策謀と暗雲
真夜中の堂を私――大陸の歴史を裏から操る秘密組織『
寒々とした巨大な空間に見えるのは龍と鳳凰が彫り込まれた石柱と、判官達の座る座。
此処は裁判府。
今まで数多の者達を断罪してきた裁いてきた場所なのだ。
空気が皇宮の他の場所よりも冷たく感じられるのは、それもあって――。
「…………」
私は足を止め、中央に鎮座している象徴的な漆黒の巨岩を見上げた、
何時見ても信じ難い程の大きさだ。この世の物とは思えぬ。
――栄の連中の呼び名は、
「【
「! これは……
石柱の陰から狐面を被り、ボロボロな外套を頭から羽織った狐面の人物が姿を現した。慌てて片膝をつく。
……一切の気配を感じなかった。
責を果たさなければ『何時でも私を殺せる』ということか。頬を冷や汗が伝っていく。
老齢の長に代わって、七年前より実戦の場で総指揮を執られる謎多き仙娘――蓮様が岩を触れられた。腰に提げられている異国の刀が音を立てる。
「古に編まれた【斉書】にも記されている大陸有数の巨岩。北方を喪いし栄の偽帝が寒村に過ぎなかったこの地で即位した際、権威付けに利用したと聞いている――『天の化身たる龍が栄を守護している証』だとな。皇宮を建築する際もわざわざ残し、この前で数多の罪人達を裁いてきたと聞く。そのせいか、夜となれば警備の兵すら近づかぬ。無論――何の裏付けもない。北方『老桃』の地にてかの皇英峰が【天剣】で同種の物を斬ったというが……真ではなかろう」
声を発することが出来ない。
所詮、私は栄が大河以北を喪った後、組織に加わった一族出身。
組織に与えられた名である『田租』は鼠という意味を持つ。狐には……しかも、大妖の狐に従わなければ喰われるのみ。逆らう気すら起きない。
蓮様が振り向かれると、外套下の銀髪が微かに覗いた。
「同時に、どの地に、どの国に生きていようとも……人は存外に信じ易い。人の手では到底動かせず、砕くことも、まして斬ることも出来ぬ巨岩に畏怖を感じるのも分からぬでもない。――首尾は? 徐家の幼鳥は使い物になりそうか?」
「相当揺らいでおります。左程時間はかからぬものと」
「……そうか」
仙娘の整った唇が歪み、寂寥が滲んだ。
恐るべき【玄】皇帝アダイ・ダダの計略に絡めとられた、徐飛鷹を憐れんでおられるのだろう。
「冬が去り次第――北の【白鬼】は南征を再開する。先の戦で栄の猛将、勇将は粗方狩られた。残る障害は『敬陽』の張泰嵐。そして――」
小さな手が腰に伸び、蓮様は刀の柄に触れられた。
「老いし楊文祥。今頃は、徐家と宇家を追い詰めた小心な皇帝を責め立てていよう。先の侵攻戦の惨敗後、都の住民達が実しやかに囁き続けている『副宰相と禁軍元帥も馬鹿だが、許可を出した皇帝はもっと馬鹿だ!』を、寵姫から耳に入れさせただけでこうなるとは。時に働き者の善人は、怠け者の悪人よりも有害となるようだな」
「……はっ」
栄の【三将】は最早揃わず。
敬陽を救援出来る軍も都になく、徐家と宇家を罰したことで離反も起きよう。
この国はもう詰んでいるのだ。英雄【張護国】も戦局を覆せはしまい。
蓮様が朱塗りの鞘から、波紋が美しい異国の短刀が引き抜かれ、私の首筋に当てられた。
「田租、お前を愚かで醜い林忠道の下へ送り込んだは、このような事態になるのを長が見越しておられたからだ。先の戦ではハショが調子にのり、『灰狼』を殺してしまった。此処で成功すれば栄達は約束されている。……同時に失敗すれば」
冷たい刃の感触を意図的に無視し、私は決意を固める。
奴が【西冬】を操るのならば、私は【栄】を操ってみせる。
自らの才に溺れ、いけ好かない紛い物の軍師に目にもの見せてくれんっ。
「誓って――徐の幼鳥を堕として御覧にいれます」
「期待している」
優美――そうとしか言えない動作で、蓮様は短刀を鞘へと納められた。
そして、軽やかに跳躍されると柱を蹴り瞬く間に堂の入口へ。人間業ではない。
「ああ、もう一点伝え忘れていた」
蓮様は地面に音もなく着地すると、肩越しに振り向かれた。
――月光が仙娘を包み込む。
「張泰嵐の娘と息子について情報を集めておけ。奴等は『赤狼』と『灰狼』を、玄の誇る二頭の『狼』を斃した。必ずや次の戦場において、張泰嵐と共に【白鬼】の前に立ち塞がろう。アダイは厄介だが……天下の統一を果たしてもらうまで、死んでもらうわけにはいかぬ」
*
「陛下……お尋ね致します。何故、死した【鳳翼】と【虎牙】の名誉を辱め、それだけに飽き足らず徐飛鷹までも獄に入れられたのですか? しかも、臣が大運河の船上にて張泰嵐と会談している間とはっ! 承服致しかねます」
皇宮最奥。皇帝陛下の寝所。
本来ならば男子禁制の場で、私――栄帝国宰相、楊文祥は主を問い詰めた。都に戻ったばかりで疲労を覚えているが、それどこではない。
