31.伸ばした手は届かずに(1)

 人口数万を誇る大規模なフェロンのような街でも、出会う時には出会ってしまうものだと、エイスケは自分の巡り合わせの悪さを呪った。


 一つの店舗の軒先の向かい側、視線の先にいるのは、いつぞやの橙色の髪をした眼鏡の少女と、銀色の髪の獣人の女だ。


 お互いに声も出せずに少し固まる。


 気まずそうに視線を切り、すっと横を通り抜けるエイスケ。

隣にいたレンティットが、二人と彼の間で視線を軽く往復させた後、それを追う。


 ロナはしかし、それにくしゃりと顔を歪ませると、きびすを返してエイスケの外套をつかんだ。


(仕方の無い子……)


 ファルイエは、左手を頭にえて、ため息を吐く。

このまま黙って通り過ぎていれば、きっと心に出来た傷も、重なる日々の出来事が優しく覆い隠してくれただろうに。


「待って……下さい!」


 彼女は、ぎっと睨むように瞳に力を入れて、エイスケを見た。

それに対して、エイスケは感情のこもらない瞳で、務めて冷静に言葉を返す。

それがなおさら、ロナの心を刺激した。


「……離せよ、お互いにもう、用は無いはずだろ」

「……あなたに無くったって、こっちにはあります」


鏡のように意思の伝わらない彼の目を、しっかりと見据えたまま動かないロナ。

その手を、横から出された白い手が掴んだ。


「離して……エイスケ、嫌がってるから」


 決して強い力ではなかったが、線の細い青白い髪の少女は、鋭く目を光らしてロナを威嚇するように見つめた。


この少女が誰で、どうして彼のそばに居るのか……様々な疑問が湧いて来るが、それを振り払いロナは自分の気持ちを貫こうと抵抗する。


「い、嫌です。これはあなたに関係の有ることじゃないです! 私とエイスケの問題なんです!」


 その言葉に、レンティットの眉尻が吊り上がり、彼女は腕の力を強める。

辺りを不穏な空気が包み始め、それを敏感に察知した野次馬たちが人垣を作り出していく。


(ああん、ちょっとこのまま見てたい気もするんだけどなぁ……年長者だもんねぇ、止めてあげないと駄目よね)


 そこで流石に不味いと思ったのかファルイエは、パンパンと手の平を打ち鳴らして二人の注意を逸らした。


「はぁい、お二人さんそこまでね。周りを見てごらんなさい……このままだとあなた達、良い酒のさかなにされちゃうわよ? ほらほら、場所を移しましょ……」


 そうして、「御免なさいねぇ、ほほほ」と、面々を押して人混みを突破していきながらも、ファルイエは、彼女達の純粋な若さに少しだけ羨ましさを抱いていた。



 ――喫茶「憩いの水辺」。

 

 高山の不純物の少ない湧水を利用して作られた飲食物が売りの高級店……その店舗の一角に、一人を除く全員が険しい顔をして、彼らは席に着いた。


 剣呑な視線を交わし合う彼らの姿を楽しむかのように、ファルイエは一人能天気にメニューをめくり始める。


「どうしよっかなぁ……一杯食べたいんだけど太っちゃうと困るしぃ、ロナちゃん半分こしよっか?」

「私はいいですから、適当に頼んでおいてください」

「あら連れない、じゃあいいも~ん、片っ端から頼んじゃうんだから。エイスケ達はどうするの?」

「俺は……珈琲を。レンは?」

「私も同じのでいい……」

(あらぁ、仲良さそう……どういう風の吹き回しかしら)


 二人の距離の近さに、ファルイエは面白がるような顔をしながら給仕を呼んだ。

程無くして素早くテーブルの元に寄った男性が恭しく頭を下げる。


「すみません、珈琲を四つと、お茶菓子をここからここまで全部いただけます?」

「は……はぁ、本当によろしいので?」

「言った通りに。不安でしたら先に払わせて頂きますわ」

「い、いえ……失礼いたしました。すぐにお持ちいたしますので……」

(どうせ、使う当てが有るか分からないしね……散財しちゃおっと)


 任務の事を考えて暗澹あんたんたる気持ちに陥りつつも、給仕の男に微笑み返してファルイエが向き直ったところで、エイスケはぼそりと言った。


「用があるなら、早くしてくれ。俺にはもう、あんたらと話すことなんて無い」

その言葉にロナは、テーブルを平手で叩く。


「どうして……そんな風に拒絶するんです! 私達が直接あなたに何かしたんじゃないじゃないですか! そんな風にされるの、すっごく悲しいです!」


 エイスケが何も言わないで黙っているので、口を出そうとしたレンティットを、ファルイエは羽交い絞めにしながら口を塞ぎ耳打ちした。


(ごめんねぇ、今いいところなの……少しだけあの子の好きにさせてあげてちょうだい?)

(むぐー! むぐー!)


