30.リシテル国の受難

 フェロン冒険者ギルドの、裏手の職員通用口から入って右に曲がり、突き当たりに面した一室。

その中ので仕切られた応接間に、オルベウ・レイドは緊張の面持ちで座っていた。


 そして、対面に座る白い総髪の男が、岩のような顔を崩さず視線だけを彼に寄こした。


 グライエル・セルベンシュティットーーこの男が現在、案件処理班の総長を務めている。

噂では、フェロンから南東にある、国都を守る侯爵家の血筋を引く人物だと聞いたことがあるが、事実であるなら何故こんな血生臭い仕事を務めているのか……。


 礼服を身に纏ってはいたが、鉄が真芯ましんに入ったかのようなその背筋は、男の仕事場が机上で無いことを示している。

射抜くような鋭い眼光にたまらず、オルベウは腹をさすった。


(頼むから、何とか言ってくれよ……いや、言われるのも怖えが)


「オルベウ・レイド班員、調査報告は聞いた……彼らへの監視の任は解くこととする。……いや、解かざるを得なくなったと言った方が良いかも知れんな」

「は、はあ……」


 少し予想外の言葉にオルベウは口を開けそうになったが、上司の前で間抜け面をさらすわけには行かないので、それを押し止めた。


 解かざるを得ない……何か外部からの圧力がかかったのだろうか?

いや、彼らに身寄りや伝手が無いことは明白だろう……だから冒険者などしているのだ。

なら、何か他に……。


 思案する彼が結論を出すと同時に、グライエルが理由を述べた。


「他に優先すべき事柄が出来た、ということだ……国内の遺跡を荒らしまわっている者達がいる。ギルド総帥からの厳命が下されたのだ……国軍だけでは手が足らぬということでな」


 オルベウは面には出さなかったが、内心で疑問に思う。

たかが古代人の残した石くれでは無いのか……それをわざわざ、この逼迫ひっぱくした状況下で厳命までするその理由を、彼はどうしても思い付くことが出来ない。

何も言わないオルベウに、言外で困惑の意思を感じ取ったのか、総髪の男は言葉を続けようとした。


 そこへ、扉を鳴らし入室の意思を示すものが現れる。

気遣って立とうとしたオルベウを手で制すと、グライエルは扉を開けた。


「失礼いたします、総長。お客様をお連れいたしました」

「ご苦労……入ってくれたまえ」


 見覚えのある班員の女性が、一礼をしてその場から離れるのに頭を下げ、

次いで入室して来たのは若い女性である。


 思わずオルベウはその女に目を奪われた。

仕立ての良いローブをドレスのように優雅に着こなす褐色のその肢体は、覆われた衣服の下からでもわかるようになまめかしく、その上には彫りの深く、されど、きつさは感じさせない調和のとれた顔立ちがある。


 腰まで延びたその銀色の髪は、月に照らされた清流のように静かな輝きを放っていた。


 人ならぬことを示すその三角の耳と腰に巻き付けた尻尾も、まるで特別にあつらえた装飾品を身に着けたように、微塵の違和感も感じられない。


 その女は、儀礼にのっとり、ローブの裾を軽くつまみ艶やかに微笑んで見せた。


「お初にお目にかかります。私、学士の館で教導官を務めております、ファルイエ・ロトシルタと申します……失礼でなければ、お名前をお聞かせ願えますか?」

「私は冒険者ギルド、案件処理班の総長を務めております。グライエル・セルベンシュティット申す者。そちらの若者は……」


 促すグライエルの視線に慌てて立ち上がり、オルベウは腰を折る。


「……班員のオルベウ・レイドと申します。何とぞよろしく……」

「こちらこそ……」


 ファルイエという女は、その繊手せんしゅを差し出し二人と握手を交わす。


 だがその時、女の濃い灰色の瞳に心の奥を覗かれているような気がして、オルベウは、彼女に対する認識を改めた。


(こいつは……深入りすると危険な類の女だろうな、怖い怖い)