燭台越しに顔を蒼褪めさせ、寝間着を纏われた陛下が言い訳を零される。
「ぶ、文祥、そう怒るな。信賞の必罰は世の常ではないか。内々に忠道から進言はあったが……北雀の話も聞いた。会戦に敗北したのは徐家軍と宇家軍なのだぞ?」
その場で頭の白髪を掻きむしりたくなるのを必死に堪える。
外戚と寵臣の言をここまで鵜呑みにされるとは……敗戦の報が堪えていらっしゃるのか。
「……信賞必罰は確かにその通りであります」
「ならば」「然りながらっ」
大声で遮り、幼い頃より我が子以上の情を注いで育ててきた陛下と目を合わせる。 瞳は動揺で激しく揺れ、定まっていない。
「此度は筋が通っておりませぬ。【西冬】侵攻が無惨に失敗したことと、死した両将と徐秀鳳の遺児に何の罪がありましょうや? 何を確認されたかは分かりかねますが……罰せられるは、決戦場で指揮を執らず臨京まで一目散に逃げ帰った林忠道と、無謀な突撃により禁軍の潰走を招いた挙句、多くの部下を死なせたにも拘わらず、生きて還って来た黄北雀でありますっ! 忠道が直卒した禁軍がある程度帰還したは決戦に参加しなかった部隊が一切戦わず、撤退したからに過ぎませぬ。このこと、会談を致しました張泰嵐からも再度確認を取っております」
「…………」
陛下は秀麗な顔を背け、ばつが悪そうにされた。
身体を寄せ容赦なく畳みかける。
「蘭陽の戦と苛烈な追撃を戦い、『亡狼峡』での戦にて『灰狼』を討った張家軍内に徐秀鳳と宇常虎を貶す声は皆無とのことです。徐飛鷹は撤退戦において【黒刃】なる玄の恐るべき猛将と交戦、一敗地に塗れましたが、よく残存の徐家軍を纏め、南陽へと帰還を果たしております。獄へ入れるなぞ……正気の沙汰ではありません。両将の死を理由に、両家の持つ権益の一部剥奪も離反を招くだけですっ! 事実、宇家は召喚に応じておりません」
「……そ、それはそうかもしれぬが」
主はもごもごと口籠られる。
大方、副宰相家出身の寵姫から甘言を吹き込まれ、良かれと思い行動されてしまったのであろう。……だが、此度ばかりは。
静かに現実を教授する。
「無論、責任の一端はこの老人にもありましょう。なれど、民の口を閉ざすことは能いませぬ。『皇帝は悪臣に心を寄せ、忠臣を罰することに熱中している』――臨京ではこのような噂が既に流布しております。早晩、国全体に陛下の悪評が伝わるは必定かと」
陛下の蒼い顔が更に蒼くなり、身体を震わされた。
縋るように私へ尋ねられる。
「ぶ、文祥、余は……余はどうすれば良い?」
「……召喚状に真印を捺されたしまった以上、処罰を覆すのは昨日の今日で大変難しゅうございます。すぐに対処すれば、より一層民の反撥を買いましょう」
心の内で決戦場に散った徐秀鳳と宇常虎に詫びる。
……許せ。貴殿等の名誉回復は時間がかかるやもしれぬ。
すっかり皺だらけになってしまった手を心の臓に押し付ける。
「陛下、このことは老人にお任せ下さいませ。悪いようには致しませぬ」
「…………頼む」
深々と主は臣に頭を下げてくださった。
この御方は悪人ではない。ならば――私が導いていける筈だ。
老いた身を奮い立たせ、報告を続行しようと預かってきた書簡を取り出す。
ここからが本題なのだ。
対応を誤れば……亡国に到るかもしれぬ程の。
「次に張泰嵐との会談内容についてでございます。北方に大きな動きがございます。彼奴等は雪解けを待ち、大河を渡って再侵攻――」
「陛下――今宵も羽兎が参りました。戸を開けても、よろしいでしょうか?」
部屋の外から艶やかな若い女の声がした。
かかる国家の大事だというのにっ!
私は一喝しようと目線を向け――白い手に阻まれた。明らかにホッとした様子の陛下を見て愕然とする。
「今宵はもう夜も更けた。文祥、細かい話は明日の廟堂で聞く。……お前ももう休め」
「…………御意」
やんぬるかな。
このように命じられてしまえば、臣の立場として何をどうこう出来はしない。
重い身体を起こし、頭を下げ退室。
すると、絶世の美を持つ寵姫――副宰相の養女だという
戸が閉まるや否や、寒々しいやり取りが聴こえてくる。
「おお……羽兎、羽兎」
「陛下、陽が登りし時からずっとお会いしとうございました……嗚呼、月がずっと昇ったままであれば良いのに……」
よろよろと廊下の柱に手をつく。心臓が痛み、立っているだけで老いた身には堪える。
【双星】の輝く暗き北天を睨み、吐き出す。
「またしても……【張護国】に頼らざるをえん、か。【鳳翼】と【虎牙】が生きて帰ってくれていたのならば。いや、たとえそうであったとしても……この国はもう」
私の呟きは深い闇に消え失せ、ただただ陛下と寵姫の睦言だけが残った。
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