷える。
「そんな薄着でいるからだぞー? 船上だって風が吹くってのに」
「う~! そこは『大丈夫か、俺の可愛い明鈴?』と心配して――ふぇ?」
俺は羽織っていた外套を脱ぎ、少女の肩にかける。
何となく気恥ずかしくなり、目線を逸らし早口で説明。
「そいつを羽織ってけ。風邪でもひいたら、お前の御両親に申し訳が立たない」
複数の馬の嘶きの後、人々の歓声が聞こえてきた。あいつ等、出航に間に合ったか。
俺が少しホッとしていると、明鈴が外套の襟を掴んではにかんだ。
「――……はい。えへへ♪ 隻影様ぁ~☆」
「うおっ」
胸に飛び込んできた少女を受け止める。
ま、まずい。こんな所をあいつに見られたら……。
俺の危惧に気付かず、明鈴は大きな瞳を輝かせた。
「やっぱり、私の旦那様は隻影様しかいません! この外套、宝物にしますね?」
これ、本気で言っているのだ。
外套なんて軍用の量産品だってのに。頬を掻く。
「お前なぁ……お、来たみたいだな」
「むむむっ!」
人々の歓声が大きくなり、敬陽西方で作業を監督していた二人の美少女が歩いて来る。
一人は緋色の紐で長い銀髪を結い、蒼の双眸には刃の如き鋭さ。俺とお揃いの外套を羽織っていて、腰に提げているのは【天剣】と称される【白星】だ。
【護国】張泰嵐の一人娘、
もう一人は、栄でも滅多に見ない金髪を青の髪紐で結い、左目が前髪で隠れている少女――軍師の
二人は俺達の傍までやって来ると、白玲が腕組みをしてギロリ、と睨んできた。
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