 グライエルは、ファルイエをオルベウの対面へと座らせ、ややもすると愚痴にも聞こえそうな賛辞を贈る。


「さあどうぞこちらへ……その年齢で教導官を務められているとは。ファルイエ殿のように優秀な人材を我々も欲していますが、中々後進が育たず頭を抱えております」

「お褒めいただき恐縮ですわ。私共と違い、日々危険な業務に従事されているのですから、若く才のある方々が命を散らす事も多いのではないかとお見受けいたします。残念なことですわね……」


 程無く先程の班員が茶を淹れて入室するまで世間話を続ける二人の様子を、まるで化け物に挟まれたかのように身をすくめて伺うオルベウは、自分の前に茶が置かれてほっとした。

これで少しは間を潰すことが出来そうだ。


 そう思って、紅茶のカップを持ち上げようとしたところで、グライエル総長はおもむろに立ち上がった。


「申し訳ありませんが、別件が控えておりまして……レイド班員、変更された任務の内容は、要地にある遺跡の護衛及び、主犯格の確保だ。詳細はロトシルタ殿から説明していただくように。それでは……失礼する」


 腰を深く折り、格式ばった礼をして男が去って行くのを、二人も立ち上がって見送り、その後で顔を見合わせた。

途端に彼女がくすりと笑い、座席を指し示す。


「さあ、お座りになって。私ああいった堅苦しい御方は苦手なの。オルベウとお呼びしてよろしい? 私も名前で呼んでもらって構わないわ」

「ああ、共に仕事をこなすことになるなら、その方が話が早いだろう……まずは内容を聞かせてもらいたい。聞いた話だけでは納得できないからな」

「ええ、まずは経緯の説明から。学士は日々定期的に遺跡の巡回作業を行っているのだけれど、その中のいくつかで、破壊行為が行われていたという報告がここ数週間の間に相次いでいるの。これまでには無かったことよ……何しろ古代遺跡は私達の生まれる前から厳重に魔法装置によって守られて来た。その管理を代々受け継いできて残ったのが、学士の館のような各国に存在する組織なのだけど……この話は少し置いておくわね」


 彼女は物憂げな視線を卓上に向けると、薄くクリーム色に変わった紅茶が渦を作るのを見ながら、カップに口を付け、離す。


「遺跡の破壊などという行為、劣化している物もあるとはいえ、普通の人間にできることでは無いの。国に仕えるレベルの魔法使いや、強い力を持った魔剣でも無ければ行えないことだわ……それが複数個所で同時に為された。どう、怖いと思わないかしら?」

「そりゃ、そんな奴らとは顔も合わせたくないね……だが、それがどうだと? そりゃ道義的に問題はあるかも知らんが、人的被害が無いのであればこちらの身を危険にさらしてまで捕まえる意義はあるのか?」


 いかに歴史的価値のある建造物だと言えど、そこまで危険が想定されるのであれば、国軍に任せておけばいい。専門の追跡部隊シーカーだってあるはずなのだ。


 オルベウとて、処理班に所属する見返りが無ければ、即座に脱退してでも断っている。

ひとえに彼が処理班にこだわるのは、昇級にかなりの便宜を図ってもらえるからであった。

そのおかげで彼は何とか上級冒険者に手が届きかけているのだ……今更脱退するのは御免被りたい。


 だが、残念なことに女の表情は揺るがず、それに対しての明確な答えがあることを示している。

オルベウは思わず耳を塞いでしまいたい気持ちに駆られた。


「それがあるのよ……こんな話を聞いたことはないかしら? 遺跡の周辺では魔物と会うことが殆ど無いから安全だって。 そして、何故古くからあれ程厳重に守られて来たのか……その答えは、あれが人々を守るために作られた物だからなの」


 足を組み替えたファルイエの、形のいいふくらはぎがローブの裾を払うのを見とれている余裕は、しかしオルベウには無かった。


 オルベウは、素早く頭を巡らせ始め、到達した考えに愕然とする。


「待て、待て待て待て! それじゃこの魔物の大量発生はもしかして! それに関係してるんじゃねえだろうな!」


 ファルイエはぴんと人差し指を伸ばしてにっこりと笑む。


「ご明察。あの遺跡は大地から拡散される魔力の発生をコントロールし、魔物達が生み出されるのを防ぐ為にあるの。おそらく、それが破壊されることで徐々に蓄積された魔力が影響を与え始めているという事ね」

