夜話

「では、隻影殿! 戦場話、真に有難うございましたっ‼ 山桃の酒も大変美味でした。今宵はこれで失礼致します!!!」

「……ああ、また明日な」

 

 仰々しい挨拶に苦笑しながら、俺と色違いの寝間着を着こんだ徐飛鷹を見送る。

 廊下を意気揚々と部屋へ戻って行く十六歳の美青年は幾度か振り返り、何度も頭を下げ、やがて見えなくなった。あいつ、後ろ姿も絵になるな。

 一人きりになった俺は自室で身体を伸ばした。


「ふひぃ~」


 話をするのは嫌いじゃないが……流石に疲れた。入浴中もずっと聞いてきたし。

 今頃、親父殿と徐将軍は酒盛りでもしているんだろうか。

 花瓶に活けられた花をぼんやりと眺めていると、薄桃色の寝間着に着替え髪をおろした白玲が、さも当然であるかのように部屋へ入って来た。【白星】を抱えている。


「――来ました」

「ん? おお~」


 気怠げに返す。

 俺と白玲は十三歳まで同じ部屋で過ごしていた。その名残で、夜話をするのが習慣になっているのだ。

 机上に置かれていた舶来品の硝子瓶や碗へジト目を向け、寝台に荒々しく座った白玲が詰ってきた。


「……随分と楽しそうに徐家の長子殿と話をしていたようですね。私が頼んでも呑ませてくれない山桃のお酒まで出すなんて……」

「お前に酒はまだ早い! この前、酔っぱらったのを忘れたのかっ‼ あと、飛鷹は幼馴染なんだろ? 呼び方が他人行儀じゃねぇか?」

「……小さい頃の話で殆ど覚えていませんし、『幼馴染』と言われても困ります」


 髪をおろした白玲は幼さを前面に出し、剣を脇机に立てかけ、身体を倒した。

 ……困ったお嬢様だ。

 硝子の杯を棚からもう一つ取り出し薬缶から水を入れていると、夜具に潜り込んだ少女が俺の名前を呼ぶ。


「隻影」

「ん~?」


 水を注ぎ終え、振り返る。

 白玲は口元

を隠して、俺へ綺麗な蒼眼を向けていた。


「今回の件、貴方はどう思っているんですか?」

「昼間説明したろ? あとは、お前と同じだよ」

「……むぅ~」


 上半身を起こし、子供のように頬を膨らませた少女が不満を表す。

 俺から硝子杯を両手で受け取り、ぶつぶつと零した。


「そうやって……すぐはぐらかすんですから。偶にはきちんと言葉にして下さい。海よりも心の広い私だって限度というものがあるんですよ?」

「海よりも広い……? そんな、張雪姫を俺は知らない――待てっ! 枕を投げようとすんなっ! 酒瓶が倒れるだろうがっ‼」

「……ふんだっ」


 片手で枕を手にした『雪姫』という幼名の少女を窘める。

 俺は近くの椅子に腰かけ足を組み、深い溜め息を吐いた。


「はぁ……御姫様はこれだから」

「貴方のせいです。で、どうなんですか?」


 ……もう少し酒を呑むべきだったかもしれない。

 素面で向き合うには、少しばかり過酷な現実だ。


「まぁ――……臨京で、戦じゃなく自分達の権力勢力争いに血眼を上げている連中が

思っている程、楽な戦じゃないだろうな」


 徐将軍の話によると、今回の侵攻作戦を発案したのは林忠道副宰相らしい。

 以前、明鈴が話していた宮中の力関係を鑑みるに、目的は政敵である老宰相に取って替わることだろう。……最悪だっ。

 硝子杯を動かすと、中身の水が揺れる。


「四つ牙象を模したでっかい投石器はお前も見ただろ? 俺達が攻めるのは、ああいう代物を作っ

た連中の本国だ。油断すれば絶対に痛い目を見る」

 『赤狼』が持ち込んだ、西冬製の投石器は敬陽に大きな被害を与えた。

 あんな代物が戦場で大量に使われたら……。


「ええ。しかも、そこに【玄】の軍も加わるでしょうしね」

「『今はいない』――あいつ等は一度ならず二度、七曲山脈を大軍で越えて来てるんだぞ? 馬鹿じゃない限り待ち構えてるだろうさ」


 昼間、教えてもらった作戦の前提『西冬国内に玄軍の姿無し』。

 ……馬鹿馬鹿しい。

 下手すると、副宰相が奴等の『鼠』なんじゃないのか?

 水を飲み干し、俺は脇机に碗を置いた。


「俺が知る限り、徐将軍は生涯不敗の勇将だ。が……中央でふんぞり返ってた副宰相様が出張って来て勝てるなら、親父殿は此処まで苦労してない。敵に呑まれるのも危険だが、敵を侮るのはもっとヤバい。――と、いうわけだから、お前は敬陽で留守番をだな」

「三度目です。部隊編成は庭破に命じました。父上ろ礼厳から許可はいただいています」

「なっ⁉」


 俺は口をあんぐりと開けた。

 い、何時の間に……。しかも、大河の『白鳳城』に詰めている爺もかよっ⁉

 白玲は寝台から降り、【白星】を手にして胸に抱えると宣言。


「私が貴方の背中を守ります。だから――貴方は私の背中を守って下さいね?」


 月光と星灯りが降り注ぎ、世界で一番美しい銀髪と蒼眼を輝かせた。

 ……こんな幸せそうな顔をされたら咎められない。

 頬杖をつき、首を振る。


「……どうして、好き好んでおっそろしい戦場に行きたがるんだが。飛鷹もそうだが、お前もちょっと変だぞ? 地方文官を志望し、平和を愛する俺を少しは見習ってだな」

「ただ、その前に解決しておかなければならない問題が一つあるんです」

「おーい。話を聞けよー」

 白玲は俺の忠告を無視し、深刻そうに零した。

 先程までの様子は一変し、視線を彷徨わせ【白星】をぎゅっと抱きしめる。

「隻影……あの、ですね…………」

「うん? どうした??」


 席を立って幼馴染の少女へ近づき、顔を覗き込む。珍しく逡巡しているようだ。

 辛抱強く答えを待っていると、白玲は意を決した様子で口を開いた。


「実は――……剣が抜けないんです」

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