29.(幕間)懐旧/暗影

 ぼんやりと一人の少年が、石橋の片隅に座って水面を見つめている。


 そこには、灰色の耳と尻尾を付けたみすぼらしい獣人の子供が一人。


 足をぷらぷらと揺らし、つまらなそうに冷めた視線を返すその顔は、子供らしい表情とは無縁だ。


「いけね、帰んないと……」


 自分の言葉にククルは苦笑した。

そうか、あの宿は、もう自分の中で帰る場所になりかけているのか。


 エイスケという男にククルが拾われて、もうすぐ一月位は経つのかもしれない。

だがその間、あまりククルは彼とは顔を合わしていない。

いつも仕事であちこちを忙しく動き回っているようだ。


 おかげで兄弟の世話は、もっぱらルピルという娘が任されている。

彼女は、妹のミィアと共に、まるで自分の兄弟であるかのように二人を扱ってくれている。

戸惑う事も多いが、あの宿のドーリー親子とエイスケに、ククルは感謝している……感謝はしているのだが、それとは別に割り切れない気持ちがあるのもまた、事実だ。


(ったく……拾っておいてさ、勝手だよ……)


 八つ当たりのように、ククルは目の前の石をコンと蹴り飛ばした。

それは水面に波紋を広げて沈んでゆく。


(俺なんて、小石みたいだよな……あったって無くたって、誰も気づいてない、きっと……)


 周囲の喧騒けんそうがひどく遠く感じられる。

時々こうして、視界がしらけて、色を失くす。

ひょっとして、自分はここにいないんじゃないかってそんな風に思えて来る。


(このままいなくなったって、きっと、誰も気づかない……誰も)


 ククルはしゃがんで、顔を埋めた。

きっとそれでも妹だけは、待ってくれているだろう……こんな顔、見せてはいけない。

心配を掛けてはいけないし、掛けたくない……けれど。

妹の存在が、大事だけれども、とても重たかった。


「――クル、おい……聞いているか?」

「あ……?」


 振り返るとそこには何故か、あの男が立っている。


「ぼうっとしてどうした。ルピルに姿が見えないから探してくれって見に来たんだが……」


(何だよ、こんな時だけ……)


 ククルは、自分が情けない顔をしていないかがつい気になって、ぐっと下唇を噛むようにして気合を入れる。


「別に……ちょっとサボってただけだ」

「そうか……よっと」


 座って休んでいたのだと、誤魔化すように背を伸ばしていると、彼の隣で、おもむろにエイスケが投げた石が水面を何度も跳ねていく。

ククルはびっくりして、目を丸くした。


「何だ? それ……」

「水切りって言ってな。子供の頃よく遊んだんだ。平たい石をうまく持って回転させながら投げると、何度も跳ねるんだ」


 何となく、見よう見まねでククルもやって見るが、石は一回だけ跳ねてすぐに沈んでしまう。


 かたやエイスケの投げたものは、五度か六度跳ねて、向こう岸まで届きかけた。


 何となく負けたようで、悔しくなって何度か投げて見たものの、せいぜい二回くらいしか跳ねてはくれない。


「くそっ……」

「そうじゃなくて、こう、手首のスナップを効かせて。石もこういう、あまり偏りのない丸いのを選ぶんだ」


 彼が手渡してくれたものは、ククルと同じ灰色をした、まんまるい石。

それを、ククルは言われた通り手首を捻る様にして投げた。


 それは綺麗に水面を削ると、長い距離を綺麗に飛んで行く。

そして、水面に映る夕陽の中に吸い込まれるように消えた。


「あ……やった」

「上手いじゃないか……」


 ククルは思わず、彼の顔を見上げてしまった。

そこにあったのは、いつもと変わらない、堅い顔だ。

でも少しだけ、いつもよりは楽しそうに見えた。


 なんとなくほっとしたような、恥ずかしいような気分になってククルは目を背けて言った。


「……そろそろ帰る」

「そうだな、また今度にするか」

(また今度……かぁ)


 その言葉に何かとても懐かしい感じがして、無言でうなずくとククルは鼻をこすった。

夕陽が照らしていている内に、妹に見られないうちに顔を元に戻そうと、ククルは大きく、深く息を吸うのだった。 


 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □


 国内有数の大都市たるフェロンに存在する冒険者ギルド総本部。


 日夜、千を超える職員が働くこの建物内には、日々活気が絶えることは無く、喜怒哀楽を共有する彼らの部下たちは、まさに国の宝であり、引いてはこの男の宝であるに等しかった。