「ふざけるなよ! それじゃあ、何か、今の事態は予測できたってことじゃねえのか! 大勢の犠牲も出ているんだ、何故国軍やギルドにもっと早く知らせなかった?」

「それを言われると立つ瀬が無いわね。確証を得るのに時間がかかったこともあるけれど……館もあれで一枚岩という訳では無いし、組織が大きくなると腰が重くなるのはどこも同じでね。誰も彼も組織の面子やら気にして、馬鹿みたいね……」


 彼女の渋面になった表情と震える瞼からは、苦悩と憤慨が十分に伝わって来る。


「それに、あまりおおっぴらに出来ることでも無いのよ。人心を乱せば、国が荒れるから、なるべく内々に済ませたかったけど……どうしようもなくなったっていうのが今の上層部の本音じゃないかと思うわ」

「国自体が危険に晒されるってのか……? 済まん、ちょっと休ませてくれ。頭がついて行かねえ」


 椅子にもたれ掛かり、今までの言葉を反芻し始めるオルベウを気遣ったのか、銀髪の女は肩を竦めた。


「まあ、安心しろとは言わないけど、動いているのは私達だけじゃない。ちゃんと国軍も、学士も、冒険者ギルドも総出で動いているんだから……私達は自分達に出来ることをすればいいし、するしかないのよ。そしてそれは目下の所、担当の遺跡を守ること、もしくは……それが難しい場合、遺跡の魔法装置の本体部分だけは最低限回収して欲しいの」


 古代遺跡の、中心部に存在している碑石。

き出しである場合も、建物にまつられている場合もあるそれがくだんの魔法装置であり……彼女がいう所によれば、鍵となる道具と定められた方法で、装置の核となる部分を取り外すことが可能になるらしい。


「魔法装置の本体か……しかし、それを抜いてしまうということは」

「近隣の村々は、徐々に魔力の濃い地域となり、住みにくくなってゆくでしょうね。でも短期的にならそれは致し方ないわ。狼藉者ろうぜきものを捕まえてから、ゆっくりとまた修復するしかない」

「しかないってそんなの……そこに住んでいる奴らが納得するか?」

「それはお国の仕事になるわね。私達にはそこまでは背負えないわ」


 ファルイエは、少し悲しそうに言う。

彼女もわかっているのだろう……全てがうまくいくことはあり得ない。

大勢を救うために、犠牲にしなければならない何かが必要なのだ。


「やることは、わかった。どの位……どの位の割合で来るんだ、そいつらは。全ての遺跡が狙われているわけじゃないんだろう?」

「わからない……いままで破壊が確認されたのは、数十個だけど、着実にペースは増えているわ。出現の山が張れるなら、戦力を集中したいところだけれど、一定の傾向も見当たらない。容易ならざる相手という事だけが確かなの、最悪でしょ? 数日後には発つつもりだけど、戦力の当てとか、無いかしら?  お金は弾むわよ?」

「あるわけねえだろうが。この状況で、そんな命知らず……いるかよ」


 なまじの冒険者では歯が立つまいし、騙して数を揃えても無意味だろう。

兄である上級冒険者ならあるいは……ほんの少しだけよぎったその考えをオルベウは切って捨てる。

どの道彼は今頃、ワイバーン討伐で北部に遠征しているのだ。


「なら、仕方ないわね。あなたと私、それと作業要員で一人連れてくるから、取りあえず三人かしら? 心許ないけれど、まあ時間が経てば双方の組織から応援を出してくれるかもしれないし、期待しないで待ちましょう。 ……あなた、大丈夫? 顔が青いわよ?」

「悪いが、放っておいてくれ……事実を受け止めるので精一杯なんだ……」

「そう……ごめんなさい、待たせている子がいるから、また連絡するわ」


 目を閉じたまま、身動きをしないオルベウを残してファルイエはその場を去った。

そしてその場に残された彼は、本気で冒険者ギルド処理班を抜けてどこか遠くへ逃亡しようか迷っていた……。

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