 そんな二人を視界に入れずにロナは、テーブル越しの顔をぐっとエイスケに近づけた。

息のかかりそうな距離で、互いの顔が大写しになる。


「あなたが……この世界に来てどれだけ苦しんで、悲しんだのか、私には全然わからないです。だって、何も話してくれないんですから……どうしようも、ないじゃないですか」

「俺だって、誰かに話して楽になれるならっ……。お前も、首のあれを見ただろ。 わかるか、伝えようとしても、伝えられないんだよ、誰にも!」 


 彼は意識せず、首に刻まれた小さな魔法陣に指を突き立てるが、加えようとした力は何かに阻まれるように押し止められ、傷つけることすら敵わない。

発声はおろか、彼の持つこの国への憎しみに反応して全ての行動を縛り付ける

忌々しい黒き魔法陣。


「俺はもう……忘れたいんだ。腕のいい魔法使いにも見せたが首を振られた。諦めさせてくれ……そうすれば、時々思い出す位で済む。これ以上、俺の記憶を掻き乱すな!」

「……何か、方法があるはずです……! や、館に連れて行って調べてもらえれば」

「それはできないわよ、ロナちゃん」


 成り行きを見守ってファルイエがその意見をあっさりと否定する。


「国家から色々と便宜を図ってもらっているんだから、表立ってそんなことをするような事が許されると思わないで」

「でも……じゃあ、私が個人的に何とかします! ちゃんと調べれば!」

「……触るなっ!」


 触れようとする彼女の手を、エイスケが弾き飛ばした。


 気づけば、その暗い眼が、ロナの方を向いていた。

その黒々とした瞳の奥には激しい感情の渦がとぐろを巻くようにうねっている。

戸惑い……焦り……苛立ちやわずかな期待、そして、恐怖。


「あなたは……何がそんなに、怖いんですか……?」


そしてエイスケの胸がうずき、一つの声が頭の中で響く。


(……怖いの?)

「……やめろ!」


 エイスケは胸の奥から熱いものがせり上がって来るのを感じて、席を立ち、そのまま走って店を飛び出していく。


「あっ! ちょっと……!?」


 それを追おうした彼女の前、緩んだファルイエの拘束から逃れたレンティットが立ち塞がった。

魔法を使う時のように手を大きく広げて、これ以上踏み込めば容赦はしないというように。


「これ以上は駄目……追わせない。どうしてあんなにエイスケを苦しめるの」

「私がエイスケを? 私は! ……ただ彼の力になりたくて……」

「エイスケはそんなこと、望んでないのに……もう、追って来ないで! お願い」


 言い残して身を翻すと、青い髪の少女はエイスケを探しに駆けて行く。

力を失った体をよろめかせるロナを、ファルイエが支えて椅子に体を下ろさせた。


「ファル姉さん、私……間違えてしまったんでしょうか」

「……さあね、心の奥底に抱えるものなんて、誰もわからないもの……あむ」


 悄然しょうぜんとして項垂うなだれるロナを見ながら、その姉替わりは、目の前に続々とと運ばれてくる甘味の山に舌鼓を打ち始めた。



 ――そしてエイスケは誰もいない細道に体を捻じ込み、壁に身を預ける。


「げおっ……ん、ぐ、えっ……あぁっ! ……はぁ、はぁ……はっ」


 胃の内容物を全てぶちまけてエイスケは荒い息を吐き、うずくまった。


「忘れられるわけが……忘れていいことじゃ、ないんだ」


 喉の奥を焼く痛みに意識だけが冴えて、さらに記憶をはっきりと思い出させる。


「エイスケ、大丈夫?」


 契約の印を辿って来たのだろう、レンティットが姿を現わしていた。

彼女はゆっくりと歩み寄り、優しく彼の背中をさする。


「……どうしたの? お腹が痛いの?」

「違うんだ……違う……俺が、弱かったから、あの時の■■で■■■、■■■■■■■■、■■■■! ■れが、こ、ろして……」

「大丈夫、大丈夫だから……辛いこともいつか忘れる。忘れるまで、私が傍にいるから」


 少女は、エイスケの背中にもたれるようにして、心臓のところに耳を当てながら、か細い声で歌い始める。


 知らず知らずのうちに口からこぼれだしていたのは、遠い日に、母が歌ってくれた歌だった。

一節だけ覚えていたそれを、背中を撫で、あやしながら何度も繰り返す。


 踏みしめた 白い路 振り返れば

 降り積もる雪が すぐに埋めて

 悲しみも喜びも やさしく隠して

 やがて 見えなくなる

 しるべは いずこ 問う声に

 あれにありと 遠き声 

 答えしは 古きもの 今は消えし先人さきびと

 

 

 その微かな、雪に沁みいるような声を聴きながらエイスケは、誰にも伝わらない呟きを繰り返し、彼女のその温かい体温に身を委ねる。

身体の震えが収まるまでの間、二人はずっとそのまま動かずにいた。

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