 忙しなく働く職員からの挨拶を返しながら男は、満足した様子で執務室へと歩を進める。

 

 突き従う妙齢の女性が扉に手を掛け、開けてくれるのに礼を言いながら、男は部屋に入ると、仕立ての良い焦茶色の上着を肩から外した。

首元のタイを緩め、男は硬くなった首を音を鳴らして回す。


「お預かりいたします」

「いつも済まない……ふう、この格好だけはどうもね……肩が凝る」

「立場上仕方の無いことです、お体をほぐしましょうか?」

「いや、遠慮しておこう……」


 男は、一度だけそれを任せた時のことを頭に浮かべ、首を大きく振った。


 この目の前に立つ女性は、どんな仕事も的確にこなし、護衛としての腕も一流だが……どうやら守備範囲というものがあるらしく、それ以外の事はには恐ろしく向いていないようであった。


(あの時は、肩を引きちぎられるかと思ったな……)


 その時のことを思い、余計に肩が痛むのを感じた壮年の男は執務室の自分の席に腰を沈めると、ゆっくりと首元をさする。


 目の前には未決済の書類が山積しており、浮かない顔をしながら黒髪を撫でつけると、一番上に積まれた便箋びんせんを手に取った。


「学士の館から……それもマルティーニ老師直々の書簡ではないか……珍しい」


 書類を一読する間に、用意して来た珈琲を音も立てずに机の脇に置き、秘書の女性が眼鏡の縁を押し上げた。


「どうぞ……。学士の館の館長直々に……調査依頼ですか?」


 つい呟いた独り言を聞いていたのを揶揄やゆするつもりは無い程度には、彼はこの有能な秘書に信頼を置いていたので、書簡を広げて見せる。


「ああ、ありがとう……どうも、館で管理している遺跡等の状態を調査し、護衛して欲しいということらしいんだが……複数の遺跡で破壊行為が行われているのが報告に上がってきたそうだ」

「ですが、遺跡は全て、魔法装置による保護が厳重に行われているはずなのでは? それを易々と……国軍の高級魔導官並の使い手が複数人以上いなければ、不可能かと思われますが」

「単なる愉快犯ではない、ということだろうな。相応の戦力を擁し、何らかの目的を持って行っている可能性が高い」


 男は少し寂しくなってきた額を押さえた。


 ギルドでは今、各地で大量発生している魔物の対応で右往左往しているのというのに、その上各地に散らばる数千にも及ぶ遺跡のようすを調べてこいというのだろうか。


(いや……流石にそんな無茶が通らないことは分かっているはずだ……)


 書類の続きを見ると、遺跡の情報と共に、後日人を派遣する旨記載されている。

同封されていた地図によると、冒険者ギルドへの依頼分は国土の三分の一程度の範囲に限られていた。


「国軍に対応して貰う訳には行かないのですか?」

「いや、既に要請は行っているのだろう。国内の外縁部がごっそり除かれている。我々に依頼が来ているのは比較的中心地に近い部分だけだ」


 だが、それでも百やそこらはあるのだ。

しかも、害意を持った何者かとの戦闘が想定されるというおまけ付きで。

仕方なく、男は決断を下す。


「案件処理班に一任する。総長に詳細を通達し、中級上位もしくは上級冒険者資格を持つ班員を持って遺跡の護衛に当たるよう厳命してくれ、あと……」

 

 男はさらさらと一筆したためた。

その署名欄には、《冒険者ギルド総帥 ウォーカー・レイバート》とある。   

書き上げて判を押す前に少し思案して、男の腕が止まる。


(これらが意図的に起こされているので有れば、何者かの策に嵌まっている可能性は? いや、事の輪郭りんかくも掴めない状態で憶測するのは危険か……)


無駄な考えを止めて、便箋に蜜蝋で封をしたものを渡す。


「これは館のマルティーニ老師へ」

「……承知いたしました」


女性が、黒い長髪を前に垂らして恭しく頭を下げた。


 女性が退室した後、ウォーカーという男は、眉を八の字に歪めて首をさする。

どうも癖になって来たこの仕草に、体の衰えを自覚しながら男は国都のある方向に顔を向ける。


(はあ、こんな立場ではきな臭い事柄を欠くことは無いが、今回のは特別だな。国軍から何の通達も無いのが不気味なほどだ……今のうちにこちらから渡りをつけておくべきかもしれんな。だが、今はまだ……)


 いざとなれば放り出すつもりではいるが、取り合えずは、眼前の書類の山を少しでも崩していこうと、彼はすっかり冷め切った珈琲を口に含んだ。

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